メイプルソープとセクシュアリティ

発表日:平成13年10月31日
発表者:松田 尚吾
@まえがき

  私は今年の夏休み、森村ゼミニューヨーク合宿を通じてニューヨークの多くの美術館を見て回った。 日本ではまずしないであろう美術館のはしごをしたりもした。ある程度の予備知識は日本で勉強していたので 、それぞれの美術館の放っているオーラに驚き胸を躍らせることはなかったが、それでも私には異様に感じた。 そんなとき、ホイットニー美術館で、ある写真家の回顧展のプログラムを目にした。その内容はすさまじく 、一瞥してすぐに嫌悪を感じた。周りの目を気にしてプログラムを閉じたのだが、私のマトリクスが揺れ動き、 もう一度そのプログラムを開いてみることにした。すると先ほどとは違う感覚が私の身体の中を流れ始めた。 静と動、男と女、黒人と白人、美と裸。研ぎ澄まされた写真に、私はたおやかだが一点のなにか強いものを感じた。

  彼の名はロバート・メイプルソープ。日本はもはや、世界で有名な写真家である。同性愛であることを告白し、 人間の<性>の部分を作品にした写真家であった。けれども神話化された伝説のように彼はエイズで死んで行く。 その死によって彼はまたたくまのカリスマ性を手に入れることができた。しかし、彼の死後問題は起こった。 ワシントンDCのThe Corcoran美術館で行われる予定だった、ロバート・メイプルソープの回顧展 が彼の作品に含まれている卑猥表現のため中止になったのだ。こんなことはアーティストとしても、美術館としても 異例のないことで衝撃的であった。ここで私が問題にしたいのは、美術史家たちがその遺品を守るために、 それが断じてポルノグラフィーではなく芸術なのだと力説しながら、美学という城壁に囲まれた美術館という 棺桶の中に大切にしまい込んでいたものが、裁判沙汰となって生き返ってしまったことである。

  私のテーマである美術館論として今までは美術館の内や外を考えてきたが、展示品自体を考えることはなかったので いい機会だと思いメイプルソープを取り上げた。また、最近の授業でもセクシュアリティーの問題が話題に上っているので 「芸術とエロティシズム」についても考えていこうと思った。


Aメイプルソープ裁判の概要

  この裁判の発端は1989年6月に起こった。この回顧展はフィラデルフィア現代美術館主催で175点の 彼の作品とともに全米各地を巡回する予定だった。コーコラン美術館の館長は中止の理由を、彼の写真が 「ホモセクシュアルやサドマゾヒスティックな、明らかな性表現を含んでいたため」とした。 この開催中止の決定は、美術家たちの同美術館への激しい反対運動、ボイコット運動へと展開する。 また、この問題は政府の芸術助成金制度の是非、検閲問題、「表現の自由」の憲法問題にまで広がっていった。 結局同美術館は、開催元であるフィラデルフィア現代美術館がワシントン計画会と協議をした結果、 ワシントン計画会の名においてワシントン市街ので行われることとなった。 けれども論争はこれで終わったわけではなかった。

  翌年の1990年3月、オハイオ州シンシナティの現代美術館でメイプルソープの同展覧会が開催されようとしていた。 ところが、市民の一部が「ポルノ写真を展示するとは何事だ」と開催の中止を求めて激しい反対運動を開始した。 シンシナティの市民団体の委員長は「展覧会そのものが悪いのではない。我々の税金によって運営されているにも 関わらず、そういった作品を公衆に開放することを決定した現代美術館にこそ、責任がある」と述べた。 この運動に触発され、オハイオ州の検察は同展覧会の開催は卑猥罪にあたるとして、シンシナティ現代美術館 とその館長を告訴した。美術館は真っ向から対立し、展覧会を強行しようとした。展覧会初日の4月7日、 警察はその開催を中止するために強行突入した。何千人もの検閲反対者が「ファシスト!」「ゲシュタポ帰えれ!」と 叫ぶ中で、警察は同日、美術館を封鎖した。ところが、シンシナティの連邦地方検事が刑事裁判の判決を待たない 封鎖は認められないとしたため、展覧会は閉鎖を解かれ、無事に5月28日までの展示を終了することが出来た。

  この騒ぎの拝啓には、オハイオ州シンシナティが歴史的にアンチ・ポルノ派の勢力が強い都市ということがある。 この町は別名、ポルノ撲滅都市(porn-busting town)との異名をもつ。そのため、町には成人映画館は一つもないし、 ましてやトップレスバーなどのいかがわしい店は存在しない。がちがちの保守派の町であった。同年4月に 起訴が確定したことにより、この裁判はアメリカ史上初の「美術館の展示内容の社会的責任を問う刑事裁判」 というテストケースとして位置づけられたのだった。

  公判において、判事は陪審員に7枚のメイプルソープの写真を見せることを許した。この判断がはたして公平であったか という点でも論議は尽きない。検察はその写真が明らかに卑猥であり、単なるポルノであることを主張した。 弁護側の主張は、この作品は芸術であり、憲法で認められている表現の自由の範疇に入るというものであった。
この結果、1990年10月5日、陪審団は卑猥罪に問われたシンシナティ現代美術館と館長に無罪判決を下した。

  このメイプルソープ裁判では「表現の自由の範囲」という根本的な問題と共に、「政府の芸術助成金の是非」 という問題が裁判と平行して激しく論争されることになった。

 


Bメイプルソープのイコン

  メイプルソープのビジョンはさまざまな歴史の写真家に負うところがあり、それは彼の作品にも反映されている。 クローデン・リンス、モリニエ、ホワイトなど頻繁にメイル・ヌードを探求してきた写真家を彼は熟知しており、 彼自身の作品の中には、これらの写真家に対し明らかに敬意を表したものが多い。また時代も70年代後半の 卑猥なメイル・ヌードとスティル・ライフのイメージの混合によって刺激的な並列が作り出された。 そんな時代はメイプルソープの性的に明瞭な作品作りに適していた。性的自由のプレ・エイズ時代だったので、 ストレートの人々にとってもゲイカルチャーに触れてみるのがトレンドであった。

 


C「表現の自由」また卑猥とは

  アメリカ合衆国憲法における「表現の自由」の保護がどこまでおよぶのであろうか。メイプルソープ裁判と重ねて考えてゆきたい。 「表現の自由」の規定は年を追うごとに改正されてきた。メイプルソープ裁判の時の基準は次のとおりである。

「その表現内容が、明確な意図を持って、暴力や法違反行為を扇動していて、害悪が発生する危険が存在する時のみ、 表現の自由は制限される」

  すなわち、表現の内容とそれがもたらしうる結果の双方で判断される、ということになっていた。では、具体的には どのような表現内容が規制の対象となるのだろうか。代表的なものに、敵対的聴衆に対した時の喧嘩的言葉・ 不快な言論・名誉毀損・プライバシーの権利侵害・差別的表現・卑猥的表現などである。

  ということで、卑猥的表現も表現の自由の範囲外とされていることになる。根本となる問題はやはり、 「何が卑猥的表現なのか」である。卑猥的表現の定義は裁判当時次のようになっていた

「@通常、人にとってその時代の共同体の基準を適用して、その作品が全体として・好色的興味に訴えているか。 Aその作品が明らかに不快な手法で州法によって特定的定義された性行為を描いているか。Bその作品が 全体として重大な芸術的、科学的価値を欠いているか、という三つの基準によって卑猥かどうかを判断すべきである」


  つまり、これによれば表現の自由の規制は、ハードコアポルノに限定されたわけである。

  1990年のメイプルソープ裁判で中心となった問題は、表現の自由の範囲に関するものであり、 それを決定する決定的要因は、彼の写真が卑猥なポルノ写真なのか、それとも芸術写真なんかという二者択一の 判断であった。ここで日本と違う点は、卑猥表現の定義でも分かるとおり、単なる普通のポルノならば、 アメリカでは何ら咎められないということである。日本では、性器が見えているか、見えていないか、が決定的な要因となる。 この定義は非常に分かりやすい。視覚的に判断すればよいからである。それに比べ、アメリカでは、性器を写すことに 対しては規制はないかわりに、度の超えたものは処罰するという曖昧な取り決めがある。 具体的には、幼児のヌード、強姦、死姦写真がその典型である。けれども、これらの具体例が規制されるのかと いう問いかけは、なぜ卑猥表現が表現の自由の保護を受けないのか、という疑問が生じる。政府側は 「政府は社会の生活の質と共同体の全体的環境に対し、公衆の有する権利を保護しなければならない」と反論した。

  ここで問題にしたいのは、「卑猥」が法律的に罰せられる罪なのかということである。これが卑猥なのか、 卑猥ではないのかをい判断するのは、あくまでも個人が判断すべきことであって、お上の役人が決めるものではないのではないか。 「卑猥」という観念そのものは確かに存在する。羞恥心も何処か似ている。一人一人の心の中にそういうふうなものが起きることは間違いない。 「卑猥」という観念そのものは非常に曖昧なもので、個人の判断に任せるべきものなのに、公権力が何らかの形で 規制すること自体がおかしいと思う。

  彼は写真芸術に、初めて黒人の裸体を本格的に持ち込んだ白人フォトグラファーとして記憶されるであろう。 彼が撮影した黒人男性のペニスはどれも大きく太く長い。そして重要なことに彼がそれを考えられうる限り、 最高に美しいライティングで撮影し、ことさら大きなプリントで引き伸ばしたことだ。

「花を撮るようにペニスを撮影し、性器を撮るようにフラワーを撮影した」

  メイプルソープの一連の作品に関して与えられる表現である。いづれにせよ、彼は黒と白のコントラストで構成される モノクロームの写真にうってつけのモチーフとして身体的特徴にあふれた黒人を選んだ。 「信頼」が不可欠だったとはいえ、白人が主人である社会的ヒエラルキーのなかでは、一般には黒人は隔離されて物象化 しやすい。この傾向を彼の制作の過程で利用していないと明言することはできない。

  それと彼の功罪の一つは、写真をあまりにも高尚なファイン・アートの世界へと移行してしまったことにあると 思われるが、その美しすぎる写真の中で男を誇示する、勃起ペニスを「美」として認知させてしまったことも 彼の輝かしい業績だったはずである。通常ファイン・アートが勃起したペニスを描写しないことは 暗黙の了解事項であると同時に、勃起したペニスの「美しさ」がおおかた凡俗アート表現を凌駕してしまうことくらいは 男なら誰でもわかる。勃起したペニスと二つの金玉の作り出す、三位一体の写真の構成が原理となったとき、 メイプルソープは他のどのアーティスト達よりも勝っていたのである。

  70年代のNYの42strはポルノ産業のメッカとして「ポルノ」が「アート」を凌駕していた。 そんなハードゲイ、マッチョマンの全盛期も80年代を通じて根こそぎにされていた。無論、その神話崩壊 に拍車をかけたのはエイズであった。エイズが明らかになった80年前後は70年代に華々しく進行していった 性革命の産業の分岐点である。NYのナイトクラブでは、ホモセクシュアル向けの快楽ゾーンが確立され、 文字通り体液を交えた交歓が極限まで追求されてゆく。そこに一つのピリオドを打った形で エイズの流布が始まった。状況は一変する。体液の交流はタブーとされた。病によるダメージを受けたメイプルソープ の光景はここぞとばかりに保守的なメディアによって名声への裏返しとして皮肉たっぷりに伝えられた。 けれど重量なのは、メイプルソープ級の「セレブリティ」がエイズによって破壊されてゆく、生の映像が リアルタイムでもたらされたことにあったとおもう。NY社会が産んだ世紀末の大スター・アーティストの 伝説をリアルタイムで追う「興奮」のようなものである。メイプルソープの死をもってある伝説は終幕を迎え、以後エイズの認識も大きく変わりはじめていた。

  さらに推し進めて「卑猥」は何故にいけないのであろうか。卑猥的表現を見た人が性犯罪(レイプまたは殺人) を起こしやすいという、性犯罪と卑猥的表現との間の密接な関係を、政府自身が暗に認めていることも先ほどのように示している。 つまり、性犯罪抑制のために表現の自由の規制をしているのだ。本当にそうなのだろうか。 日本の場合、戦前には、「卑猥=悪」で全く疑いがなかった。戦後になって初めて「表現の自由」ということから、 ようやくその観念が薄れてきた。けれど今でも、卑猥は悪い、風俗を害する、と非常に抽象的なことが まかり通っている。だが、卑猥は何故悪いかという議論がない。つまり議論がないことが問題であると私は強く感じる。

  ある説には卑猥物の販売を通じて暴力団の資金源に繋がるというのがある。けれども、現在そういったものが 規制されているからで、自由化されれば、暴力団は困る。暴力団はポルノの自由化に反対するはずと言う人もいる。 そういうものが自由化されると、かえって困ってしまう人も出てくる。卑猥物=禁制品を見ているというセンセーション。 心ときめかせる部分が悔しいけれどある。それを利用することによって、何となくインパクトがあるように みせかけようと言う人もいる。だから、表現のレベルで、かえって自由化したらまずいのではないかという変な懸念もある。 隠したほうがいいのではないかという、覗き見的趣向を煽るために。

  隠す中にエロティシズムを感じるというタイプがいるのも当たり前だが、メイプルソープは逆に、開くことで 人間の存在を語るタイプもいるということを忘れてはならない。つまり性器を見せるか見せないかは 作家一人一人の判断に任せておけばよいのではないだろうか。それは人間としての倫理上をふまえてのことだか。 今のところは、一方的に開く側が否定されているわけで、それではあまりに不公平ではないだろうか。


Dまとめ

  メイプルソープは「時代の子」であった。作られてゆく時代の子ではなく、崩壊し再構築されなければならない 世界に突入する「時代の子」であった。彼が鋭い直感で感じ取り、欲望し展開したことを時代は受け止めてしまった。 彼は写真というメディアを完全にファイン・アートのマーケットに参入させた。そしてタブーとなっている ホモセクシュアル、SMの儀式、黒人のヌードを賛美するかのように、美しい形式に表現し、自らもそうで あることを隠そうとしなっかった。芸術における社会的問題の扱い、そして性の表現に新たなスタイルを確立したことの 彼の写真はただ審美的なものでもない。

  彼の作品の品格というのは彼が単にスタイリッシュだったからではなく、写真の限界に対して誠実だったからだ。 写真には物体の表面しか写らないということ。写真を撮るのは自分でも、写真に写るのはあくまでも被写体であり、 自己ではないということ。そのような写真の限界と残酷さを知り尽くした上で、写真以上のことを決してしないこと。 それほどのクールさをもってエイズに発病した自らを被写体として選択したからこそ、そのポートレイトは ナルシズムやヒロイズムをぎりぎりのところで逃れ、写真でしか、セルフポートレイトでしか出来ない 写真の限界をセルフの残酷な矛盾の記録として限界を露呈した思考の対象としているのではないだろうか。

  私は彼を通じて「卑猥」とはなんたるか、「芸術」とはなんたるかは改めて考えさせられた。結局は 自己の判断でそれは決まりうるものだと自分の中では理解したが、本当にそれでよいのだろうかと、 まだ疑問の余地は残っている。


参考文献
メイプルソープ:パトリシア・モリズロー著 田中樹里訳 新潮社
別冊宝島217 <図説20世紀の性表現>
別冊宝島EX<写真の新しい読み方>