はじめに
椅子との出会い
私はこれから、デザイナーや建築家などによって制作(製作)された「名作椅子」について研究してゆきたいと思っております。そもそも、私の「名作椅子」との出会いというものは小学校高学年の頃にたまたま家にあった「室内」という雑誌で名作椅子が特集されていたのを読んでからです。子供にとって専門的で難しいインテリア雑誌なので、唯一理解できたのが写真が沢山あるそのページだったからというのもあったのかもしれませんが、何がどう名作なのかさっぱり分からなかった私でも、中には綺麗だなあ。とか欲しいなあ。と思う作品がありました。「室内」に取り上げられていた「名作椅子」たちによって、私は『あたらしい美しさ』というものを教えてもらった気がしたのです。あたらしい、というのはなぜかというと、それまで私は美しいもの、芸術的なものは特定の場所に限られている(例えば美術館や劇場など)ものだと思っていたからです。まず、第一に気づかされたことは、椅子は必ずしも座るためだけのものではない。ということです。それは鑑賞する「美しさ」という点において。しかし、やはり「椅子」と呼ばれるからには生活の中で家具として機能しているはずで、しかもそれが名作と呼ばれるならばきっとその役割もこなしているのだと思われます。そうなると、家具として生活と密接に関わる存在(座るためのもの) ということになりそうです。そう考えると第二には、それは特別な存在ではなく、日常生活に起こる、また存在する「美しさ」ということなのではないだろうかと思いました。つまり、私が「名作椅子」から感じた『あたらしい美しさ』とは、日常生活において体験、そして感じることができるというものであります。だから、「名作椅子」の中にはその日常生活に存在しそうな美しさのソース(根源)を持っていると考えて、そのソースをもっと詳しく知りたいと思い、私の好きな「名作椅子」から研究したいと思います。
なぜデンマークの木椅子なのか。
それは、私がデンマーク出身のハンスJウェグナーという家具デザイナーによって製作されてきた木椅子が好きだからです。なぜ好きなのかというと、シンプルなデザインで部屋にも馴染みそうだし、飽きずに長く使えそうだからです。そして、私がそう感じる秘密はどこにあるのだろう、と考えると「デンマーク」という点が重要そうだと気づきました。さらに、彼の作品や彼について様々なことを調べました。その中には、話が広がりすぎそうだったのでレジュメに書ききれないことも少しありました。そしてその結果、なぜ私がこのように感じるのかを私なりに理解し、考察をしてみました。
デンマークの木椅子
今から50年以上も前からデザインされ、商品化されてきているデンマーク木椅子はなぜ現代においても世界で愛用され続けているのでしょうか。それらは現代においては名作椅子としてカテゴライズされています。名作椅子と呼ばれるものは多数存在していて、時代ごとの様式や流行のスタイルを表していたり、そのデザイン性や存在感からか、人間が座るためのものではなく、芸術的環境として機能するものが多いが、デンマークの木椅子、そしてウェグナーの椅子はそれらの名作椅子たちと比べると、素朴でシンプル、はっきり言ってしまうとわりと地味。よってデンマークの木椅子をオブジェとして飾る、というイメージはほとんどありません。
しかし、デンマークの木椅子が名作と呼ばれている真髄はそこにありました・・・。
この後、ウェグナーというデザイナーについて触れようと思うのですが、その前に、タイトルが『デンマークの木椅子』でありますので、「デンマークならでは」という感じの事柄を二つ述べさせていただきます。それは、デンマークにおける家具職人の資格制度ということと、デンマークにおける近代家具デザインの祖と呼ばれるコーア・クリントについてです。この二つの点は後に、ウェグナーと密接に関係してゆきます。
1.家具デザイナーは家具職人
デンマークでは家具デザイナーになるためには、家具職人である必要があります。つまり、家具職人でなければ家具デザイナーになれないのです(現代においてはこの制度が崩れつつあるが、ウェグナーを初めとするデンマークを代表する家具デザイナーたちはこの制度をたどってきています)。ここではデンマークの木工職人のマイスター制度について述べたいと思います。
● 木工マイスター制度
デンマークの木工マイスター制度では10代でマイスターのもとに弟子入りした従弟は道具の扱い方や初歩の加工から始めます。二年ほど修行をし、家具職人のための夜学で図面の書き方、実測、機械のメンテナンス、さらに工房を経営していくための、簿記などを学びます。
その後、毎年一回開かれる組合主催のマイスター試験で、自分でデザインし、制作した家具を出品し、技術試験、さらに図面の読み描きや経営についての筆記試験にも合格した結果マイスターの資格を取得します。しかし、その後も数年間は自分を育てたマイスターのもとでマイスターとしての仕事を学びます。それを終えて、独立し、職人となるか、インテリアの学校に進みデザインの勉強をするかに分かれていきます。
『私の作品は芸術作品ではありません日用工芸品なのです』(ハンスJウェグナー)
2.コーア・クリントによる二つの教え
≪リデザインの理念≫
デンマークにおける近代家具デザインの第一人者であるコーア・クリントによって提唱されました。長い時代使われてきていた美しさやその目的性を見直し、現代生活のなかに取り入れやすい形にリデザインすること。彼は、過去に生まれ、歴史の中に埋もれてしまっていたものに良い点があり、それらを再確認することを説きました。
≪生活実態からデザインを考える≫
人間、家具、ものとの機能的なバランスに関するものです。人体各部の寸法測定による尺度の設定、また生活の中での人間の動き、人間工学的な手法による家具の様々な項目についての記録、測定、また家具に収納される「もの」の数量と、それぞれの寸法の平均値をとるなど。例えば戸棚をデザインする場合はしまわれるもののサイズを一つ一つ調べ上げるということです。
3、ウェグナーの椅子
以上の二点を踏まえた上でウェグナーというデザイナーについて私なりに述べさせていただきたいと思います。
ハンス・J・ウェグナー Hans J Wegner (1914〜)
13歳で木工マイスターのもとに弟子入りし、17歳でマイスターの資格を取得します。20歳から25歳まで家具技術、家具デザインについて学び、卒業後はアルネ・ヤコブセンなどと共に働き、その後29歳で独立し、デザイン事務所を設立しました。
先に記した彼の言葉どおり、人間が使うための家具のデザインを心がけ、より多くの人によりよい家具を提供することを目指しました。コーア・クリントの唱えた「リデザイン」を実践し続け、納得のいくまで同じ型の作品をいくつも作ったりするようになります。彼が今までデザインした椅子は約500脚にものぼります。
ここからは、彼の代表的な作品からそれが持っているであろうソースを探ってみたいと思います。
チャイニーズチェア Chinese chair1943〜
これはクリントの唱えた「リデザイン」の発想を実践した作品です。本に載っていた、中国の明代の椅子である「圏椅(クァン・イ)」の写真を見てアイデアを得てリデザインしました。以後彼は本作品を軸にして自作をリデザインし続ける事になります。しなやかで複雑な曲線が美しいチャイニーズチェアは9種類のデザインがあり、椅子の曲線部には曲木を使ってより軽く丈夫なもの、型枠を用いて量産を可能にしたりと、リデザインを重ねるにつれてより良質なものを製作していった。
Yチェア Y-Chair 1950
ウェグナーの作品の中で最も日本で人気があり、多く売られた椅子。また全世界で50万脚以上が売られた、彼の作品の中のベストセラー。Chinese chair やThe Chairのデザインの延長に本作が誕生した。日本人に好まれて愛用されているのにはデザインルーツが東洋にあるからなのかもしれません。Y-Chairは機械加工に向いたモデルで、ほとんどの工程が機械によって加工されていて、手作業は、全体の組み立てとペーパーコード(紙紐)によるシートぐらいですが、手工芸的な温もりが感じられるのは彼が家具職人として素材や技術において長けていると同時に優れた家具デザイナーとしての感性が表されているからではないでしょうか。
ピーターズチェア Peter’s chair 1943
子供用の椅子とテーブルがセットの作品。彼の親友であり、彼と同じく優れた家具デザイナーであったボーエ・モーエンセンに男の子が生れた(ウェグナーが彼をピーターと名づけた)のを祝ってデザインし、プレゼントしたもの。このセットは釘やネジは一切使用されておらず、角の部分も全て丸く削られており幼い子供に対する配慮がされています。また、手で簡単に分解、組み立てが可能のノックダウン構造となっておりコンパクトに収納、輸送ができます。使う子供や親のことが考慮されており、クリントの唱えた、生活実態において使う人が主体のデザインがなされていると思われます。
『・・・ですから手で触ってください。座ってみてください。そして良く見てください。(中略)・・・そして皆様に私の心、私の伝えたいことをご自分の体を通して少しずつでも感じ取っていただきたいのです。』(ハンスJウェグナー)
4、まとめと考察
ウェグナーが目指していた、クリントによるリデザインの概念や生活実態からのデザインというものは、使う人間を主体的に捉え、かつその中に機能性やデザイナーの意図を盛り込みつつ、実際に使いやすいように過去の優れた作品のデザインを受け継ぐということであると考えるが、
用語集
マイスター制度 (補足)
北ヨーロッパにおいては技術を持つ製造業には「マイスター制度」というものが中世から現代まで続いている。これは木工に限らず、陶器、織物、金属なども同様で、この制度は技術を必要とするあらゆる分野でその技術の伝習と質を守るためのものである。
コーア・クリント (Kaare Klint 1888~1954)
1924年、コペンハーゲンの王立美術大学で家具科を創立し、初代教授となる。彼は家具デザイナーであっただけでなく、建築家でもあり教育者であった。古典的なデザインにさかのぼり、素材や造形を研究、分析した。結果アメリカのシェーカーや南欧の家具をモデルとしてシンプルで新たなスタイルを創り出した。また彼は、学生たちに、優れた様式家具の実測から、人間の寸法や動作、家具製作の技術や構造、そして機能などを理解すること(リデザイン)、さらに人間の生活を取り巻く様々な物の寸法を測定することによる家具の寸法の標準化、そして人間の体や動作に必要な寸法を測定し人間側からの条件を家具デザインの中に取り入れることを説いた。
ボーエ・モーエンセン Borge
Mogensen (1914〜1972)
木材や家具の産地として有名なオルボーに生れ、20歳のときに家具職人のマイスターの資格を取り、その後二年間デザインの勉強をし、24歳から王立芸術アカデミーの家具科に進み、教授のコーア・クリントのもとで学ぶ。クリントの指導で、徹底した人間工学的な調査を行い、それは家具デザインの基礎となるものであった。28歳から36歳までデンマークにおける生活共同組合(FDB)の家具部門にて働いた。一般市民の生活に合ったものを作るため、実態から家具のサイズを起こしていくということを行っていたモーエンセンはクリントの継承者であると言えるであろう。