見ること見られること
〜生活と写真の場合 〜

発表日:平成13年12月5日
発表者:松田 尚吾
ケネス・クラーク卿「ザ・ヌード」1956年


<ネイキッド>:衣服を剥ぎ取られて「萎縮した無防備な肉体」である裸体
<ヌード> :「調和の取れた美しい自信に満ちた肉体」


  1. ヌード写真の大半は何故女性になるのか
    ヌード写真のモデルが圧倒的に女性である

    ◎ヌード写真の大半が「女性の写真」であることは、女は見られ、男が見るという 関係が支配的である社会の中に私たちが存在していることを意味している。

    理由:女性の身体?

  2. 男が眼によって性的快楽を味わうように写真はつくられたのか

    cf)西欧中世の絵画
    現代の女性像→何が「身体の理想」をかえるのか
    *ジョン・バーシャー(美術批評家)<見る方法>

    「女は他人から見られることによって自分を作ってきた。自分自身を対象に 転化させる。それも視覚の対象にである。そこで彼女は光景となる」

  3. 見る/見られるの概念
    *スーザン・クーパー(アメリカの文学者)
    <空白のページと女性の創造性>

    「女性の限られた選択の範囲というものが彼女らが創造する芸術を形作ってきた。 肉体が彼女らが自己表現のために用いうる唯一の媒体なのだ」

    「見られる」ことだけが従属を意味するのではない
    cf)ルイ14世
    天皇の写真

  4. 光景という概念の曖昧さ
    男性による社会の支配が女性に対する性的な支配と切り離せない



生活における見る/見られる
  1. 男女の「見る/見られる」ことの非対称性
    〜見た目
    〜「見せられる/見せる」への転換


  2. 「見せる」ことへの追求

    A)より美しく

    B)「女性の解放」と「性的魅力の開放」
    cf)バレンタインデー

    C)見せる努力ーーー美の誇示
    cf)ダイエット、ブラジャーパット

    D)なぜに見せるのか

    E)異性間の「見せる」



写真における見る/見られる

ジェンダー変数の導入による<見る/見られる>の四類型(上野千鶴子)
  1. 男が女を撮る
  2. 女が女を撮る
  3. 女が男を撮る
  4. 男が男を撮る
  1. 男が女を撮る場合(ヘルムート・ニュートン)
    欲望の視線
    性の対象物

  2. 女が女を撮る場合(中島有里枝、Hiromix)
    攻撃性を感じさせない
    自足的に相手を写しあっている
    「見られる側」のセクシュアリティー

    「自分達のセクシュアリティーの発見」

  3. 女が男を撮る(西山奈々子)

  4. 男が男を撮る
    性差のボーダーレス化
    両者の間に関係性の力学を働かせてない


「写真によって裸体は急速に一般化し、公共のものとなった。それと同時に 、エロティシズムも一般化し公共のものとなったといえるかもしれない。 しかし、独自の美しさを持ったヌードは、そのたびに独自のエロティシズムは 多分正比例する」
(澁澤竜彦)




参考文献
笠原美智子 :1998年 「ヌードのポリティクス」筑摩書房
二階堂充 天野太郎 倉石信乃: 1995年 「ヌードの展開」有隣堂
サンダー・L・ギルマン: 1997年 「性の表象」 青土社
多木浩二: 1992年 「ヌード写真」 岩波新書
飯沢耕太郎: 1987年 「ヌード写真の見方」 新潮社
若桑みどり :1997年 「隠された視線」岩波書店
ジェイン・ケリー 高橋則英訳: 1994年 「ヌードの理論」青土社
ヘルムート・ニュートン :1991年 「ヘルムート・ニュートン写真集」 リブロポート
ロバート・メイプルソープ :1987年「ロバート・メイプルソープ写真集」パルコ出版局
京都造形美術大学 :1999年 「写真の変容と拡張」角川書店
上野千鶴子 :「ナショナリズムとジェンダー」青土社