見ることからの情報操作
〜現代広告から考える〜

発表日:平成14年1月9日
発表者:古田 裕也

  今回、私がこのテーマにした理由は、2つある。 1つに、2回の発表『色と色の心理・生理現象』と『視覚』が 私達に及ぼす生理的影響を中心に行われており、 文化的影響についてあまり触れなかったことである。

  それ故、今回は文化的背景について述べていこうと考えた。 そして、その媒体として広告を選んだわけであるが、本来の計画では 4年次のゼミで徐々に足を踏み入れていこうという計画だった。 なぜならば、約1年半を費やして「見ること」の幅広い知識をつけたほうが、 より深い研究ができると思っていたからである。 しかし、就職活動が始まり、その研究を早めなくてはならないということが おきてしまった。私の希望は広告系なので、必ずといっていいほど、 「興味のある広告について」や「最近の広告について」という記入個所があり、 毎回、そこが書けずにいた。

  約1年間の知識で自分の4年次の研究課題であった広告を分析するには、 心もと無かったが、発表後に次回からの研究に必要なものを皆さんから 聞かせてもらえるのではないかと思い、このテーマにすることにした。 そして、それを踏まえた上で、4年次の研究を行っていこうと思う。


〈序章 〜社会の片隅から社会のメインへ〜〉

  半世紀前まで、広告は社会の片隅の存在だった。 かつて、芸術家が創った芸術的ポスターも広告として作られたものだが、 それはいわば「広告メッセージ入りの壁面装飾」だった。 複製技術の時代(ベンヤミン)としての20世紀に入って新聞・雑誌の創刊が 相次ぎ、それを支える広告の存在も重要になり、現在に至っている。 ここでは、広告について学び、広告が与える文化的影響を考えていく。


広告の種類

  一言で広告と言っても、その媒体となるものは数が多い。 平成12年の総広告費は6兆1102億円で、そのうちのマスコミ4媒体広告費が 全体の65、0%を占め(34、0%がテレビによる広告、20、4%が新聞、 7、2%が雑誌、3、4%がラジオ、である。)、次にSP(販売促進)広告費が 33、6%(折込が7、4%、DMが5、6%、屋外が5、1%、交通が5、1%、 電話帳が2、9%、POPが2、8%、展示・映像他が5、8%である。)を占めている。 また、インターネット広告費は1%、衛星メディア関連広告費は0、4%しか 占めていないが、今後、急成長する分野である。

  それでは、大体いくつ位の広告を一日に接しているのだろうか?                  A、   1000 

  一日に広告を約1000も見ていないと感じるかもしれない。 それは、私達の興味があるもの、例えば、今欲しい商品などの情報(広告) しか記憶しようとしていないからである。 つまり、私達は、ごくわずかな情報以外は捨ててしまっているのである。
  そういった私達が目にしている広告には決まった法則がある。


AIDMAの法則

  色々ある広告の理論の中で、多分一番重要なのが、 このAIDMAの法則である。広告は、 Attention → Interest → Desire → Memory → Action という段階を踏んで機能するという理論のもとにある。 広告に接する人々は、まず広告に注目し、次にそのメッセージに興味を抱き、 それがモノであれば欲しいと思い、イベントであれば行きたいと思う、 その思いを記憶し、同じ広告を何回も何回も繰り返し見せることで、 その「欲しい」、「行きたい」を記憶の中で膨らませ、 そして買うなり行くなりして実行するというものである。 つまり、A→I→Dで「欲しい」、「行きたい」というところまできた欲望の イメージを、Mでしっかり頭にこびりつかせ、Aでその思いを遂げさせるという ことである。

  先に述べた興味がある、記憶に残ったという広告というのは、 この法則のMemoryのところまで残る事ができた情報であることになる。 それでは、ここまできた広告の情報をどのようにして行動のActionに つなげるのか?


Actionへ

  まず、一つに繰り返しが重要である。 私達が目に、又は耳にする広告という情報は、一回限りのものではない。 例えば、テレビにおいて一日に何回も同じCMが流れる。 また、駅の広告看板は、日替わりではなく、ある程度の期間をもうけて、 毎日駅を利用する学生やサラリーマンに継続的に見させるようにしている。 私達は、いくら興味を持っていても完全には記憶できないので、 何回も繰り返して記憶してもらう必要があるのである。 仮に、一回限りの広告情報を作ったとする。広告費は安いだろうが、 それは無駄と言ってもよい。



視覚によるActionへ

  他には、前回の発表で勉強した視覚の癖も、 もちろんあらゆるところで使われている。 例えば、Z型は折込広告では最も重要なものであるし、また、 サブリミナル効果の使用は、大きな効果があることが証明されている。 (サブリミナル効果の使用は、日本では、自主規制。アメリカなどでは、 完全に禁止されている。つまり、あまりにも強い情報操作が出来てしまうこと を意味している。→問)本当に使用されていないのだろうか?)


色によるActionへ

  また、前期で発表した色も重要な要素である。 色の嗜好は十人十色といわれ、それ一つで買うか買わないかまで決まって しまう。例えば、いくら形・性能が良くても色が嫌いというだけで買わない という人は多いだろう。この色の嗜好を広告では、 どのように攻略しているのだろうか。 また、限られた時間の中で(CMは約15秒か30秒。)、 また、ポスターなどの紙面上で、様々な色をもっている製品の広告には、 どの色をメインとして配置するのだろうか。
  例えば、ユニクロは66色のポロシャツをドミノ倒しの要領で一斉に倒す CMを作り、この問題を解決してみせた。しかし、それが出来ない製品は どうするのか。例えば、自動車のCMでは、全色の自動車を一斉に見せる という広告はなかなか目に付かない。むしろ、一色の自動車だけを使い、 他の色は見せないというほうが多い。それは、購買層別にピンポイント で広告を作っているからである。40代の男性が自動車に乗る場合、 いくら色の嗜好が十人十色だといっても、黄色や赤、緑色の自動車に乗る だろうか。たしかに、乗る人もいるだろうが、むしろ、白やシルバー、 黒といった色に乗る方が大多数だと考えられる。それ故、中年の人が乗る セダン系の自動車の広告には白系や黒系を使い、高級感を漂わす。 そして、限られた時間を、その色の自動車だけで使って十分にアピールする。 逆に、若者が好んで乗るスポーツカーや1BOX、4WD系の自動車には、 若者が好みやすい赤、青系の色を使って広告を作る。


広告の現状
〜社会を反映〜

  広告が商品に具体的に言及するためには、 ある社会的な場面を設定しなければならない。 そのシーンにはその時代の意識や感性や価値観を含む現在の 「社会」が現れている。昨年はサラリーマン受難時代といわれ、 2001年9月、失業率は5、3%を記録し、戦後最低となった。 「リストラ」や「倒産」といった言葉が日常的にメディアに踊り、 「気楽な稼業」の代名詞だったサラリーマンの受難時代を反映している かのような広告が多くなった。例えば、日本コカコーラのジョージアの広告、 田辺製薬のアスパラドリンクの広告、日本中央競馬会の競馬の広告、 どれを取ってもサラリーマンの受難時代がシーンの設定になっている。

〜コラボレーション〜

  相乗効果という意味だが、これは通常の1つの企業の広告の中に、 違う企業の広告を入れて効果を高めることである。 これは話題性が上がるので効果的である。もちろん、話題性を狙うには、 ある程度有名な企業同士がコラボレーションしなくては効果が期待できない。 この戦略をうまく使ったのはサントリーのBOSSの広告である。

〜続編〜

  最近、頻繁に現れてきているのが、この続編型である。 広告をドラマのように続きものにすることで、 人々の関心を掴もうというものである。先に述べたBOSSの広告も続編である。 また、つい最近まで、放送されていたサッカーのCMには広告の最後に 「つづく」という文字まで書かれており、まるでドラマのようであった。



〈考察 〜広告の長所・短所から考える〜〉

  広告という情報が氾濫している現代では、その長所はもちろん、 情報搾取のしやすさである。テレビを付ければ、ラジオを付ければ、 そして、街を歩けば、至る所に新製品の情報、イベントの情報が広告として 存在している。苦労せずに、情報をつかみ取れるわけだし、 情報に乗り遅れることはない。先に例としてあげたユニクロのCMを見て、 その中に自分の欲しい色の服があれば、街を歩き回らずに、 真っ先に近くのユニクロ店に足を運べばいい。 昔はパソコンには広告がなかった。だから、会社で働くサラリーマンは、 その時間には情報を掴めなかった。しかし、これから先、 広告はインターネットに根を深く生やしていくことが業界でも考えられている し、現状でもインターネットには広告が現れている。 インターネットをしている時でさえ、私達は情報をつかみ取れるのだ。 言い換えれば、この長所は、ますます成長していく。

  しかし、この長所に最大の短所が隠れている。 それは、情報操作による、同一化という現象である。 先に挙げた自動車の話は、言い換えれば、中年はセダンで、 色は白・シルバー、黒に乗るべき、若者は、セダンに乗るな、 スポーツカーに、1BOXに乗れ。そして、色は赤・青だと決め付け、 それを買う人の選択権を狭める。また、ユニクロのCMを見た者は、 そのユニクロだけで服を選び、他の店には足を運ばなくなり、 似たような服装の人々が氾濫する。同じような情報で自分の思想・感情を作り、 生活や生き方や人生の形を選択するのだ。 同じような情報を基に世界を認識し、知識を貯え、思考するのだ。 延々とそれを続ければ、すくなくとも価値観や美意識が「同一化」して、 例えば、顔かたちから体型までが似たような人間になっていくのは、 至極当然の結果であるだろう。



〈疑問点〉
  1. サブリミナル効果は使われていないのだろうか? 前回の発表にはサブリミナル効果が使われているとして、その画像を見せた。 もし使われているのなら、情報操作という事が頻繁に行われている のではないか?

  2. サブリミナル効果だけが、危険なわけではなく、 広告という情報自体が危険であり、上記で挙げたように、私達を「同一化」 してしまうのではないか?


参考文献
佐野山寛太『現代広告の読み方』、文藝春秋新書、2000年
内田隆三『テレビCMを読み解く』、講談社現代新書、1997年
西正『広告』、産学社、2001年
島村路子『広告批評No255号』、マドラ出版、2001年