ラースロー・モホイ=ナジ(Moholy=Nagy1895-1946)は、1895年7月20日にハンガリーで生まれる。ブタペストで法律を学ぶが、第一次世界大戦に従軍して負傷し、療養中に画家に転身する。前衛的な美術雑誌『MA』を通じて立体派・表現主義・未来派等の芸術を知る。そして芸術家集団のMAと接触し、特にシュプレマティムスムの創始者マレーヴィッチやエル・リシツキー、またロドチェンコなどの構成主義といった、ロシアの前衛芸術を知ることとなる。それらの影響で、純粋に客観的な抽象絵画を目指すようになり、またコラージュを始めたり、タイポグラフィーにも開眼する。
そのころには彼はすでにドイツに渡っており、ヴァルター・グロピウスに誘われてバウハウスの教授となる。絵画制作、写真、光と色の実験や、金属工房での指導を担当し、またバウハウスの印刷物のレイアウト、タイポグラフィーも行っていた。
その後、舞台装置家としても活躍し、また実験映画も制作し始める。それから、オランダ、イギリス、そしてアメリカと活動の場を変えつつも、絵画を基本にしながら、記録映画を撮ったり、商業美術(ポスター展や展示デザインetc.)、インテリア・デザイン、エディトリアル・デザイン、インダストリアル・デザインなどをやってみたりと、視覚芸術の全般に関わる領域で実験精神に満ちた仕事を展開する。フォトモンタージュや、
フォトグラム(カメラなしの写真)でも有名。
デザイン教育にはライフワークとも言えるほどに、ずっと関わり続ける。 1946年に白血病のため急死する。
■□客観性の重視□■
冒頭の引用文における「個人的にではなくて、その表現が全ての人々にとって
「客観的」な意味を持つものであれば、実りの多い結果を招くことになるだろう」ということが指し示しているのは、文化の発展に対する人間の貢献についてである。つまり、今やアーティストの表現は、たんなる個人的情緒の表出にとどまらない、自我と周辺世界との関係の創造であるべきであり、そのことこそが、現実と接することとなり、そしてまた、文化や歴史性のへ流動してゆくこととなると考えていたようである。そのため、彼が関心を寄せるのは"芸術"個人的な性質ではなく、根源的な基本要素、「表現それ自体のABC」であった。このことは芸術の価値の問い直しを意味するのではなく、(そういった意味で"芸術"を否定するダダなどとは基本姿勢が異なる)、ただ「芸術は全く個人的なものではない」ということであった。
当時の、20世紀初頭の人々は、機械的な大量生産に基づく経済機構の中に自分を埋没させてしまっていた。もはやすでに主観的なものの見方が自分をとりまく世界そのものであるという安心は破壊されていた。今を考えるときでも、未来を思うときでも、人々が好きな職業について好きな仕事をするということは全くの神話となっていた。モホイ=ナジは、その生産機構と人々の職業に注目し、「生そのものの価値が、利潤や競争意識、そして職業の圧迫で破壊されている」とし、この点においては、技術的進歩は非難されうるべきであるとした。しかし、機械の可能性をもはや否定することは出来ない。だから、技術的進歩も否定するのではなく、肯定すべきであって、その目的を人間におき、生産にはおくべきではないということを主張した。彼の全ての実践はこの点に集約されているといってよいであろう。そのため彼は「生物学的」ということに注目した。→
「生物学的」の説明
彼は人々も、さらには芸術家も「生物学的な」前提に立つことをもはや忘れてしまっている、と批判した。「教育も生産のあり方に関しても、「内なる精神の強い衝動」から生まれてきているものではない」、「(多くの造形家は)"芸術制作"という重要でないもの、しばしば偉大な作品から歴史的ないし、主観的に引き出したに過ぎない美的公式を埋め込んだにすぎないものに取り組んでいる」と。そして彼は、生物学的なものに注目すれば、そこから客観性が得られ、誰もがそのような生物学的な根拠に基づく
感覚経験によって、あらゆる喜びを味わうことが出来る、と主張した。(=「内的な必然性によって営まれる生活の実践」、しかしこれは芸術ではないとも述べている。)
客観的性質の追及こそ、個人の情緒生活が歴史の連続体に流れ込むことを可能にさせることができる。また、そのことが、文明の恒久的な仕組みの中で、つかの間の現実を見事に解消することになる、と繰り返し主張したのであった。
「結果
技術文明の引き起こす被害に対しての対処策
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しっかりした意図に基づく観察そして、有機的かつ生物学的に調和された機能―芸術、科学、テクノロジー、教育、政治―を合理的に保護する営みによって
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全面的な人間活動とその結果自体との関係によって」
(L.モホイ=ナジ(大森忠行訳)「結論」『ザ ヴィジョン ある芸術家の要約』ダヴィッド社,1967,p.38)
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⇒彼は、これらのことは実践されねばならないとし、バウハウスでその細かな配慮の行き届いた実践が行われることとなる。
▲ポイント▼
「機能の公正」、「標準(その時代のための考察が必要)」、「教育(予備基礎コース、デザインと建築の同時訓練・専門作業訓練、感覚訓練、触覚訓練、(経験段階・情緒の価値))」、素材(構造、テクスチェア(外部的な表面効果)、表面処理、マッシング)、責任、創造の自由、装飾 etc.
■□視覚的造形□■
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色彩の造形(Gestaltung
der Farbe)
色彩と明度の純粋な相互関係であり、音響関係の造形としての音楽に類似したものを見ることが出来る。生物的なものに依拠する。
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描写の造形(Gestaltung der Darstellung)
外から写して描き出されたもの、連想的内容をもった対照的なもの、の関係。音響造形において音楽のほかに言葉が存在しているようなものである。文化などに依拠する。
⇒かつては絵画において統合されていたのもが、写真の登場によって以上のように分割されてしまった。そこから絵画・写真ともに新たな視覚的造形へと進む。
〈当時における視覚造形の問題〉
対象的絵画と無対象の絵画、板絵、構築的関連における色彩造形、「総合芸術作品」、静止的視覚造形と運動的視覚造形、顔料と光
■□絵画と写真について□■
○◎絵画◎○
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顔料が材料。静止的視覚造形。
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色彩と形の中に現実を移す=形象による描写のうちに幻想を留める
⇒絵画
↑周囲の自然現象と人間精神の表象を何とかしとめたいという願望から。
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「テーマ」とかかわりなく色彩の調和と明暗関係を通して作用すべきである。
→このように絵画は、その絵画的価値を判断できる充分な基礎を提示できている。
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色と対象性
→色彩がそれ自体のうちに「対象」を含んでいる→対象はいまや必要ない
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時代と「絶対絵画」の持つ構成要素
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今までの絵画的描写方法にかわり、拡張の可能性を持つ
機械的描写方法が割り当てられることを要求しなければならない。→写真への期待
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生理学的な前提に立ち返ること→主観的なものへの懐疑
→立体派、構成主義
○◎写真◎○
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光が材料。運動的視覚造形。
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絵画を色彩と平面という基本的手段の認識に導いた。
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目では知覚できないかあるいは受け入れられない存在を、写真によっていわば「目を、より完全なものにできる」―偶然の撮影(俯瞰、仰角、斜方)
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写真の光学像を表象像(Vorstellungsbild)へと知的経験が補完する。
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再生産のみに用いられている機械(手段)を生産(生産的造形)に用いるべきである。
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「フォトグラム」:いろんな仕掛けを持ちいて、光を最初の道から屈折させる。
→光造形(Lichtgestaltung)の可能性を開く。
Ex. レントゲン写真
※ または遠近法的描写を排除したカメラ・オブスクーラーも同様の効果を得るのに有効である。
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写真も描写芸術となりえるので「芸術」になりえる。
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さらに映画は静止した写真よりも高次の差異可能性をしめす。形態、透過、明暗連関、運動、テンポ、の緊張。
「一般に色彩(と音響)を伴う映画造形の成立によって、歴史に根ざす模倣絵画は純粋な色彩関係のために対象的要素の描写から確実に解放されるそしてよい。そして現実的あるいは超現実的あるいはユートピア的表現と対象描写の役割―これまで絵画によって引き受けられていた−は、その手段のために厳密に組織された写真
(映画)によって引き継がれることとなろう」
(L.モホイ=ナジ(利光 功訳)「写真的 手順の 未来」『絵画・写真・映画』中央公論美術社,1999,p29,30)
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■□〈見ること〉について 〜考察にかえて〜□■
宮川淳は、著作集1の中の論文、「見ることについて イメージ論のためのデッサン」で、「〈見ること〉の根源的な可能性、それは言語へと赴く」としている。デッサンと現代詩(暗唱されることよりも読まれることが多い現代詩の性質において)を比較し、それらのフォルムを支えているもの、彼はそれをヴィジュアルな体験(光、空間そして鏡の感覚)としている。つまり、彼は「言語の存在そのものがイメージなのであり、イメージとは根源的に我々の〈見ること〉そのものの自己形象化なのだ」と主張しているのである。これは「見ないことの不可能性」を意味している。そのため「むしろイメージは視覚に先行し、見ることの可能性そのものを根源的に基礎づける」のである。「エリクチュールにおいて、それまで透明であったかのような言語の存在があらわれるように、エリクチュールを不可避にするものが、またデッサンを可能する」と彼はいう。つまり、「言語がまた画家を可能にする」というのである。
モホイ=ナジはアーティストの個人的領域に注目するよりも「表現のABC」といった、客観的な手法にこだわった。また、彼は新しい技術を率先して
創造的生産に用いることで、人々を、そのテクノロジーに使われるのではなく、使う立場にしてゆこうと試みていたように思われる。
「今日の芸術家の義務は、生物学的機能のまだ知られていない領域に分け入り、工業社会の新しい側面を研究し、新しい発見物を我々の感情方向へと翻訳することにある」
「私はエモーションのうちに集団に対する個人の慎重につちかわれた仕切しかみていなかった。(中略)私は長い間教師だったので、いま、エモーションを大きな結合体、反射され我々に答え保たれる熱光線とみるようになったのだ」
(L.モホイ=ナジ(利光 功訳)「オット・シュテルツァー モホリ=ナギと彼のヴィジョン」『絵画・写真・映画』中央公論美術社,
1999,p147)
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現代において、私たちにとって芸術とは何であろうか?芸術家の義務とは?モホイ=ナジによってその問いへのアプローチは開かれたかに思えるが、そのような問いをたてるには彼のようにある明確な意志に基づく実践の積み重ねが必要であると思われる。彼はデュシャンのように芸術とは何か?という問いもたてず、今でいえばハンス・ハーケの様に、我々を取り巻く制度そのものへの問いにも向かわない、あくまで「人間」そのものを問題にし、生活と芸術の一致を目指すデザイナー的立場を歩んだように思える。しかし、彼の、新たな技術への、そして新たな素材、空間、光への実験を考えると、彼はデザイナーでもあったし、芸術家でもあったと思う。モホイ=ナジは私たちすべての人に「才能がある」と言っている。しかし私たちすべてが芸術家になれるわけではなく、「くだらない"芸術家"になるならば、新しい理念と制作を持って社会に寄与し、生活するデザイナーとして自己を知ってほしい」としている。彼の考え方や実践は今の時代においても忘れてはならない大事な行いではなかったかと考える。
参考文献
- シビル・モホイ=ナジ『モホイ=ナジ―総合への実験』
下島正夫、高取利尚訳、ダヴィッド社、1973年
- モホイ・ナジ『ザ ニューヴィジョン―ある芸術家の要約』
大森忠行訳、ダヴィッド社、1969年
- L.モホイ=ナジ『絵画・写真・映画 バウハウス叢書〈8〉』
利光功訳、中央公論美術出版、1993年
- L.モホイ=ナジ『材料から建築へ バウハウス叢書〈14〉』
宮永久雄訳、中央公論美術出版、1992年