フランスにコーヒーが伝わるまで
- 西暦紀元6世紀頃---エチオピア原産のコーヒーの木がアラビアに伝わり栽培されるようになる。
- 11世紀---その木から採れる実がコーヒーとして飲まれるようになる。
- 15世紀以降---コーヒーがヨーロッパに伝わる。
- 17世紀---ヨーロッパに広まる。
コーヒーがフランスにやってきた
ヨーロッパではフランスよりも先にイギリス、 イタリアがその味を知っていたということだ。 コーヒーがフランスにどのように伝わったのか、
正確な史料が残っていないためそれは定かではないのだが、それには3説ある。
- 1664年、マルセイユにカフェは出現し、そこからパリに広がった。
- 1669年、イタリア、イギリスより少し遅れて、駐仏トルコ大使によってもたらされた。
- コーヒー売りによって売られ、それが後に固定した店や、
一般家庭に入るようになった。
カフェができるまでの道のり
初のカフェができるまでにも、一般市民がコーヒーの味を知る機会は あったようだ。パリでは大規模な定期市が行われており、 そこに立ち飲みコーヒー店を出店していた人がいたという。
一度は其の刺激的な味が人気を呼んだのだが、ワインを代表とする、 アルコールが大好きなフランスのお国柄には、 ノン・アルコールのこの飲み物は、なかなか受け入れてもらえなかった。
また、そのコーヒー店を出すのがきまってアルメニア人であったことにも 問題があったようだ。その当時、フランス人のアルメニア人に対する評価は
あまりよくなく、アルメニア人主導のオリエント風のカフェは敬遠された。
フランス風カフェの出現
このように、フランスにコーヒーの味が浸透し、カフェ が定着するまでには時間がかかったのだが、その飲み物の もつ、エキゾチズムな雰囲気がいつしかフランス人の心を
つかんだのである。そして、フランス初のカフェがパリに お目見えしたのが1686年のことである。そのカフェの 名はカフェ・プロコープといい、イタリア人のプロコープ・
クートーによってつくられた。今までの、オリエント風の イメージを払拭し、店内の内装をヨーロッパ風にしたてた ことが成功のかぎとなった。
ここは、浴場として 使っていたものを買い取ったので、壁一面にはられ た鏡や大理石はそのまま残し、シャンデリアやじゅ うたんで装飾し、豪華なブルジョワ風のカフェに変
身させた。この鏡の店内を明るく広く見せる効果は 絶大で、現在でも多くのカフェでこのアイデアは取 り入れられ、パリのカフェの特徴にもなっている。
やがて、有名な文士や哲学者が集うようになり、文 学カフェとなり、いよいよカフェというその場所が 皆が集う場として発達していくのである。
フランスカフェの特徴とも言えるテラス式カフェを導入したのも このカフェであった。それは、たばこのニコチンの建物への害をさけるための
策であったということだが、テラス式というのは、人体への害も同時に 対処したのである。さらに、当時のフランスは喫煙規制が厳しく、
店内での禁煙化がすすめられていた為、アウト・ドアのテラス付カフェが 発達したのである。
また、プロコープでは、フランスの公的生活全般が論じられ、 新しいオペラや芝居が批評され、政治的なニュースが伝えられる場としても
栄えたのである。このカフェ・プロコープの成功をかわきりに、 パリには次々にカフェが登場することとなる。
18世紀のカフェ事情
18世紀始めには、ほとんどのカフェがヨーロッパ化され、 東洋風のエキゾチズムな場所というイメージはなくなった。 18世紀半ば、パリのカフェの数はロンドンを上回り、
大小合わせて500ないし600軒が軒を連ねるようになった。 その中でも、"フランス風と称される代表的なカフェはカフェ・プロコープ
であった"とモンテスキューは「ペルシャ人の手紙」の中で書いている。
18世紀後半、ある医師が科学的な分析に基づいて、 コーヒーは体にいいと推奨してから、この嗜好品の人気は一気に高まった。 この時期はフランス革命の影響からか、カフェが思想、政治の議論の場となり、
政治カフェが増えた。コーヒーの作用は、アルコールのような興奮ではなく、 刺激であったので、カフェが議論の場となったこともうなずける。
この頃、パリのカフェの数は1800軒にまでふくらんだ。
19世紀のカフェ事情
19世紀半ば、道路の拡張や舗装により、テラス式 のカフェが多くなる。この自由なテラス式カフェが女 性にたとえひとりでもカフェに入ることを容易にした。
1875年、カフェ・ド・ラ・ペと言うカフェが、パリ、 オペラ座付近に登場し、パリ一といわれるテラスが評 判になった。オペラ座付近というのは常に人の行き来
がはげしく、だからかえって、そのテラスに腰を下ろ すと、おのずからそこが劇場のようになり客は、見ら れて、見る存在となったわけである。そこは、見られると同時に見る
カフェの典型的な場所になった。
この頃からカフェは単にコーヒーを飲む場所ではなく、チェスやビリヤードの 遊戯をしたり、パントマイムなど、小さな芝居などを楽しむ場所へと
変貌してきた。しかし、こういったカフェはブルジョワ向けであったので、 そのかわりに安手の居酒屋風のカフェが大衆向けにつくられ、発達した。
今までのカフェでは、アルコールを置いているところは少なかったのだが、 ここではアルコールとコーヒーを楽しむことができた。この居酒屋風カフェは
後に名を変えてブラスリーと呼ばれるようになる。
19世紀の終わりには、小さな芸術家カフェが多くつくられた。 芸術家たちはお気に入りのカフェを見つけるとそこに通い、 仲間たちと意見を交わしたりしながら、芸術活動に励んでいたようだ。
カフェは文化を育む場所にもなった。(例:カフェ・ヴァン・ゴッホ)
その後のカフェ事情
1960年代には、カフェ・レストラン、カフェ・ブラスリーと銘打たない カフェでもランチなどの軽食を広くサービスするようになった。
またこの頃登場したカフェ・テアトルと呼ばれる形式のカフェでは、 マルチメディアで活躍する作家や俳優が登場し、人気を呼んだ。しかし、
残念ながら、今ではこういったカフェはほとんど姿を消している。
現在、パリには数え切れないほどのカフェがあるが、そのほとんどは、 ワイン、やビールといったアルコール類から、ステーキやオムレツといった
きちんとした食事がとれるようになっている。従来のカフェとレストランと 居酒屋(バー)の要素を併せ持つのが現在のカフェの特徴である。
カフェは朝から夜遅くまで営業し、パリジャン、パリジェンヌ、そして、 なによりも旅行客には欠かせない存在となり、生活と密着しているのである。
最近では、カラオケなどを取り入れるところもある。
カフェの主役ギャルソン
フランスでは、カフェのウェイターのことをギャルソン(少年という 意味)というのだが、これはプロコープで給仕人として初めて雇ったの
が少年であったことに由来しているという。フランスのカフェでウエイ トレスがあまりいないのもこのためかもしれない。彼らには、親切、
サービスとともに、身のこなしが要求される。そして、第二帝政のころ から、コスチュームはその伝統を引き継いでいる。このスタイルが定着
しているのは、機能性とともに、フランスのおしゃれ感覚からきている ようだ。
現在、パリのカフェのギャルソンは、その8割が田舎から出稼ぎの為 にくるオーベルニュ人で占められている。したがって、 いかにもパリジャンらしいギャルソンは、実は田舎ものの集団なのである。
日本のカフェ事情
日本最初のコーヒー店は、1888年(明治21年)、東京下谷黒門街(現在の上野) に開かれた可否茶館だといわれている。しかし、コーヒー店がアルコールや
軽食を出し、一般にも広く知られるようになったのは20世紀に入ってから のことである。1911年(明治44年)、銀座日吉町(現在の銀座八町目)
にカフェ・プランタンができ、それを筆頭に銀座に一応パリ風のカフェ が現れた。
大正デモクラシーとともに、カフェは大いに繁盛し、 パリのように文学活動の温床にもなった。しかし、フランスと異なった点は、
大正から昭和にかけて、給仕人に美人女性を雇ったということである。 これが日本式カフェの定番となり、それで客を集めた。 そのため、カフェには女目当ての客が増え、1930年代半ば(昭和10年ごろ)
からカフェは廃りキャバレーが流行する。
第二次世界大戦後、風俗的なバーやキャバレーに対し、 ボーイやウエイトレスのサービスでコーヒーや軽食を扱う店は喫茶店と呼ばれる
ようになった。
現在は、カフェブームと言われる時代になり、東京を中心としてたくさんの カフェと呼ばれるものが存在する。しかし、これはかつて日本がフランスのカフェ文化
をまねたようなものではなく、個性的なものが多くあり、 日本独自のカフェ文化を築く時代に突入しているのではないだろうか。
まとめ
フランスにおけるカフェ文化の形成が、最初のカフェであるプロコープ に由来していることが多かったのはとても興味深い。 文化を引き継いできたことに、今のフランスカフェの魅力があるのかもしれない。
フランスは長い時間をかけて、カフェ文化を築き上げ、もはや、 生活とは切り離せないものにまでなっている。パリに多くのカフェが存在しても
、それが残っていることは何よりもそれを証明している。 サービス精神旺盛なギャルソンは客との会話を大切にし、カフェの空間を より快適なものにしてくれる。そこでは、各々が自分の時間を過ごし、
誰もそれを邪魔しようとはしない。
一方、日本はどうだろうか。一度は廃れたものの、今、人気を取り戻している カフェだが、フランスのように、文化を積み重ねてこなかった日本でそれは
生き残れるのだろうか。単なる流行としてとどまってしまうのだろうか。 日本では、フランスのようなテラス式のカフェはまだまだ少ない。
これは道路の状態や不動産の条件により、諦めなければならないのかもしれない のだが、フランスのカフェ文化がテラス式で成功したということを踏まえると、
残念なことである。日本の場合、隠れ家的なカフェが非常に多く、 住所を控え、地図をみながら行かなければ行けないような場所にあり、
それは路面店よりもビルの上の方や地下といった、見えないところに存在する。 入りやすさの点で、この特徴は不利ともいえるだろう。
この点でスターバックスは、駅の構内や路面に店を構え成功している。 テイクアウトもできるというそのファーストフード的なやりかたは、
人とのコミュニケーションを遠ざける傾向のある、 特に東京の人間にはあっているのかもしれない。
参考文献
「ヨーロッパのカフェ文化」クラウス・ティーレ=ドールマン著;
「カフェ ―ユニークな文化の場所―」渡辺 淳著;
「パリのカフェをつくった人々」;玉村 豊男著