アメリカへの移民の歴史

発表日:平成13年11月7日
担当者:市川純子
〈動機〉

  どうして世界中は平和になれないのかと考えた時、その一つの要因に人種や民族の違いが挙げられる。このことから私は以前より人種・民族に関して大きな関心があった。現在、交通が発達して、私たちはいろいろな国に簡単に行くことが出来るようになったし、日本にも多くの外国人が生活している。日本で暮らす彼らは少なからず差別を感じたことがあるだろう。どうしたら皆が気持ちよく暮らしていけるのだろうか。
  私は前期に都市に興味を持ち、研究してきた。都市と言っても建築や自然、交通など、そこには様々な要素がある。その中でも私は人中心に考えていきたいと思っていた。SAではアジア系の人々の多さに驚き、NYでは人種の多さに驚いた。そして、大きかった都市というテーマを絞って、移民について取り組もうと思った。
  今回はアメリカについて考えてみたいと思う。移民の国と言ったらアメリカが思いつくし、私の海外経験の中ではアメリカが一番豊富であるからだ。 ニューヨークの中心を成しているのはマンハッタン。

 

〈研究〉
移民の歴史的区分

  アメリカ大陸がヨーロッパ人によって発見されてから今日まで、大まかに言って4つの時期に分けられる。

  1. 入植・植民地時代(17〜18世紀)
             イギリス・北アイルランド・オランダ中心のヨーロッパ人

  2. 旧移民(〜1880年)
             西・北ヨーロッパ人
               ……ドイツ・イギリス・スカンジナビア・南アイルランド
  3. 新移民(1880年代〜WWU)
             東・南ヨーロッパ人
               ……イタリア・ユダヤ・スラブ
  4. 新々移民(戦後〜)
             アジア・ラテンアメリカ・難民


18世紀末の民族構成
  1790年連邦統計 合衆国人口  白人80%  黒人20%

             白人       イギリス人  約60%
                    アイルランド人  7.8%
                        ドイツ人  7.0%
                    スコットランド人  6.6%
                       オランダ人  2.6%
                       フランス人  1.4% 

 

19世紀の大量移民……ヨーロッパからの脱出

  19世紀にヨーロッパ各地(イギリス、アイルランド、ドイツ、スカンジナビア、イタリア、ポーランドなど)から大量の移民が渡米した。これにより、アメリカは今日のような多民族国家としての合衆国になったのである。

大量移民発生の要因

  • ヨーロッパの人口爆発
  • 農業の変容(農業の近代化と凶作)…アイルランド人、ドイツ人、スカンジナビア人、ポーランド人、イタリア人
  • 革命と弾圧(政治的迫害)…フランス人、ドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人
  • 宗教的迫害…ロシア系ユダヤ人(19世紀の宗教移民の最大勢力)

  渡航者数急増を可能にした技術的側面は大型客船である。19世紀中頃までは移民は貨物船を利用していたのである。
  ヨーロッパを出る移民はアルゼンチン、カナダ、オーストラリア・ニュージーランドにも向かったが、アメリカへの移民は出身国の多様性という面で特徴的であった。

1870年の民族構成
    旧移民    86%
         ドイツ移民     30%(294万人)
         アイルランド    28%(276万人) 
         イギリス      19%(188万人)
         スカンジナビア諸国 4%(35万人)  

 

  1880年代から新移民の到来が顕著となった。新移民としての最も大きな民族集団はイタリア移民、ユダヤ移民、ポーランド移民などのスラヴ民族であった。1890年代には新移民が旧移民を数で上回り、1907年には128万5349人を記録してアメリカ移民史上最大のピークを迎えた。
  20世紀の移民は単なる脱出だけでなく、新たなる出発でもあった。プッシュ要因だけでなく、雇用と成功への希望という、プル要因もあったのである。(19世紀のゴールドラッシュによる黄金郷のイメージなど)
 移民はアメリカに多くの文化、産業を持ち込んだが、なかでも農業技術や中国人などの移民労働力による鉄道の建設は重要である。

 

旧移民と新移民の対立

  旧移民と新移民には大きな隔たりがあった。旧移民の大半がプロテスタントだったのに対し、新移民はカトリック教、ユダヤ教、ギリシア正教徒であったし、アジアからの移民も勿論非プロテスタントであった。また、旧移民は家族で移住し、開拓農民になることが多かったが、新移民は単身渡米し、工場や都市に出てきた。(入植可能な土地が枯渇したためフロンティアが消滅し、出稼ぎ型の非熟練労働者が増加した。彼らは定着意識が弱く、アメリカ社会に同化しようとせず、都市で自国の文化・習慣を維持した。)
  新移民に対する敵意が1880年代に生まれ、同時にアメリカ人の国民意識が形成された。敵意は1890年代の国民意識昂揚の時代に広まった。移民の合衆国への同化をはかるグループがあった(進歩派)一方で、KKKは反黒人、反カトリック、反ユダヤの暴力的キャンペーンを展開した。19世紀末に移民反対をした者はWASP、人種差別主義者の他に、労働組合指導者(アメリカ労働連盟など)や安価な移民労働との競合を心配した黒人指導者も存在した。

 

移民制限−新移民はアメリカ経済・社会にとっての驚異である

  19世紀の大量の新移民到来→フロンティアや工場での移民数の飽和
  経済のスピード鈍化
  二重のアイデンティティ→アメリカ人としてのアイデンティティ
               ↓
            民族選別政策

1875: 最初の移民法  売春婦・犯罪者の入国禁止
1882: 移民法改正   精神障害者・白痴・罪人・生活保護対象予想者の入国禁止
      中国人排斥法 中国人移住者一切禁止
1885: 外国人契約労働者法  外国人契約労働者の募集禁止
1891: 移民法改正   一夫多妻者・伝染病患者・貧民・前科者の入国禁止
1903: 移民法改正   外国人無政府主義者の入国禁止
1907: 移民法改正   同伴者なしの16歳未満の子供入国禁止
      日米紳士協定  日本移民の入国制限
1917: 移民法改正   識字テスト法成立
                 アジア人入国禁止
1921: 移民割当法   国別移民数の上限設定
                 (1910年を基準年とし、各国出身者数の3%が各国移民数の上限)
1924: 移民割当法  (1890年基準年、3%→2%に)

  中国人排斥法で選別基準が国籍・人種も含まれるようになった。この法は1943年廃止された。真珠湾攻撃後、中国はアメリカの同盟国になったからである。
  中国人・日本人排除の理由は経済的理由と人種差別であった。その後排除の対象は南・東ヨーロッパ移民にまで拡大する。(反カトリック、反ユダヤ)
  識字テストは新移民を差別する手段であった。19世紀末の文盲率は旧移民(ドイツ、スカンジナビア、イギリス、アイルランド人)で5%未満であったのに対し、新移民はかなり高かった(イタリア人46.9%、ユダヤ人25.7%、 ポーランド人35.4%、スロヴァキア人24.3%)。
  割当法は東西からの移民を激減させたが、アメリカ大陸諸国に対して上限は設定されなかったため、南北からの移民の流れを引き起こした。1920年代には50万人のメキシコ移民がアメリカへ入国した。今日の米国ヒスパニックの6割がメキシコ人、またはメキシコ系アメリカ人である。
  1920,30年代に移民への冷遇は頂点に達したが、第二次世界大戦(1939〜45)で黒人らが軍に参加したり、大量に難民が流入したりすると、文化的多元性に対して寛容になり、支持されるようになった。そして1965年に割当法は廃止され、人種的基準はなくなった。


1965: 移民法   アメリカ市民・移民の家族に最優先基準
1990: 移民法   移民数の上限引き上げ54万人/年→70/万人年
             家族優先→専門技術者優先
             共産主義者。「性的逸脱者」の受け入れ禁止廃止

 

戦後におけるアメリカ移民の特徴(新々移民の出現・急増)

@ 難民の流入

  • 東欧、ソ連などから大量に難民が到来した。これは第二次世界大戦終結と植民地独立に伴う政治的再編による。(世界規模で難民が発生。)
  • 1968年(キューバ難民)、1978年(インドシナ難民)にアメリカへの移民 数急増。

  アメリカへの難民は入国後にアメリカ永住権を獲得するものが多い。これにより、法的地位は難民→移民に変わる。第二次世界大戦後、アメリカは230万人以上の難民に永住権を与えてきた。(日本は1978年以降7000人程度。)

A 移民出身地域の大変化

  1965年の国別割当制度の廃止により、人口に対してヨーロッパからの移民の占める 割合は減少し、アジア、ラテンアメリカからの移民が増加した。特に1970年以降はアジアからの移民が急増した。
  1980年代のアメリカ移民の出生国は、ヨーロッパ10.5%、アジア42.9%、アメリカ43.3%である。

B不法移民

  1970年代以降は不法外国人労働者が目立ち始め、1986年時点での不法入国者または不法滞在者は300〜500万人、1000万人以上だとも言われた程である。
  1952年の移民帰化法では非合法移民に罰金2000ドルまたは5年以下の懲役が科せられるようになった。ただし、非合法移民を雇うことに罰則規定はなかった。

 

 
まとめと考察

  以上のようにアメリカの移民について過去から見てみると、移民と言っても改めて本当にいろいろな種類の人間がいて、様々な要因があったと言うことが分かる。政治、宗教、民族的な迫害からの逃避などが理由としてあげられるが、経済的要因はかなり大きい。それにしても交通が発達していなかった時代に移民した人の立場になって考えてみると、自分の国を一時的にしろ捨て、全く新しい国にやって来ると言うことは相当の決意や覚悟が必要だったはずである。
  第二次世界大戦後にアジアやラテンアメリカからの移民が増えると、アメリカには新たな問題が起こってきた。エスニシティの問題として、それまではマイノリティ対マジョリティの対立が主流であったが、最近ではマイノリティ同士の対立が起こってきたのである。 特に黒人とヒスパニックの関係がこれに当てはまり、後からやってきたヒスパニックの方が経済的な成功を収めているため、黒人にとっては不満の一因となっている。人種の違いも含めて、深刻な問題である。
  また、不法移民や難民の流入はなかなか解決できない問題である。彼らの入国によって、社会保障制度に影響が出て来るであろう。不法移民は基本的に社会保障を受ける権利はないのだが、難民に対しては難民制作の理念からして多くの支援が必要となり、財政を圧迫する事になる。
  現在、メルティング・ポットからサラダボールへとアメリカを表現する言葉が変わったように、過去には文化の融合(同化)が唱われていたのが文化的多元主義としての多様性が支持されるようになった。一見これは良いことだと思われるが、国家のまとまりやアイデンティティが損なわれないかと言う懸念も生じてくる。しかしアメリカには「自由」という共通の意識や星条旗、大統領などのシンボルがある。アメリカには民族や文化的には統合されることはなくても、それに変わる、人々をまとめるものがあると思う。
  これからアメリカにおける移民はどのように変化していくのであろうか。

 

 
議論したいこと
  • アメリカは移民を制限するべきか、それとも移民に対していつまでも寛容であるべきか。
  • 多元主義は成り立つのであろうか?差別の問題はいつまでも無くならない。アメリカでも移民たちが保持しようとしてきたものに宗教や母国語があるが、現代のような社会変動が活発で移動性が高い時代に英語以外の言語の維持は非常に困難であるように思われる。宗教に関しては、例えば今回のような戦争が起きるとアメリカ内のイスラム教徒は非常に暮らしにくくなるのではないだろうか?



用語
KKK(Ku Klux Klan)
南北戦争後白人優越の維持のために米国南部白人は組織した反黒人の秘密結社。1920年頃に復活し、反黒人ばかりでなく、反ユダヤ、反国際主義、反社会主義を唱えて過激化した。
WASP(White Anglo-Saxon Protestant)
アングロサクソン系プロテスタントの白人。アイルランド系、ユダヤ系、黒人などに対して、米国への初期の入植者の子孫を指す。
白痴: 知能の程度がきわめて低いこと。

無政府主義: 
国家など一切の権力と強制を排除し、個人とその集団の自由を全く拘束することのない社会を実現しようと主張する政治思想。アナーキズム。 

 

 

参考文献
ナンシー・グリーン『他民族の国アメリカ』
リチャード・キレーン『図説 アイルランドの歴史』