2003年度空間デザイン論レポート
日本的と構成と身体にまつわること
1.はじめに―空間デザイン論について
空間デザイン論は、私に何をもたらしたのか。この授業の行われた期間、たいへん濃密な時間を過すことができたのは言うまでにない。その授業は、まず空間の否定から始まった。ギリシア哲学からはじまる空間の定義をとおして、それがまず本質的に存在しないことを説いた。そして、デザインについて話は進む。
デザインとは対象に、人間が認識可能な印を付ける作業であり、自然物をその社会的生産活動の中に導入することである。つまり、デザインは開発を表すである。今日、法政大学もキャリアデザイン学部を創設したように、デザインの表す定義は拡張されてきている。しかし、人間が何か構築するという行為を表すものであるならば、やはりデザインと言い表されるのかもしれない。
授業は、美的領域と社会空間を結合させるものとしての芸術、美術館、建築、都市、インターネットなどについて語られる。そして、今日様々な事象を超えて出現してきたグローバリズムについて論は集約された。一見、無関係に見えるものが結合され、「地球化」の流動の中に全ては帰結する。それは、壮大な物語でもあり、現在起こり得る社会現象を的確に表したものであるともいえよう。
空間デザイン論が開講中に行われた、三上晴子氏によるシンポジウムもたいへん興味深いものであった。三上氏の行われているメディアアートは、まさしく人間の身体性を啓蒙させるものである。人間の身体がいかに屈折したものか、またいかに無意識的な運動により構築されているものか、そのようなことをコンピュータを使用した装置により、体験できる。「構成」が「身体」の前に屈服したように、私たちの純粋意識もまた身体によって裏切られ続けている様が、如実に見て取れるのである。
以上、私の中における空間デザイン論のスタンス、というよりも概略めいたことを書いてきた。これは、自分自身を空間デザイン論の中に再び置き換える作業ということでご容赦願いたい。そしてこのレポートのテーマとして私は何を論じるべきか。空間デザイン論と時期を重なるようにして、私はゼミの中における個人発表を行った。個人発表のテーマとして「日本的なもの」つまりはジャポニズムを取り上げることにしていた私にとって、空間デザイン論も、世界社会の中の日本といった視点へと、私の中で歪曲されてしまっていたのも否めない。よってこのレポートでは、ゼミにおけるテーマと重なってしまうが、「日本的なもの」について取り上げてゆくことにする。
2.桂離宮とモンドリアンにおける諸問題
私がまず、個人発表のテーマとして語りたかったもの、それは最後に述べた桂離宮とモンドリアンの奇妙な類似性であった。このめぐり合わせに出会ったとき、私の中ではたいへんな衝撃であった。ここから世界的な構成による共通性が発見されるような、そのような心情に駆られたのである。しかし、実際の事情は若干異なったようである。それは、日本にもモダニズムが輸入された時に起こった、日本の中のモダニズム的なものへの評価という過程であった。
1933年、ブルーノ・タウトがヴォルター・グロピウスらよりもまず先に亡命という形をとりながらも来日をしている。そして、彼は桂離宮の"発見者"とされるのである。彼は滞日中の『日記』の中に「私は桂離宮の"発見者"だと自負してよさそうだ」と述べている。これはつまり自らが桂離宮を評価した第一人者としての優越感とともに、「"発見者"となることを許されているようだ」といったニュアンスを嗅ぎ取ることができ、ブルーノ・タウトが桂離宮を"発見する"というのは、すでに日本側から作られていたシナリオであったのである。
このシナリオを用意したのは、ヨーロッパにて近代建築デザインを学んできた建築家グループである。当時は帝冠様式と呼ばれるような、和洋折衷様式が国家様式として罷り通っていた。この折衷様式は、重厚な石作り建築に日本的な屋根をのせるといったような雑ぜあいといった作業となる。このような表面的な西欧モダンの取り入れに反抗し、もっと建築の根源的な折衷、共通性を見出そうとしたのが、このグループである。彼らは、構成上の特性から西洋的なものと日本的なものが似ている、もしくは全く同じであること証明する機会を待っていた。その機会は、ブルーノ・タウト来日によって迎えられたのである。
桂離宮がブルーノ・タウトに"発見"された以降、宮内庁により秘託されていた桂離宮は構成によって解体されてゆく。例えば、写真家石元泰博により撮られた桂離宮は、線と面といったものに関心が集まっており、限りなく抽象化されたものであった。このような抽象化を通してみた桂離宮の画は、モンドリアンの純粋幾何形体の絵画と奇妙に類似性を見せてきた。おそらくは、私の桂とモンドリアンをめぐる構成による世界的共通性といった関心も、ここから生み出されたものであるだろうと思われる。
3.構成とその限界
世界共通にもちえる構成美、また寸法の黄金率といった問題は、やはりモダニズムが構成に取り組むうえで、やはり行われている。それに最も関心をもって取り組んでいたのは、サヴォア邸などで有名なル・コルビュジエである。彼は独自の尺度モデュロールを生み出している。
モデュロールは、ル・コルビュジエが建築を人間の為の空間とするために考え出したものであり、アインシュタインによって「比例に関する言語で、悪を複雑にし、善を簡単ならしめる」と評されている。その尺度は大まかに「人体の寸法」と1:1.618の「黄金比」、そして「フィボナッチ係数」の3つから成立している。まず、コルビュジエは平均的な身長として183センチメートルを「人体の寸法」の基準として採用している。この183センチメートルを規準にして、足先また指先までの長さを「黄金比」「フィボナッチ係数」を用いて計測された。
このモデュロールは、ただその尺度を示すだけではなく、実際の建築設計にも用いられた。モデュロールによってマルセイユの集合住宅、ユニテ・ダビタシオンを設計し、また最小単位の住まいとされるカップ・マルタンの小屋も身長183センチメートルの人間が片腕を伸ばした数字を基準に建てられている。建築材料の経済的効率の面からも、モデュロールを基準にした規格品が生み出されるほどになっていた。
しかし、このモデュロールが共通の規格となることはなかった。人体寸法と黄金比とフィボナッチ係数の奇妙にも当てはまるこの比率には、ある程度魅力的なものが存在するのであるが、ごく単純に万人受けしない理由があった。それは人体寸法の時に、183センチメートルが基準となっていることであり、その身長よりも低かったり、高かったりするだけでも、モデュロールの概念は破綻する。日本人にとって183センチメートルは、長身であり一般的ではない。また、女性の平均身長を考えればもっとその差は大きくなるだろう。
ここからも察するに、モデュロールは183センチメートルといった単位を設定してしまったがために、汎用性を欠くこととなった。その他の身長からも黄金比やフィボナッチ係数が使用できるような柔軟性が必要である。とはいえ、身体を構成美の中に取り込むことは、一人一人の個体差が存在する限り、また難しい問題である。スティーブン・ホールは「人間の直感的な能力のひとつは、物理世界において、微妙な数学的比例関係を知覚することである。楽器を調律して和音をつくるために微妙な比例調節をするのと同様に、視覚的空間的比例関係を評価できる能力をもっているのである。音楽においても、建築や他の視覚芸術と同様にそうした感受性は育成されねばならないのである」と述べている。この言葉は、構成美を否定はしていないが、それを知覚する身体の感受性を問題としている。
4.身体について
スティーブン・ホールは知覚する身体の感受性の育成を目指している。しかし、身体の育成を考える際、身体という屈折率の高いレンズを通すことを問題にしなければならない。意識への媒介となる身体は、外からもたらされた情報を屈折して伝達する。それは作者の"意図"の存在に懐疑的に臨んだロラン・バルトのテクスト論と同一のところに挙げられるのではないだろうか。または生成された身体、身体への無意識の介入というテーマを色眼鏡としての身体と共に挙げてもよい。そして身体への無意識の介入を体験的に感じることのできる装置として、三上晴子氏のモレキュラーインフォマティクスを挙げることができる。
三上晴子氏のモレキュラーインフォマティクスは、軍により開発された視点自動追尾装置を改良したメディアアートの作品である。軍では、パイロットへの負担が問題となり廃棄された。視点自動追尾装置は、意識して"見る"ということと、身体の中の視点が異なることを証明して見せたのである。それをアートとして、またパイロットのみでなく一般の人々の体験として見せるものへと変化させたのが、モレキュラーインフォマティクスである。
被験者は、意識して一点を見つめていても、視点により生み出された球体は拡散し、出現した球体への反射としてますます視点は移動してゆく。被験者以外の観衆からすれば、そこには美しい球体が宇宙の広がりを見せてゆく。
モレキュラーインフォマティクスは、身体の中の無意識の存在を証明してくれた。それはつまり身体が自然物として、また生成されたものとして存在しているからであり、身体自体は構成されてはいない。身体が構成されるという状況を考えうる場合、視点自動追尾装置にみるテクノロジーの発達を見て行かなければならないだろうと思われる。
5.おわりに―文化の主張
以上、題名にもある「日本的」「構成」「身体」について述べてきたつもりである。この文章自体も生成な文章で、各章ごとに方向性がずれているかもしれないがお許し願いたい。このレポートでは、「日本的なもの」を示したモダニズムが、構成を成して行く中で身体といった問題にぶつかり破綻してゆく様を示してみたつもりであった。しかし、未だ構成の問題は解決していない。3章では結局、採寸による制限された構成の破綻であり、比例による構成美を否定するまでには至っていない。日本における、安藤忠雄人気からも見るようにモダニズムは、ポストモダンもしくはそれ以降の時代である今日にもまだ息づいている。
結局、構成美の問題は存在し続けている。この問題はまだ解決されていないのであろうか。2003年にオープンした六本木ヒルズで、世界都市展が行われていた。各国主要都市の模型が置かれていたのだが、方形に区切られている都市や曲がりくねっている都市などさまざまな都市が展示されていた。現在行われている都市計画は、従来の矩形ではなく、曲線などを使用したポストモダンなものである。曲線による建築が世界各国で作り上げられている様子は、ポストモダンのグローバル化のようだ。
政治的、経済的グローバル化が進行する中で、まだナショナルを唱えているものは伝統や文化といったものでないだろうかと考える。桂離宮やそれと同等の日本建築は、モダンの構成の中に取り込まれた。これは思考のパターンの変革であり、建築自体の変化にはなりえていない。当時の政治的関係から天皇由来の建築はオーセンテイツク、将軍由来の建築はキッチュの烙印を押された。それから見るようにキッチュとされた将軍由来の建築、例えば日光東照宮は、モダニズムの渦潮から逃れることができていると言え、日本の独自性として扱われたのではないかと考えられないだろうか。
参考文献:
磯崎新 『建築における「日本的なもの」』 新潮社 2003
矢萩喜従郎 『平面 空間 身体』 誠文堂新光社 2002
(2003/8/2 更新)
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