文化多元主義
〜アメリカがかかえる多様性〜


発表日:平成13年12月15日
担当者:市川純子
〈はじめに〉

  アメリカ合衆国というひとつの国家の中に、複数の民族・エスニシティが存在している。だから、民族的な対立や争いが生じてきてしまうのは避けられないことである。しかし、だからといって、それらの問題を放り出してしまうのではいけない。複数の文化や民族が共存する方法を探し出すことが必要なのである。その中のひとつが多文化主義である。世界の多くの国々は異なった諸民族で構成されているのが現状であるから、ひとつの民族だけで純化しようとしても、必ずそれは達成し得ない。思うに、共存のみが問題の解決策である。だからこそ多文化主義の可能性を考えていかなければならないのである。



〈多様性をかかえるアメリカ〉
アメリカ合衆国

17世紀にイギリス植民地として始まり、18世紀末に植民地が独立して発展した国
→イギリス系が主流を占めてきた。後の移民達はアングロ・サクソン文化を吸収してアメリカ人となった。

二世・三世の移民
多くの文化変容(アメリカ多数派の言語・教育・技術・生活様式全般の取り入れ)
二世
・主に英語を話す。
・改名する人が多い。
  例:ハーシュコヴィッチ → ハーシュボーディンスキー → ボーデンルゲロ → ロジャーズ
・宗教・信仰やそのしきたりを厳格には守らず。(ただし、完全に改宗する人は稀)
三世
・英語が母語になる。・変容が進む中、伝統的な宗教に戻る傾向が見られる。

 

外見上・日常生活では二世・三世は見分けがつかないかもしれないが、移民が故国から持ち込んだ価値観や行動様式は二世・三世に受け継がれた。     例:イタリアからの移民の家族重視
    ↓
同化は進んだが、完全なる同化は不可能。
エスニシティは残り、重要な役割を果たす。


移民とアメリカの関係
アングロ・コンフォーミティ 主流のイギリス的要素に
移民が一致(順応)する。

A+B+C=A
アメリカナイゼーション
(アメリカ化)が前提
融合(るつぼ) 多様な住民が
"新しい人間・アメリカ人"となる。

A+B+C=D   
文化多元主義(多文化主義)
(サラダ・ボール、モザイク)
多様性の認識。様々な人種・民族集団の調和的共存を理想とする。

A+B+C=A+'B+'C'

文化多元主義

*アメリカにおける文化多元主義

人々の多様性を保ちつつ、国家などの政治機構が統一体として機能していくための一つの理念型を指し示すもの。

移民――政治的な側面においてのみアメリカ市民になればよい。
文化、宗教、民族的価値体系などの側面においては、自らの出身地からの持込が認められる。
              ↓
国家統合のために要求されるものは強烈な愛国心。

アメリカ多元主義の原形・・・建国当時のペンシルヴァニア州

(ヨーロッパ系移民の個々人がアメリカ国家への忠誠を誓い、政治参加を果たしさえすれば、自己の民族文化や宗教を保持し、子孫に伝えていこうと、かまわずメン
バーシップを付与しようというもの。)

* るつぼが非難され、文化多元主義が支持される理由

否定的な語 敵意の原因・・・アメリカ化の強制
現実としてありえない神話である
WWU・・・民主主義vs全体主義のイデオロギーの争い


→文化多元主義はアメリカの理念のための必要条件
   同化=文化的抑圧という認識

* 文化多元主義の曖昧さ

 

〈終わりに〜アメリカの課題〉

アメリカは文化的に多様な国である。なぜそんなに多様性には価値があるのか。

  • 多様性による興味深い世界や文化の創造。

  • 社会組織の代替モデルを含む。モデルは新たな状況に適応する際に効果的。 このように価値ある多様性を認めていくことが時とともに主張されるようになった。


現在のアメリカ多文化主義は全能ではない。曖昧で多義的。
  →多くの矛盾と困乱。

この解決がアメリカの課題。
アメリカの多様性が複雑化することにともなう、求められるものの変化。 スローガンであった文化多元主義→厳密な内容


多様性と共通性のバランス

  • 統一の危機の重視
  • マイノリティの社会的境遇の重視
テロ事件によるアメリカ市民の結束→マイノリティの立場・境遇への重視?

 


〈用語解説〉
多文化主義(multiculturalism)

政治的綱引きの中で、特に教育の場面での人権、エスニシティ、宗教、性別、性的志向、言語らの多様性尊重の動きを指す概念。

文化多元主義(cultural pluralism):
多様性をかかえる社会統合のための代表的な抽象理念。


エスニシティ(ethnicity)

それぞれのエスニック・グループとその構成員は特徴的な性格を保持する。(客観的属性(身体的特徴、言語、信仰、生活習慣など)と主観的属性(帰属意識、自己認識など)を持つ。)このような性格の総体が通常、エスニシティと呼ばれる。また元来、人種的・地縁的・共同体的アイデンティティに基づいた集合体、ないしその結集原理をさしている。1972年に初めて辞書に載ったとされる、比較的新しい言葉。

民族とエスニシティの違い

民族とエスニシティの違いについての定説はないが、最小限の共通認識として、国家権力への志向を明確にする場合が民族であり、一国内において文化的独自性を確認しようとする場合がエスニシティである。エスニシティは国家民主主義の虚像を自ら剥離し、分極的自立化=主体化への歴史的実験を内在化している。それは民族―国民―国家の主権連鎖への挑戦でもある。

 

〈参考文献〉
宮本倫好 『アメリカ 民族という試練』 筑摩書房 1993
宮本倫好 『アメリカ もうひとつの顔』 三修社 1983
エマニュエル・トッド 『移民の運命』 藤原書店 1999
デリック・ベル 『人種主義の深い淵』 朝日新聞社 1995
明石紀雄、飯野正子 『エスニック・アメリカ』 有斐閣 1997
初瀬龍平 『エスニシティと多文化主義』 同文館 1997
中野秀一郎 『エスニシティと現代国家』 有斐閣 1997
コンサイス 『20世紀思想辞典』 三省堂 1997