IT文明開化
(下巻)

発表日:平成13年12月19日
担当者:榊原弘一
〈序章 《上巻のつなぎとして》〉

  前回の『IT文明開化 〜21世紀、メディアの行方〜』では、これまで『メディア論』において議論されてきた多くのメディア予言の中から、いくつかのコンピュータにおける情報通信ネットワークの挑戦的な予言を取り上げ、紹介した。前回の発表において重要であったデリック・ドゥ・ケルコフが提唱した概念である『結合知(コネクテッド・インテリジェンス)』は現在の世界において徐々にではあるが現実のものとなりつつある。「各個人の知性はネットワークを介して結びつき、集合精神の総体が誕生する」。「これは私たち人類としての偉大で集団的な企てであり、私たちは新たな知性のステージへと向かっている」とデリック・ドゥ・ケルコフは付け加える。それでは、彼の抱いた未来像が少しずつ実現してきている現代において、その具体的なリサーチをする必要があるだろう。あらゆるものがネットワークで結合する中で、具体的にどのような事が実現していくのか、私たちは近い将来にその恩恵を必ず受けていくのだから、その実情を知っておく必要があるのではないだろうか。又、前回、ITにおけるアメリカと日本の現状を比較・検討した事により21世紀の日本の道しるべなるものを模索してきた。来るべき新たな時代において日本の歩む道はどのようなものか、現在ようやく注目を浴びてきたある技術を元に、最新の技術を加味していく事で実現される情報社会の未来像について見ていきたい。


〈第一章 《PC主役時代の終焉》〉

   ※()内を反転させると中に入る語がわかります。

  1990年代におけるコンピュータの動向を一言でいえば、「(PC)の時代」と言える。ITの主役は(※PC)であったからである。(※PC)がインターネットにつながる窓口として普及する事になり、それが又インターネットを広めるというふうに、インターネットと(※PC)は相互に影響し合って成長・発展した。ところが、インターネットが社会のインフラ(基盤)になるに従い、(※PC)の必要性が薄れてきている。なぜなら、実際にインターネットで最も使用されている機能は、第1に(e-mail)である。次に1991年にCERN(セルン)という(核物理(cf.軍事的なものとのつながり))学の研究所にいたティム・バーナーズ・リーという人がつくったwww(worldwideweb)システムで成り立つウェブ閲覧、つまりホームページを見て情報を収集する事が2番目である。ほとんどの人がホームページを見る事と、メールをやりとりする事にインターネットを使うだけである。PCを持っていてもそれほど高度な使い方をしていないのが現状である。現在のPCは、世界最初のコンピュータであるエニアックの(600万)倍の能力がある。
  れほどの能力は一般的なインターネット利用には必要ない。さらに、PCは本当に誰でも使えるかといえば実際は難しい。そのようなものをわざわざ使用しなくてもいいではないかという流れに世界が動いている。しかも、ブロードバンドなどの高速通信回線につながったネットワークは、自分の家や会社のPCからでしか見ることができないという時間的、空間的制約がある。それに比べ、常に身に付けているものでインターネットを使えるなら、その方が便利である。例えば、携帯電話でウェブ閲覧ができ、電子メールが使えれば、インターネットの端末としてはPCよりも格段に優れているという事になる。インターネットの普及とともに、いつでもどこでも使いたいという欲求が生まれ、PCから、インターネットに接続可能なPDAや携帯電話の方に全世界的な注目が注がれ始めている。



〈第二章 《ユビキタス》〉
T. ユビキタスとは何か
ユビキタス(ubiquitous)(ラテン語)

→ 『いたるところに存在する、偏在する』 

  現在、『ユビキタス』と呼ばれているのは、正確には『ユビキタス・コンピューティング』の事を指す。『ユビキタス・コンピューティング』という概念が最初に唱えられたのは1988年に『ユビキタスの父』と呼ばれている米ゼロックス社パロアルト研究所のマーク・ワイザー(Mark Weiser)が提唱したのがはじまりである。彼が1993年に書いた論文の中で『ユビキタス・コンピューティング』を『computing access will be everywhere』と定義している。彼は「人が移動していく先々で、その場所にあるコンピュータを自分のものとして使える環境の実現」を目指していた。すなわち、「どこにいてもネットワークに接続されたコンピュータを自分のものとして使う事のできる環境」を意味している。

◇◇◇21世紀『ユビキタス社会』の到来◇◇◇
   
『いつでもどこでも使える、(コンピュータ)環境=ユビキタス・コンピューティングの世界』

U. ユビキタスの特性
@―ネットワークへの接続
  コンピュータなら何でもユビキタスというわけではなく、ネットワークに接続されたコンピュータを「ユビキタス・コンピューティング」と定義する。コンピュータがユーザに対して適切なサービスを提供するためには、ネットワークへの接続が欠かせない。


A―コンピュータを使う事を意識させない
  コンピュータは「目に見えないもの(invisible)」にならなくてはいけない。現在のコンピュータはユーザがコンピュータを使う事を強く意識している。キーボードを叩いて入力したり、ソフトを立ち上げたりと、媒介となるコンピュータの存在を意識せざるを得ないのが現状である。「コンピュータは のような存在を目指すべきだ」とマーク・ワイザーが言うように、「ユビキタス・コンピューティングは、人に(やさしい)コンピュータ(calm technology)であること」が必須である。

B―状況に応じて提供するサービスが変わる
  ユビキタス・コンピューティングの世界ではユーザやユーザの置かれている(コンテクスト(状況))に応じて、コンピュータは提供するサービスを変える必要がある。つまり、使う人によっても、その場所にあるデバイス(機器)の制約によっても、提供されるサービスが変わるという事を意味している。ここで言う(※コンテクスト)とは、ユーザの居場所、ユーザのID、デバイスのID、時間、温度、明るさ、天気などがある。

V. コンピュータの変遷

時代

コンピュータとの関係 コンピュータの位置付け
第一の波

メインフレームの時代
高価で巨大なコンピュータ1台を複数の人が共同で使用していた。

コンピュータ()人 コンピュータ=道具
第二の波

パソコンの時代
パソコンが普及し、1人1台のコンピュータを使用するようになった。

コンピュータ()人 コンピュータ=道具
第三の波

ユビキタス社会
様々な場所に埋め込まれたコンピュータを、あらゆる人があまり意識しないで利用する。

コンピュータ()人 コンピュータ=環境
 
W. ユビキタス発祥の地、日本

  1980年代初頭、世界に先駆けて「社会全体にコンピュータが入り込む」というビジョンのもと、当時、東京大学の坂村助教授によって始められた『TRONプロジェクト』が世界中の研究者たちに影響を与えた事から、日本がユビキタスの起源であるとされている。『TRONプロジェクト(The Real-Time Operating System Nucleus)』とは、真に人間にとって使いやすいコンピュータのアーキテクチャを構築する事を目的としたプロジェクトである。



第三章  《日本型ITモデル》
これまでのITの主役 ユビキタス社会の主役
・ネットワーク技術  ・ハードウェア  
・ソフトウェア(OS、アプリケーション)
・携帯電話  ・自動車   ・家電・AV機器
・ゲーム機  ・コンテンツ
【(アメリカ)主導権=(※アメリカ)型ITモデル】 【(日本)主導権=(※本)型ITモデル】
日本型ITモデルへの考察

  これまで、コンピュータ技術やネットワーク技術などに代表される一連のITの波は、全てアメリカ発というものであった。パソコンはWindowsマシンも、マッキントッシュもアメリカの企業が開発したものである。OSについても同じ事が言える。さらには標準アプリケーションのようなものに至っても、Office製品もブラウザも、全てアメリカ製である。
  このような状況下の中、日本は高いライセンス料を支払ってハードウェアを開発したり、ソフトウェアを日本語化して販売するなど、常にアメリカの追従であった。しかし、ユビキタス・コンピューティングの時代には、今度は日本が世界をリードする可能性がある。なぜなら、ユビキタス・ネットワークにつながるのは、パソコンやワークステーションといった狭義でのコンピュータだけではないからである。AV機器、家電、自動車、携帯電話、ゲーム機といった様々なものがユビキタス・ネットワークにつながっていく。家電製品や自動車の分野では、ソニーやホンダを始め国際的にも高い競争力を誇る日本企業は多く、又、携帯電話の分野でもやはり世界のトップレベルにある。ゲーム機市場においては世界の市場の大部分を、ソニーや任天堂といった日本企業が握っている。アニメーションやゲームといったコンテンツでも日本は世界で高い競争力を有している。そして製品の小型技術や微細加工技術などは、まだ日本は世界のトップレベルにある。要するに、来るべき世界中の注目を集めているユビキタス・コンピューティングの情報社会では、まさに日本の得意とする土俵である事が実証されてきているのである。「IT革命」や「e-Japan構想」に見られるように、現在、日本は国をあげてIT化に取り組もうとしている。その目指すところが、高速通信ネットワークを張り巡らすようなアメリカ型ITモデルではない事は、火を見るよりも明らかである。日本の歩むべきIT化のモデルが『ユビキタス・コンピューティング』である事は明白ではないか。


〈第四章 《総括と展望》〉

  文明開化―「人知が開け、世の中が進歩すること(広辞苑より)」、を「今までになかったことができるようになること」と異訳したとするならば、ITにより確かに文明が開化したと言っても過言ではないだろう。しかし、ここ数年はそれがあまりに過大評価され、直ちに全ての経済・社会が一変するといった話が取り上げられ過ぎてきた。だが、世界中の一人一人がネットワークで結ばれて情報交換できるようになり、モバイル端末を各自が持っているという状況・姿はやはり新しい文明であり、デリック・ドゥ・ケルコフの言葉を借りれば、「新たな知性のステージに向かっている」。つまり、人々の知識がネットワークを介して共有されたり交換される。さらにそれらの知識がデータベース化され、必要なものが瞬時に探し出せる。これは新たに人類の知恵の集積をつくっていくきっかけとなっていくだろう。これはデリック・ドゥ・ケルコフの予言した「結合知」への兆しであるとみていいだろう。

  そして、これらの経緯が来るべき「ユビキタス・コンピューティング社会」の到来を準備するものである事も大方、間違いないだろう。先にも述べた通り、家電や各種電話、腕時計やポータブルMDプレーヤーなどがネットワークで結ばれ、駅の自動発券機やコーラの自販機までもがネットワークにつながれ、車や電車の中からでもインターネットにアクセスできるような社会が「ユビキタス社会」であるとされる。すでに車に関して言えば、GPSの搭載と携帯電話などを利用した双方向のカー・ナビゲーション・システムなどでインターネットへアクセスしていく原型はできている。又、インターネット家電としては、冷蔵庫内の残り物で作れる料理のレシピを探し出してくれるものや、留守中に洗濯を指示できる洗濯機などが登場している。パソコンのような電源を確保したり、難しいプロトコルの設定に苦労したり、アクセス回線の遅さにイライラする必要はなくなっていく。

  それでは「ユビキタス」が私たちにもたらすものとは何か。多種多様な恩恵が考えられるがその一つとして、ユビキタス社会には新しいコミュニティが育つ可能性がある。常時、いつでもどこでもネットワークに参加できるようになれば、人々は電話代や時間やアクセスの速度を気にする事なく情報の交換をする事ができる。「便利さ」こそが人々に最も支持される21世紀の社会において、ユビキタス社会を必要としている大きな要因の一つは「コミュニケーション」への欲求なのかもしれない。ここで重要なのは「誰にでも便利」という条件付である。そのためにも、高所得層ほどITの恩恵を受けるような社会ではなく、貧富の差や国境を越え、ネットワークが提供されなければならない。

  又、真の意味でユビキタス社会への移行が急務であると言える分野は、福祉・介護といった、いわゆる「情報弱者」とされる高年齢層や障害者を中心とする人々のために、ユビキタス社会への準備をしていく必要がある。余談ではあるが、世間一般で言われる「情報弱者」という言葉には少しばかり疑問を感じる。地域の研究を通して、「情報弱者」とはつまり、「現代の若者の事を指す言葉である」、というのが私の見解である。地域の事に関して言えば、ご老人の方がはるかに地域の事や、世間一般の事を知っている。情報量で言えば若者をはるかに凌いでいるのである。重要なのは、20世紀の終わり頃から、コンピュータが使える人と使えない人の格差が広がり、社会の階層が形成されてしまう事が問題となってきたが、この「デジタル・デバイト」と呼ばれる問題を解決する事が期待されているのもユビキタス社会なのである。「誰もが簡単に使える」コンピュータが「いたるところに存在する」ユビキタス社会の実現は、人々がデジタル・デバイトから解放される事も意味しているのである。実際、地域においてもデジタル・デバイトの問題によりITの恩恵から遠ざかる人々を何人も見てきた。そういった意味でも、今回、この「ユビキタス・コンピューティング」を研究の柱として展開し、さらに今後はこのようなユビキタス社会の到来を地域の人々に伝え、真の意味で地域、国民の一人一人がそのITという、意識的にその恩恵を受けるのではなく、紙媒体に代表される新聞や雑誌のように、何も意識する事なく、生活の一部として、つまりITが環境として浸透していく事を推進していきたい。

  21世紀は「文化の世紀」になるだろう。文化の特徴は「違い」にある。その「違い」を理解し、楽しむことがこれからの世紀であり、それは「多様性の時代の到来」を意味している。アメリカ追従の思想は20世紀に置いていくことにして、日本独自の文化を世界に発信していくことに、日本の未来があるような気がしてならない。IT分野に関しては、その独自性を「ユビキタス・コンピューティング」に垣間見る事ができるだろう。しかし、私が本来、このテーマを通して得られた事、伝えたいことは世界の中で「日本人たるものがどうあるべきか」、もう一度、私たちの広義での文化に目を向け、日本人たるアイデンティティを取り戻す必要があるのではないだろうか。


参考文献
  • 『ポストメディア論―結合知に向けて―』著 デリック・ドゥ・ケルコフ NTT出版
  • 『IT革命―ネット社会のゆくえ』著 石垣 通  岩波新書
  • 『ユビキタス・ネットワーク』著 野村総研  野村総合研究所広報部
  • 『ブロードバンド革命―目指せユビキタス・ネットワーク社会』著 野村敦子 中央経済社
  • 日本経済新聞
  • 日経PC