R.ベンチューリ『ラスベガス』−グループ研究論文−

 

法政大学国際文化学部国際文化学科  01G0920  堀 伸一朗

 

 

    はじめに

    第一章 近代建築批判、R.ヴェンチューリの批判

    第二章 大衆のための建築とは

    考察

 

 

 

はじめに

今回のグループ発表で扱った「ラスベガス」において、著者のR.ヴェンチューリは近代建築を批判し、自身の「醜くて平凡な(ugly and ordinary)建築」の正当性を主張している。彼がその主張の中で一貫して問題としているのは“象徴”である。ギルドハウスとクロフォードメナーの比較に始まり、歴史的象徴主義、ラスベガスへと続く、本書の流れの中で彼が主張している事は、象徴とはいかなる建築にも認められるということである。彼の主張によれば、それは装飾を排した、近代建築においても例外ではない。象徴とは装飾があるかないかに関わらず存在するのである(表示的と暗示的という違いはあるが)。しかし、近代建築家は象徴主義を排し、象徴を認めようとはしない。ヴェンチューリは象徴の存在を認めない建築家に対して、近代建築の批判を通じて、いかに象徴が作用しているかということを示そうとした。正確に言うならば、ヴェンチューリは近代建築を批判したのではなく、建築に伴う象徴を認めようとしない近代建築家の態度を批判したのである。

ヴェンチューリは、本書において彼を含む一部の建築家が図像学に回帰した理由として、「ポップ・アート」と「ルート66の商業広告」を挙げている。両者において共通している事は「大衆文化」、「商業文化」といった、『近代運動において俗悪かつ反美的なものとして全く無視されていたもの』が主題とされている、ということである。ポップ・アートは『大衆的趣味の欲求を満たしている商業美術は批判されるべきではない』と考え、制作の素材ないし画題の源泉とみなしたのである。その流れとは別にラスベガスでは商業広告という形態において、ヴェンチューリが述べているように、『現代のテンポの速さを反映しながら』商業文化が急速に発達した。ここで確認したいのは、当時において空虚な形態主義に陥っている近代建築に対抗するものとして、「大衆」に目が向けられたということ、そして、それは当時の時代性を含んでいたということである。

私たちの班は発表において考察をこのような言葉で結んだ。「建築のあるべき姿を主張した本書が、未だに我々を啓蒙し得る力を持っているというのは皮肉である」と。つまり、1978年に書かれた本書が25年経過した現代においても、我々を納得さているという現状、それはヴェンチューリの指摘した近代建築の問題点、そして大衆に目をむけた象徴主義の正当性が、私たちに認識されていないという事実を示しているように思われたのである。

 今論文ではもう一度そこに立ち返ってみたい。ヴェンチューリの主張というのは果たして現代において受け入れられるべきものであるのか。それとも、私たちが感覚的に捉えたように時代に受け入れられないものであったのだろうか。

今論文では、現代建築との比較を通じて、ヴェンチューリの主張が現代においてどのような意味を持ち、また実践されているのかを明らかにしたい。

 

 

 

第一章                            近代建築批判、R.ヴェンチューリの主張

ヴェンチューリが様々な比較を通じて主張したかった事とは、「象徴の豊かさとその有用性」、そして「大衆のための建築」ということである。

ポップ・アートがヴェンチューリ自身に与えた影響が大きかったということは容易に想像できる。第一章ではそのような時代背景を受けて、ヴェンチューリがラスベガスのどのような点に惹かれたのかという事を整理し、なぜ彼が近代建築批判の創造の源泉としたのかということに注意して展開する。

 

 

〇 ラスベガスはどのような点において刺激的であったか

「ラスベガス」で象徴を問題にするにあたって、ヴェンチューリが大前提としたのは、郊外にまで広がる自動車社会である。この前提に基づいて、彼は商業広告が異常に発達していった(最終的には広告が建物の構造を飲み込んでしまう)都市スプロールと、郊外にまで広がっていく住宅スプロールについて論じている。ここで両者において共通するのは、近代建築が否定してきた象徴を容易に見つけることができる点である。そしてその象徴は自動車である程度のスピードからでも確認できる、ということにも留意しておきたい。

ヴェンチューリは商業広告に対して、「広く、速い(広大な駐車場と自動車社会)」都市スプロールにおいていかに目を引くかという、ラスベガス独自のヴァナキュラー(土着的な)形態に着目している。彼はこの点に関して近代建築と比較をし、無装飾で構造美の絶対性を唱えた近代建築に対し、商業建築の明白な象徴による明瞭なメッセージの優位性を説いている。つまり一目で、その建築が何のための建築かということがわかる、ということである。またそれは、「歩行」を前提として、広場を空間と認識して計画される近代建築に対して、自動車社会という現状を認識できていないという点で、批判していると言える。

郊外の住宅地について彼が主張したのは、いくつかのヴァナキュラーな様式と、様々な象徴作用が、これもやはり自動車に乗っていても確認できるという点である。また、建築家の自己表現と化し、大衆に選択権がない近代建築に対し、大衆(ここでは中産階級のこと)の選択の結果として、郊外の住宅が選ばれているという事実によって、郊外建築の持つ多様性が優位であるとしている。そしてそれと同時に、郊外住宅における象徴、連想作用の豊かさについても言及している。

 

 

〇 近代建築批判、そして象徴主義の再提起

本書の後半部分では、ラスベガスの象徴について触れている部分は少ない。その多くは象徴主義の歴史、そして近代建築への批判である。以上を踏まえた上で、ここでは近代建築批判と「醜くて平凡な建築」との対応関係を確認したい。

そこで、まず彼が挙げた近代建築批判を整理し、それに対して彼がどのような主張をしたのかを確認したい。ヴェンチューリは、象徴を排除し、構造美、機能美を追求した近代建築について以下の3点について批判をしている。

 

     慣習的意味が勝るということ

近代建築の掲げた構造美、それに伴う絶対性が必ずしも支配的ではないという指摘。それに勝るものとして、意識、慣習を提示した。このことを受け、ヴェンチューリはその絶対性に対して多様性を支持し、郊外におけるヴァナキュラー建築や装飾による多様性は否定されるべきではないとし、それらの象徴の豊かさを主張した。

 

     産業革命時の技術の暗示

近代建築にも象徴は存在する。しかも、その象徴は最先端の電子技術ではなく産業革命時代の技術(ガラス、鉄)を象徴している点を皮肉っている。この点以外にも様々な視点でヴェンチューリは近代建築における象徴の存在を指摘し、それを認めようとしない建築家の態度を批判している。彼は暗示としての象徴の存在を述べたうえで、明白で誇張された象徴主義の自動車中心社会における必要性を説いているのである。

 

     形態主義、自己の表現としての建築

社会性が欠如し、形態主義と化した近代建築に対する批判。それは大衆のための建築ではなく、高尚な文化人のみで、中産階級には全く受け入れられない。事実、郊外住居が中産階級の中程度の人々の支持を得ている、という現状について言及し、役に立たない、作家満足のための技術を、大衆に身近な現行の不完全なシステムに向けるべきだと主張した。

 

 以上の点をもとに、ヴェンチューリが望む建築とは一体どのようなものであったかを考えてみたい。すると2つの視点を得ることができる。それは「象徴」と「多様性」である。そしてそれらに具体性を加えてみると、自動車社会における象徴の有用性、装飾としての象徴の必要性、大衆のための建築(画一的なものではなく多様性)、という3つの視点を得ることができる。これらの視点を、今論文の目的である、ヴェンチューリの主張の現代における有用性を判断する際の比較の材料としたいと思う。

果たして現代において、彼の批判した状況は改善し、彼の理想は実現されているのだろうか。次章、そして考察への展開を通じて、現代日本の具体的な建築、都市計画を取り上げ、考えていきたい。

 

 

 

第二章                            大衆のための建築とは

第二章では、第一章で提示したヴェンチューリの視点が私たちの生活においても、活用されうるかについて具体例と共に考えていく。それは「はじめに」で述べた、私たちの班の問いを検証していく試みである。

現代において、建築というものは一元的に理解できるものではない。例えば、美術館や公共施設といった大規模建築と、一般的な住宅に対する考えは当然異なる。求める機能も異なる。ヴェンチューリが批判した、建築家の表現としての建築は依然として存在するし、その一方で大衆の好みを反映するような注文住宅のようなものも存在する。建築に存在する多様性とは、それぞれの建築の目的に応じて生じる、建築家とクライアント、あるいは大衆とのバランス関係だといえる。

第二章では上記のような、建築家と大衆の関係について考えていきたい。そこで、まず議論において提示された「建築家の作家性」ということについて考えてみたい。果たして全ての建築において作家性は存在するのであろうか、という疑問が生じたからである。

そしてその後「建築家」という視点も交えながら、「(大衆の要望に応える)大衆のための建築」という、大衆側から見た建築について考えていく。私は今回その一つの具体例として、「デザイナーズマンション」を扱おうと思う。それは近年のブームにより、最近では広く認識されるようになったこのデザイナーズマンションにおいて、「建築家」と「大衆」という私が相容れないと思う二つの主張が共存しているように感じられるからである。それはヴェンチューリが唱えた、近代建築における建築と大衆との分離について考える上で、何かの手がかりとなるのではないだろうか。

 

 

〇 建築家からの視点−建築家の主体性−

まず始めに、建築家からの視点ということで、山本理顕の「建築は隔離施設か」という論文を基に「建築家の作家性」について考えてみたい。1997年に書かれたこの論文において、彼は建築における二つの状態を説明している。「政治言語」と「建築言語」である。

「政治言語」とは、制度あるいは社会的状況に一方的に従属し、建築家の主体性が存在しない建築のことである。そこでの建築家とは、制度を建築に翻訳(変換)する自動翻訳機械、翻訳技術者としての役割のみである。つまり制度に基づいた建築計画(例えば学校という既に確立された枠組み)に対して建築家は図面を引くだけの役割ということである。

後者の「建築言語」とは、建築が制度を規定するということである。つまり建築家が自身の建築を通して制度に働きかけていく、ということである。再び学校の例を用いるなら、建具を全て解放可能にしたことで教室と町との境界をなくす、といった試みであり、それは『従来の教育システム、教育に関わる人たちの意識を根底から変えてしまうような仕組みを建築の側が準備する』ということである。磯崎新は『私たちは自動翻訳機械ではない。むしろ、個人芸と思われているものこそが私たちの作業の中心なのだ。』と言い切った。磯崎は上記のような、翻訳機械としての建築家の役割を無効にしなくては、建築家の主体性が問われる場面はやってこないと述べたのである。

山本、磯崎の言う、「自動翻訳機械」という建築家の役割は、ゼミの議論において登場した「建築家の作家性」は必ずしも存在しないということを説明する。そのような役割の建築家は制度を空間に翻訳するだけであり、作家性、主体性が問われる事はない。そこには建築家の主体性など問わなくても建築はできるという事実がある。そのことについて、山本は『自動翻訳機になりきるための技術を学ぶのが大学』、『オートマティックに建築をつくり出せるような作法の開発が建築計画学』であるとして、建築の主観性の欠落の根源について指摘している。確かに、私たちが日常目にする建築の多く(ビル、住宅など)は、誰が建てたかわからない、つまり建築家の主体性が問題とされない、建築であるように思う。以上を考えると、「建築家の作家性」などというものは、あってないようなものであり、その人の役割によっては存在しないも同然と言えるのではないだろうか。

しかし、建築家の置かれているそのような状況に対し、山本や磯崎は危機感を持ち、「建築言語」を鍛え上げるべきだ、と主張する。彼らは建築家が、「自動翻訳機械」という一方向的な役割だけではなく、当然建築から制度を規定するということも考えなければならない、としている。ここで、注目したいのは、山本が、建築が制度に働きかけることを可能にさせる条件として、大衆を挙げている点である。

建築が制度を規定するとは、建築を決められた制度、役割から少しでもずらし、曖昧にすることである。そのことによって、既存の役割から解放され、制度を規定することが可能となるのである。とは言うものの、これは建築家一人の力でなされることではない。それは『建築家だけでなく、制度を変えたいと思っている人、制度を変えるための最初のきっかけとして建築を待っている人々がいる必要がある』と主張する。

磯崎が述べた、「主体性の問われる環境」とは、そのような人がいる環境ではないだろうか。つまり建築家の作家性が発揮される場には、そこにそのような建築を期待している大衆の存在が不可欠ということである。大衆の存在があって、彼らの支持があって、初めて建築家は作家性を発揮することができるのである。

 

 

〇 大衆からの視点−デザイナーズマンション−

第二章冒頭で述べたように、私の関心は建築家と大衆との関係性である。上記のように、「建築家の作家性」を問題にするにあたって、大衆は切り離すことができない存在である。私がここで具体例として挙げるデザイナーズマンションもまた、そのような関係性のうちに成り立っているのではないか、と思う。つまり、近代建築においてヴェンチューリが批判した、大衆を考えない、主観追及の形態主義的な一方向の作家性とは異なり、大衆のニーズがありその上で建築家が作家性を表現する、という両者の関係性である。

私が今回取り上げるのは「東雲キャナルコート」である。それは山本理顕、伊藤豊雄、隈研吾ら有名建築家が参加した、現在流行の都心部再開発プロジェクトの一つである。

この東雲再開発プロジェクトは住宅都市整備公団(以下、都市公団)と三菱系の民間3社との共同プロジェクトであり、その中でも、都市公団が担当している中央ゾーンの、上記3人を含む有名建築家、全6チームによるデザイナーズ賃貸住宅が、私の興味を引いた。

また今プロジェクトでは建築家にただ依頼するのではなく、著名な建築家チーム(東雲デザイン会議)と各界のオピニオンリーダー(まちなみ街区企画会議)とが連携して企画・設計を進めていくという手法を採用し、これは都市公団では初めての試みということである。目指すのはこれからの都心居住のモデルともいうべきまちづくりであり、そのようなプロジェクトにおいて建築家が前面に押し出されていることは注目すべきである。

 

まちなみ街区企画会議

     都心居住やまちに必要な施設のあり方等、ソフト、ハード両面に渡る斬新な企画・コンセプトの提案が目的。少子・高齢化や女性の社会参画の進展、本格的な情報社会の到来、価値観やワークスタイルの変化等に伴って、居住地選択に関する人々の多様な考え方を反映している。

     幅広い分野の専門家(作曲家、大学教授など)からなる。

     具体的には以下の、5つのコンセプトが提案された。

Good Address」、「Activity」、「Variety」、「24hours」、「Vivid

 

東雲デザイン会議

     まちなみ街区企画会議から提案のあったコンセプトを受けて、著名な建築家チームが、当地区のまちづくり全体をコントロールし、景観や建築デザインを決定する。

     各街区は建築家の自由な発想や提案を大胆に採用し、新しい住宅像を打ち出していく。各住戸も従来の概念にとらわれない住空間のバリエーションを広げている。

 

建築家のコメント

     山本理顕 「できるだけ「多用途」に応えられるような住宅を目指した」

     伊藤豊雄 「家族形態、働き方の多様性をひとつひとつの住戸に反映させたい」

     隈研吾  「建築家が押し付けたプランよりも、住む人自身が面白い住み方をクリエ 

イトできる伸びやかな空間を考えた」

 

「住むことを、デザインする」と題した文章の中で、東雲キャナルコートは、画一的な間取りや、単調な外観といった従来の集合住宅とは異なり、「住む人の生活に合わせた様々なタイプの空間を選べる」、「自由な発想の空間設計が住人の創造性を刺激する」ことで、住む人が思い思いのアイデアで、自分らしい暮らし方を演出することができる、と述べられている。

建築家に自由な発想、提案が期待され、新しい住宅像が望まれている一方で、「Variety」というコンセプトや、建築家たちのコメントからも明らかだが、多様性が意識されている。

また、建築家の視点に様々な分野の専門家の視点を加えることで、どうにかして一方向的な構図を避けようとする姿勢が見受けられる。しかしながら、その形態は大衆の意見を汲み取り、それを反映した「仙台メディアテーク的大衆のための建築」ということ意図されていない。むしろ、今プロジェクトは新たな形態を提示しようとしている点で「理想の建築・都市」として計画されているのである。しかし、ここで注意したいのは、その理想において大いに大衆の存在が認められるという点である。つまり、大衆の存在を考慮したうえでの理想の実現を目指しているのである。

現代における建築家は、山本の指摘にもあったように、近代建築家のような主観の押し付けではなく、大衆を意識した上で作家性を発揮している。そういった意味で現代において建築家は大衆を非常に意識しているし、大衆も画一化に対抗する差異化の手段として建築家を見ているのである。

 

 

 

 考察

ここまで、「ラスベガス」におけるヴェンチューリの主張、そして現在の建築状況として山本理顕、そしてデザイナーズマンションとして東雲の再開発プロジェクトを扱いながら展開してきた。考察においては、まず始めに、ヴェンチューリの近代建築批判の一つであったメガストラクチャーと東雲のプロジェクトの比較をしてみたいと思う。

両者において、公的機関や巨大資本が主体となった都市開発という状況に変化はない。さらにその制作に関わる人間が高級文化の人間であるという現状も変わらないであろう。事実、東雲のプロジェクトにおいて、「まちなみ街区会議」のメンバーは知識階級と言える。ならば、両者において差異はどこにあるのだろうか?

それは画一化ではなく多様化である。ヴェンチューリの強力な批判の一つは近代建築が多様性を認めないと言う点であった。それ故に建築家の表現と化した絶対的な建築が大衆に受け入れられなかったのである。しかし、現代において、今回取り上げた東雲キャナルコートでは6チームによって異なる6種類の建築が提示され、さらに様々なタイプの間取りを選択のである。さらにここには、画一化に対する民衆の反発として差異を求める欲求というものも含まれているように思う。雑誌「10+1」で瀬山真樹夫はデザイナーズマンションについて、『「建築家によって設計された」、「他ではありえない建物である」という理由から、いわゆる普通のマンションとは一線を画すものであり、それゆえ入居者はそのイメージこそお金を払うというわけだ』と述べている。しかしそのような状況に対して、彼は『デザイナーズマンションという単語は「個性的」という形容詞のもとにかえって建物としての固有性を見えにくくする』と述べている。デザイナーズマンションという言葉が世間に広く認知され、それが一つの建築のジャンルとなった今、次に求められるのは、いかに大衆に対して多様性を提示できるかということ、あるいは、その「個性的」という形容詞のさらに上に、誰が建てたかという固有性を求めることにあるのではないか。

山本理顕が指摘したように、建築家はもはや、「自動翻訳機」である必要はない。なぜなら、上記のような大衆の欲求が存在し、それを支持する人間がいる現代において、作家性というのは大いに期待され、生かされる土壌があるからである。ヴェンチューリが指摘した、建築家と大衆との溝は、現代日本においては広がるよりもむしろ強い結びつきを持っているように感じられる。

ここで改めてヴェンチューリの批判について考えてみたい。「ラスベガス」において彼が批判し、また必要性を説いたのは、「象徴」と「多様性」についてである。

多様性については上述のように現代において大変意識されているが、ヴェンチューリが掲げた象徴性の豊かさについては確認できていない。

様々な建築を見る限り、現代においてもヴェンチューリが批判した近代建築の影響は色濃く、装飾が排除される傾向は依然として強いようである。彼の唱えた「Less is bore」は確かに当時において、刺激的であり、私たちの共感を呼ぶものである。しかし、彼の主張後25年間たった現代において、「醜くて平凡な建築」が大衆の支持を獲得できたとはいい難い。ただし、建築家における象徴の認識は恐らく存在している。しかしそれはあくまでガラスを多く用いた近代建築的形態が前提として存在しているのである。

山本理顕は『ミースにとっては、樹木が映っていてもガラスはあくまでも透明だよね。そのガラスに映った風景も一緒にその素材としての質感として感じられる感性は、新しい感性だと思いますね。』と述べている。山本を始め現代の建築家たちは近代建築の形態を用いながらも、このように象徴についてはきちんと認識し、そこから新たな感覚を得ていると言えるのではないだろうか。

 

 

 

参考文献

R.ヴェンチューリ 『ラスベガス』 鹿島出版会 1978

磯崎 新 『建築の解体』 鹿島出版会 1997

H.W.ジャンソン、アンソニー.F.ジャンソン 『西洋美術の歴史』 創元社 2001

 

参考資料

ディテール2月号別冊 『僕たちは何を設計するのか』 彰国社 2004

10+1 現代建築の条件』 INAX出版 2002 

 

参考WEBサイト

山本理顕    http://www.riken-yamamoto.co.jp/sitefolder/ryTop.html

CODAN東雲  http://www.codan.jp/

都市公団    http://www.udc.go.jp/