前回の発表 「建築としての椅子」
建築と同様に様々な構成要素を持つが、諸条件による制限が少ない建築としての椅子
職業分野や機能の枠組を超えて、互いを連絡して結びつける、調和・統合の意味での建築
人・モノ・金・情報の関係をデザインする、人間の総合芸術としての都市
目に見えない情報を表現(建築)するときの視座の具現化されたものとしての椅子
1. 都市と建築
ル・コルビジェ:輝ける都市 有機体モデル
人体を都市にオーバーラップさせることで一つの完結した都市の構図を組みたてる。
建築家と都市計画者を同種としてみる。
磯崎新:見えない都市、完成し得ない都市
形のない状態に都市を組み立て直す。
「廃墟」としての建築、破壊された都市を未来と同時に見る。
2. 時間と空間
道具…人間の手足の延長。人にとって有用なものを指す。例:住宅、道路、仕事
仕事…生存の鍵。自然条件や経済問題の重荷から、精神的努力で喜びとなる。
交通…都市の循環器系ともいうべき、都市に生命を行き渡らせるもの。人の交通、物の流通。
時間・距離・速度…1日24時間の太陽の法則と自然の速度か機械の速度かで移動距離が変化する。近代技術による距離感と時間の変容。
3. 人間と自然
「自然が作り出したものと、人間が作り出したものとの間には、一つの統一がある。」
(デカルト)
農村と工業都市…常に対立関係に置かれてきたが、都市計画で和解できる。
技術と精神…相反するものではなく、技術は精神的世界をも広げてきた。新たな理論の受容はいつも抵抗をうけてきた。
〈考察・1〉 実在すること・視座を定めること
風景画的要素、正確な立地、気候、(空間的要素)
成長と衰退の過程、人の移動による発展、地理条件による役割(時間的要素)
時間と空間の接触する点にはじめて実存する。
時間軸と空間軸の間に点を打つことは、存在と同時に終末も意味する。
〈考察・2〉 言葉と実在物の「ハシ」
詩的実践、メタテキストとしての「建築」は実際の建築理論と別の次元ではない。
時間と空間を相互に連結する「ハシ」という考え方。
精神と技術、自然と人間、時間と空間、理論と実践…実在するものには二項対立がある。
人間は肉体と精神をもつ、自然との統一をもった存在。
〈疑問〉 機能と美 「機械の美しさ」
「世界内に存在する前事物は、函数(機能×経済)の産物である。―中略―
芸術は、コンポジシオンであるため、特定の目標に適合させるわけはいかない。
すべて、生活は機能そのものである。
だから芸術では無い。―中略―
都市のプラン、住宅のプランはいかにデザインされるべきか。
コンポジシオンか機能か?
芸術家生活か?」
建築や都市計画もアートでありうるのか?そうだとすれば、アートとは何か?デザインとの違いは何か?
〈参考文献〉
磯崎新『ル・コルビュジェとはだれか』
磯崎新『建築と時間』
ル・コルビュジェ『輝く都市』