「“建築の解体”症候群」という診断をめぐって |
今論文の主旨は、研究課題文献である磯崎新著の「建築の解体」をめぐった私の読解をまとめる事にある。そのため、まずこの文献の大まかな構成について説明したい。 この文献は二部構成になっている。その前半部分では、60年代において近代建築の概念を解体していった建築家たちの作業が紹介され、一方、後半部分ではそれら60年代の作業が残したものはなんであったかという問いに応答する形で、「“建築の解体”症候群」をめぐった考察がされている。そして、そのような症候群は、結果的に「主題の不在」という筆者の診断によって結論付けられている。つまり、60年代の作業が残したものは「主題の不在」という状況であったのだ。 そこで、私は筆者の抽象的な表現を今論文の設問に相当する主要な基軸として使用し、論考を展開していきたいと思う。それらは以下の三点である。「”建築の解体”症候群」、建築家がとりむすぶ現実との二律背反の関係、「主題の不在」。私の論考も筆者に順じて「主題の不在」へと方向付けられているのであるが、その前段階として、建築家の意匠の問題、当時の社会状況について記していきたいと思う。 「“建築の解体”症候群」とは、結局のところ「主題の不在」という筆者の最終的な診断で結論付けられる。しかしながら、ここでは筆者の「“建築の解体”症候群」を説明する記述に沿う形で、「建築の解体」の作業がどのようなものであり、また、そういった「症候群」とは細かくどのような様相をとるのかということをまとめて記したいと思う。そのため、以下の文章は、建築家がそのような症状においてとる意匠の際の姿勢に注目するという観点で展開することにしたい。 「“建築の解体”症候群」の章は、まず「アパシィ 〜革命はとっくに終わっている〜」と題されたパラグラフで始まっている。 そもそも、近代建築における革命とは、建築の工業化を基盤とし、社会ないし政治を変革するという理念に基づくものであった。そしてそのような理念の下、インターナショナルスタイルに代表されるように、伝統的な様式を拒否した革命的に新しい形態が作り出されるたのである。 では、「建築の解体」の作業と近代建築の差異はなにか。革命の終焉とはどういうことか。そこで重要となってくるのは「参照」という60年代の建築家たちの姿勢であった。例えば、スーパースタジオのインテリア・デザインの手法は、近代建築の巨匠を含めた新旧のデザインを参考にするという再構成にあった。また、その再構成は、近代建築の先駆者たちの革命的理念に付随するものではないということも重要である。従って、著者の「革命はとっくに終わっている」という指摘は、近代建築における新しい形態の開発とそれまでの社会革命的な理念の終わりを意味するのである。 そのような再構成の意匠は、新しいデザインの終焉かのようにも思われた。しかしながら、近代建築の革命が終焉した状況に際して、このような選択、参考にするという建築家の手法の飛躍は、近代建築の概念そのものの外へ出ようとする、それまでにはなかった潮流になっていった。 筆者が頻繁に使用していたヴォキャブラリーのうちの一つに「建築的貯蔵庫」というのがあった。それは、「革命はとっくに終わっている」状況において、建築家の意匠に関わる用語であり、選択、参照という行為の対象を指すものである。つまり、「建築的貯蔵庫」には、カタログ化された建築の意匠に関わる情報が収納されているのである。 そして、新しい建築家の眼差しは、それまで近代建築において正統とはみなされていなかった領域に多角的に向けられていくことになり、「建築的貯蔵庫」は豊富な品揃えの様相を呈し始める事となる。ヴァナキュラー・ランゲージ(「土着的固有言語」)やポップカルチャー、新しいテクノロジーなどである。 ヴァナキュラーは「風土」としても訳されるが、つまり、近代建築が排除していた、伝統的建築や、ディズニーランドやラスベガスのようなポップカルチャーにおける建築が、新しい建築の文脈において参照されるようになったのである。また、ハンス・ホラインの「今日では、あらゆる物が建築となる。」という説明が明確に要約するように、建築の概念は、従来の建築家によって構築された固定的な形態という範囲を留めなくなる。 例えば、ニコラス・ネグロポンティの「アーキテクチャーマシン」は、人が生活する環境そのものの設計にコンピューターの演算を組み込む事で、環境そのものが自律的に進化していくことが謳われている。それは建築家が自身の建築物を支配できないという認識に基づいているが、そういった建築家の自覚は徐々に明確になってくることになる。 建築家が、全体的な意匠を決定できるという認識は希薄になり、従って構築された建築は、「建築的貯蔵庫」の引用された雑多な内容が、共時性をもって外貌を覆う事になる。そのような状況において、建築は「混成品」であるという考えが成立するのである。そこでは、ヴェンチュリーが指摘していたように、近代建築がもっていたシンボルを排除し、抽象的かつ純粋な形態を構築するという傾向が崩壊しているのが分かる。 例えば、ピーター・クックの「アドホックス」では、様々な様式の消費物質が、住み手の自身の判断で街並みに組み込まれることを想定した手法が、提示されているのである。 また、このような意匠の姿勢は、必然的に重なり合うイメージ、ないし記号化の絶え間ない再生産という事態を関わらなければならなかった。なぜなら、機械やドリス式建築を引用したコルビジェも、また引用の対象となり、建築の概念の拡張に加え、そういった引用の運動も絶えず更新されるからである。そのような中で、建築家は筆者が述べるような二者択一をせまられることとなる。「貯蔵庫をひっくりかえし、膨大なイメージ群とわたり合い、アドホックな環境を許容するシステムをつくるか、その貯蔵庫を閉鎖し、イメージを消し、ミニマルに還元された、非セマンティックな領域を探索するか」である。 筆者は、「“建築の解体”症候群」のうちに、「機能主義がかかえこんでいた目的性を明確に表示するという意図が放棄されている」といった一つの性質があるとしていた。 機能主義は、近代建築を特徴付ける一つの要素である。それは普遍主義とも関連し、機能に応じた形態が、民族や地域の差を乗り越えるという観点ないし美学があり、コンクリートをそのまま露にする構造表現主義がそれに連なっていたのだ。つまり、筆者の指摘はそういった近代建築の特徴的な美学が放棄されていることを意味するのである。 そして、そのような美学や意図の放棄が、「曖昧(アンビギュアス)」なものへの探求の前提となっているのである。ピーター・アイゼンマンの建築の状態を表現する「潜在的中性」というイメージの連想を排除した、非セマンティックの領域の探求がその一例である。 筆者は、60年代の「建築の解体」の作業の建築家たちを「テクノクラートに味方するか、デザインを放棄するか」という二者択一の状況において、「みずからの作業の糸を解体すると同時に、既成の建築という概念をも解体することを、手さぐりをつづけながら開始した連中」とみなしていた。そして、そういった建築家は「現実と二律背反の関係をとりむすぶしかない」ということであった。 ここでは、「主題の不在」について直接的に記していく前の段階として、著者が指摘する建築家が不可避的に結ぶ現実との二律背反の関係について探りたいと思う。 現実と建築家が相互に矛盾しているような様子があるとは、どのようなことを意味するのであろうか。それは、現実においてはテクノクラートの支配が存在し、建築家はそれを拒否しているにもかかわらずテクノロジーを通じて獲得された建築の視覚言語を使用するという事態に他ならない。 とするならば、筆者が論考の始めに立てた「革命はとっくに終わっている」という題目は言葉の表現上、表面的に矛盾することになる。しかしながらそれは、少なくとも、60年代の建築における社会主義的要素の希薄化と「テクノロジー」という手段への欺瞞を意味していたのだ。 そして、そのような現実の世界認識についての了解があるからこそ、ジュエンクス、シルヴァーが著した「アドホッキズム」における以下のような情熱的な表現が生まれるのであろう。 「みずからの直接的な必要を認識する事によって人はみずからをクリエートし、維持し、超えていく。・・・これが精神衛生の鍵。空虚で、無反応な現在の環境は、白痴と洗脳の鍵。」 このような声明を理解するためには、やはりテクノクラートの語意をある程度理解しなければならない。 近代建築における「主題」とは、社会、政治を変えるという意味での革命に基づいたテーゼであり、そのなかでテクノロジーが大きな役割を果たしていたのだ。テクノロジーが、テクノクラートによって大量生産、大量建設、大量消費という一貫した社会的生産関係に組み込まれられたのであれば、近代建築の理念と手段の自立性や有効性は失墜することになる。 磯崎新が「権威の解体」を著した70年代は「テクノクラート」にまつわる言説が定義されていた時代でもある。 例えば、フレデリック・ジェイムソンは「建築のイデオロギー批判」で、盛期モダニズムが、ユートピア的主張に反して計らずも「テクノクラシー計画の全能性とのちに多国籍資本の全体システムとなるにいたるもの」に貢献する事となった、と述べている。「テクノクラシー的全体支配」は計画消費の官僚社会というシステムで、大量生産を駆動させるのである。 人々の消費行為に目を向け、それがイデオロギー的であるという視点は、イバン・イリイチも同様に有している。彼は、1978年に刊行された「専門家時代の幻想」という著書において、この「専門家の時代」において人びとが「必要(ニーズ)」を規定する力を「技術官僚(テクノクラート)」に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄し、さらにはそれらの「必要」を満たす方法も失っていると提議している。 一方、「イデオロギーの終焉」という言説についても触れて置きたい。 高度経済成長を実現した資本主義社会において、もはや階級闘争或いは階級対立という言葉は死語になる。そうした上で、イデオロギーをある階級に固有の意識、世界観であると定義すれば、階級闘争の終焉とともにイデオロギーも終焉する事になる。つまり、このような言説は、生産に基盤を置いた階級による社会的な秩序認識の終わりを意味するのである。 株式市場の定着は、資本家は分散し、株主つまり大衆的投資家という形を呈する事になり、また企業の巨大化は、労働者からサラリーマンという呼称の推移をもたらしたのである。加えて、例えば日本でみられた「一億層中流」と表現されるような経済成長期における人々の意識の成立は、文字通り階級差についての認識を明らかにした。 また、ここでの文脈で明確に留意して置きたいのは、そのような言説は同時に、階級闘争に基づいた革命という世界観の終焉をも表現していたという事である。 近代建築における進歩を前提にした社会、生活の改善の構想における当初の主眼は、貧困であった。そして、このような社会問題に対応した形であったからこそ、近代建築の描く青写真はアクチュアリティーがあったのであろう。世界大戦後の復興においてもそれは同様であったと考えられる。しかしながら、戦後の資本主義社会における高度経済成長は、貧困や労働者の主体性といった問題意識、或いは革命観といったものを変化させたのである。つまり、そこで重要となるのが、そういった広く共通認識として顕在化していた人々の問題意識や革命観が終焉するという事である。なぜなら、まさにこの事態こそが、「主題の不在」という状況の根本的な前提となるからである。 従って、「建築の解体」は、大きな共通認識的な問題意識の解体、拡散と重なり、対応し合うのである。従って、このような事態は、前述したような建築家と現実の関係を説明すると同時に、人々の問題意識の変容を浮き彫りにするのである。 以上の事柄をふまえれば、ジュエンクス、シルヴァーによる「アドホッキズム」でみられた扇動的な表現も、より理解に易いはずだ。つまり、何が必要かということを自律的に思考する事が、白痴や洗脳の状態から脱することである、と謳う彼らの主張には主眼が、消費者であるような含意があり、それは明らかにテクノクラートが意識されているのである。 ここで、もう一度「主題の不在」という主題に立ち返って考えるならば、まずそれは近代において当時の社会問題に応答する形で成立した建築的意匠の決定的な終焉を意味するのである。 前述したように、閉塞状況にあった形態の開発、つまり構造(材料)を表現するといった近代建築の美学は、建築家の折衷主義ともいえるような整理、引用するといった姿勢で新たな局面を迎えた。 磯崎新は、60年代の多様化する建築の手法がもたらす状況を以下のように表していた。「主題が消えて、形式だけが浮かびあがり、自律的な微振動がつづいていく。そのようなとき、形式がもたらす視覚的な快楽は、徹底的に開発されつくすだろう。建築的貯蔵庫は開放され、多様な引用が可能になろう。おそらく可能なかぎり微妙な修辞法も開発され、そこに豊饒な建築的世界がひらけはじめるのだが、実は、そのような事態は、現代建築が統括的な主題を放棄した事によって、開発された領域であった。とすれば、豊饒な光景の背後に、実は絶対的な主題の欠如が生み出した荒涼とした領域が広がりつづけることも覚悟せねばなるまい。」 覚悟しなければならないのは、視覚的差異の連綿とした「自律的な微振動」の状況である。建築家の作品はそういった運動の中に放り込まれ、それ自体では意味を成さないのである。いわば、建築家の建築からの疎外である。 このような事態について、浅田彰も同様な認識を有しているようである。彼は「“歴史の終わり”と世紀末の世界」で以下のように述べている。 「・・・とくに70年代以降の日本では、・・・すべてのパターンはすでに出つくしており、われわれにできるのは、それを適当に引用しリミックスして消費する事だけだ。そうやって、いわばすべてを記録したテープが際限なくリプレイされているのを眺めている現代人の姿は、むしろニーチェの言う“最後の人間”の姿そのものではなかったでしょうか。」 つまり、文化的生産者も唯々諾々とした消費者的態度を余儀なくされるという事であり、60年代の作業がそのような「リミックス」の対象として早々と認知され、「“建築の解体”症候群」という診断が下される70年代において、建築家もこの例から漏れないということであるからこそ、「主題の不在」という主題が建築家の眼前に現れるのである。 近代建築の解体は、建築における様式の年表をみれば可視化されているように感じられる。なぜなら、そこでは一つの大きな塊であるモダン・ムーブメントが1960年代以降に多岐にわたって分化していく流れが画かれているからである。 このような表現の多様化は、ポスト・モダニズムの特徴として考えられている。 そして、同時代建築研究会著の「現代建築〜ポスト・モダニズムを超えて〜」では、そのような建築における表現形式の分岐のはじまりについて、以下のように説明されている。 「1964年、ロバート・ヴェンチュリーが、ミース・ファン・デル・ローエの“less is more”をもじって“less is bore”と言い放った時、建築におけるモダニズムの神話は大きく崩れ、今日ポスト・モダニズムという言葉で括られる、建築のデザインのある傾向が一挙に顕在化した」 加えて、同著ではポスト・モダニズムの論理についても次のように説明されている。 「伝統的・歴史的に意味や記号性を持って建築の部分のスタイルを組み合わせながら、ある一つの文脈をもった建築をつくること、あるいは、作られた建築をそのようなものとして分析すること」 つまり、磯崎新が「建築の解体」で詳細にわたって論考してきた事柄は、その用語こそ登場してはいないが、結果としてポスト・モダニズムの性質を明確にする作業であったと考えられる。では、ポスト・モダニズムについての言説のなかで、「主題の不在」というような事柄はどのように表現されているであろうか。 「ポストモダニティの条件」においてデヴィッド・ハーヴェイが示した、ポスト・モダニズムにおける多様性の美学がどのように表現されていたかを検討しなければならないという注意深い指摘に目を向けたい。要約的に、彼の見解を私の読みに基づいて概略すれば次のようである。 そのような表現形式は折衷主義的であり、しばし市場志向的な様相を露にする。しかしながら、そういった多様な表現形態が即ち、「見物者の観点」が都市構造を決定づけているという状況判断的な考えに結ばれるわけではないということは明らかである。それは「大げさで奔放な大衆化された建築」について反対の立場をとる「脱構造主義」の存在でより明確になる。ポスト・モダニズムという状況において重要な事柄は、「道徳、政治、経済システムに反発しやすい統制の効かない世界」を反映させようとする作業が「方向性を失い、混乱すら招いて」いるということである。 まさしく、このような指摘は、「主題の不在」という主題を照らしているように感じられる。そして、筆者が述べるような「移ろいやすさとカオスの感覚」こそが、「建築の解体」が為された後の建築家が、抱くテーマなのではないだろうか。 建築について自身の日常生活から考えるという視点、それ自体が何かポスト・モダニズム的だというような感覚を覚える。例えば、ヴェンチュリーが志向したような大衆のためという建築の方向性は何を私たちにもたらすのであろうか。まずは、建築という言葉から考えをめぐらす事で、その問いの意味に接近したいと思う。 広辞苑によれば、そもそも建築という言葉は江戸末期につくられたarchitectureの訳語であり、それ以前は普請という言葉が用いられていた。そして、普請とは元来、禅寺で人々に堂塔の建設などの労役に従事してもらうことを表していた。つまり、ここで重要になってくるのは建築と普請という言葉の間には微細なニュアンスの差異があるという事である。普請という言葉は、普請奉行や普請方といった用法からもうかがい知れるように、インフラや公共事業のような意味合いをそのルーツからしてあらかじめ含んでいるのである。 もし、建築という言葉の定着が近代化において為されたとするならば、それは封建制の崩壊を背景にした民主主義という概念と関係があるのではないだろうか。つまり、普請から建築という言葉上の推移は、権力が一元的なものから人民に分散化されたものへとその見取り図を変容させた経緯とある程度重なるのではないだろうかという事である。つまり、結論的に述べれば、普請から建築という推移があって初めて、それ事態が良いか悪いかは別として、私たちに良い建築というものを決定する余地が生まれたのである。(ハーヴェイが指摘していたように、そのような状況が実際に起るのはずっと後のことである。) であるならば、「建築の解体」の作業でみられた、住み手との対話という発想は至極必然的な流れの一つとして考えられる。上記した「アドホッキズム」もそのような観点で見ることが可能であり、更にそれ以外の例を挙げれば次のようである。ヴェンチュリーの大衆のための建築というような観点や、ニコラス・ネグロポンティの「アーキテクチュア・マシン」で目指された一連の機械が「主観的で偏見に満ちた建築の設計過程を客観化していく」という方向性、さらには、クリストファー・アレグザンダーの入居者自身が住環境を更新していくようなシステム。これら全てが、人びとが政治的決定への参加をもとめられるという民主主義の文脈で理解が可能である。 このような観点を踏まえた上で、私にとって重要な問題は、建築家の存在証明や、それは「新しい」か、といった事柄ではなく(なぜなら、私の身の回りに立ち並ぶ有象無象の建造物たちは、製作者の存在証明や新しさを求める様子もないからであり、そもそも「建築の解体」が記されてから30年余りたった現在に生きる私にとって、引用やサンプリングの新しさの衝撃そのものは実感し辛い上に、生まれたときから「主題」は不在であったからだ)、現状について良いか悪いかという判断を下すような局面での直接的で倫理的な問いである。つまり、現在における良い建築とはどういう事である。 私はこの問いについて今、疑心暗鬼な態度でありながらも考え始めている。住めば都的な私が以上のようなことを考えるのは何か不思議な状況であるような気がするが、しかしながら、この倫理を欲する心理こそが「主題の不在」の状況が現在も続いているがゆえに抱かれるものであるかもしれない。ならばやはり、「主題の不在」という主題についてもう一度立ち返って、注意深く考えて検証してみる必要がありそうだ。 「建築の解体」磯崎新 美術出版社 「現代建築 〜ポスト・モダニズムを超えて〜」 同時代建築研究会著 新曜社 「ポストモダニティの条件」デヴィド・ハーヴェイ著 吉原直樹訳 青木出版 「専門家時代の幻想」イヴァン・イリイチ 新評論 「建築とイデオロギー批判」 F・ジェイムソン 後藤和彦訳 |