キッチュについて  〜「俗悪」をめぐる考察〜


はじめに ―キッチュをめぐって今回は何を論じたいのか−


キッチュという言葉から何が連想されるであろう。 私は、コケティシュやアンニュイといった、なんだかよくわからないカタカナの言葉としてしかそれを理解していなかったが、 辞書を引けば「俗悪」として定義されていることからも、大抵の人が、 そのような辞書の定義に近い印象をキッチュという言葉から受けるのであろう。 一方で、俗悪とは「いやしく劣悪なこと(広辞苑から引用)」であるから、 つまりのところキッチュとは美しいとか、上品などとは反対の言葉なのである。

しかしながら、それではキッチュを定義する上ではやはり不十分である。 そこで、今論文では、何かがキッチュと形容される際にみてとれる諸所の現象の同一性を検証したいと思う。 なぜなら、キッチュという言葉は人々の生活そのものに関係が深く、キッチュという現象は人々の生活の圏内で表出するのであり、 その検証作業は私たち自身について、そして私たちが置かれている状況に対して考えをめぐらせることに他ならないからである。 つまり、先んじていえば、ある種のキッチュについてみられる過剰さは、少なくとも経済の「過剰」を素直に表現するものであり、 キッチュにおいてみられる貪欲さは、私たちのそれそのものを物語るのである。それはともかく、今論文の狙いは、 結局のところ俗悪のその俗悪性について考えをめぐらすことに集約されている。その「悪」が単に趣味の悪さであるにしろ、 その趣味の悪さ、つまり悪いと形容されるまでに至る工程はいかなるものかを探りたいのである。 キッチュはそのための指標である。であるから、物的特徴や、人間の精神的特徴にしろ何であれ、 いかなるにもキッチュが定義されたにせよ、そのような用語が、どのような局面で用いられたかが今論文の重要な要素である。

キッチュなるものを手っ取り早くうかがい知るために


とりあえず手短にキッチュをうかがい知るために、ピーター・ウォードの「キッチュ・イン・シンク」からその具体例を導き出してみると以下のようになる。


インディアンの形をした塩・胡椒入れ、プラスチックのマリア像を配した置物、郵便配達夫シュバルの館、鉄筋コンクリートでつくった靴型の家、ディズニーランド


では次に、このようないくつかの例を類型立てて理解するために、アブラハム・A・モルが「キッチュの心理学」の中で記した「キッチュの諸原理」を参考にしたい。

それらは、1.本来果たすべき機能の拒否を特徴とする不適当性の原理、2.収集熱からくる累積の原理、3.同時に多くの感覚領域にアピールする共感覚の原理、 4.大衆によって受け入れられるという中庸・凡庸の原理、5.快楽原則的な快適の原理、の五つの原理である。

これらの原理を踏まえればある程度キッチュという言葉にふくらみを持たせることができるであろう。そのなかでも、後に今論文の主旨にとって重要なのは四番目の中庸・凡庸の原理であり、 モルが「キッチュの悲劇」として指摘するように、一度消費者である大衆が、キッチュを自分にふさわしくないものと考えるようになれば、それは軽蔑の対象になるという点である。

他方、同時代建築研究会著の「現代建築〜ポストモダニズムを超えて〜」では、H・ブロッホの 「一滴のキッチュはどんな芸術にも混入している」という文句が引用され、ガウディーやアール・ヌーヴォーの建築もその例として挙げられ、さらに現代に生きる私たちにとってわかり易いキッチュについての解説もされている。それは次のようにである。

「そこら中にあるものは、キッチュであり、あなたの部屋を見回せばそこにキッチュがある。ある種のエキゾティシズム、 さまざまなものを所有しようとする欲望はキッチュのものである。アイドルのポスターが貼ってあったり、レースのカーテンがかかっていたり、要するに部屋を飾り立てようとするところにはキッチュが潜んでいる。装飾、機能性を超えたある種の過剰さはまさにキッチュである。」

加えて、アブラハム・A・モルは、「キッチュとは、まずなにより、人が物との間に結ぶ関係の一つのタイプである。一つの具体的なものについてそれをキッチュであるといったり、あるいは、一つの様式をキッチュであるといったりするよりは、 人間の存在の仕方そのものについて、その一つの型(タイプ)をキッチュといった方が適当なのである。」と記しているが、私もそのような一つの様式についてだけ言及しないような観点と同様の立場をとりたいと思う。

キッチュという言葉の始まりについて


広辞苑では、キッチュ(kitsch 独逸語)の定義は、「1、まがいもの、俗悪なもの 2、 本来の使用目的から外れた使い方をされるもの」とされている。では、その言葉の成り立ちはどのようなものか。 先に挙げたA・A・モルによると、私たちが現在において使用するキッチュという言葉の源流は以下のようである。

キッチュという言葉が新しい意味合いで、使われ始めたのは1860年ごろのミュンヘンである。南ドイツで広く使われたこの言葉は、「かき集める、寄せ集める」といった意味を表すのだが、さらに狭い意味では「古い家具を寄せ集めて新しい家具を作る」という意味に使われていた。そして、キッチュという言葉から派生したフェアキッチン(verkitchen)という語は、「ひそかに不良品や贋物をつかませる」、「だましてちがった物を売りつける」といった意味に使われていた。それ故、キッチュという言葉には、もともと「倫理的にみて不正なもの」、「本物ではないもの」という意味合いが含まれていたのである。

キッチュという言葉の発生の概略は、19世紀後半のドイツにおいて、まがいもの、不良品、贋物、模造品、粗悪品といった意味合いで使われ、次第に広範囲にわたって使われ始め、つまり我々が広辞苑でうかがえるような意味合いを帯び、一般的な概念となった、と記すことができる。

「ビーダーマイアー様式」について


では次に、それらの過程における、キッチュ発生の内実のひとつを表してくれるかのような具体例を述べたい。

「ビーダーマイアー様式」は、宰相メッテルニヒの勢力圏内、主にウィーンを中心に、ウィーン会議(1815年)から三月革命(1848年)までの期間にブルジョアが好んだ生活様式であり、壁、床、天井などの室内装飾や、家具類、建築構造、外装、さらにはそういった空間で聞かれた音楽までを指す様式である。

この様式は、メッテルニヒの反動的復古政治下で、多くの市民は政治に背を向け、自己充足的な生活に逃避していたという当時のウィーンの状況下、小規模な建築に相応するシャンデリアや絵画、そして産業革命にかけて発達した紡績技術によって量産可能になった、ストライプ模様の壁布、落ち着いた色調で統一される内装など、反貴族的な風潮ながらも貴族趣味の優美さが市民の生活空間と市民の美学に見合った形で導入されている点が特徴であるが、そういった引用、導入が、矮小でキッチュ的であったとされのである。

市民独自の嗜好は、「ビーダーマイアー様式」における絵画から端的に観察される。彼らの絵画は、それ以前のものと、つまり教会や貴族のもと比べてサイズが縮小しているのに加えて、その主題も変化している。権威をまとっていたアカデミーの美学では、神話的、歴史的、宗教的な主題を格の高いもの、一方の風景や、静物画は一番下というように、序列付けがされていたにもかかわらず、「ビーダーマイアー様式」においては、肖像画や風景画、静物画が主要なものであった。

その点については、高階秀爾は著書のなかで以下のように述べられている。


「洗練された趣味の伝統も、古典的教養の背景ももたず、堅実で現実主義的な生き方を何よりも大切にした中流市民たちは、神話、歴史、宗教などを主題に求めた壮大な“歴史画”よりも、もっとずっと身近な、親しみやすい主題を好んだ。」

その後、市民が力をつけ、芸術の主要なパトロンとしての機能を果たすまでに至る経緯とともに、低俗な主題はその地位を上昇させるのであるが、つまり、ここでもっとも強調したい点は、キッチュという概念は市民社会、そして市民、つまりブルジョアジー、さらに彼らの嗜好と関係が深いという点であり、さらにそれは大量生産にともなう大衆社会という概念とも密接につながるといった点である。

用語としてのキッチュの誕生 −キッチュと「良い趣味」の関係−


ピーター・ウォードは、「キッチュ・イン・シンク」のなかで、「良い趣味」(彼は、趣味を「美を楽しんだり、見出したりする能力」として定義している。)をキッチュと対比する語として用いているが、そこで最も重要な点はキッチュが、「良い趣味」側の人々が「悪い趣味」を称する時に用いた言葉であるとされている点である。彼の著書によれば、ヨーロッパでは、鑑定家たちを中心に、上層階級の人々にとって、コーヒーハウス、ティールーム、客間、サロンなどの社交場を舞台として、「趣味の問題」、つまり審美的な問題(何が美しくて、なにが美しくないかということ)が、論じ合われていたが、その後、産業革命がもたらした大量生産は、あらゆる社会階層を消費者に変え、「趣味の問題」をサロンに留めてはおかなかった。つまり、大衆文化が形成され始めるのだ。そして、審美家たちは、そういった大衆文化に問題意識を感じずに入られなかったのである。彼が例に挙げた、イギリスにおいて開催された1851年のアルバート皇子による大博覧会や、1852年のヘンリー・コールによる「恐怖の部屋」と呼ばれた博物館の展示はいずれも、中産階級に正しい審美的感覚を教え込むことを課題としていたのである。

彼らの教育的催しは効果を得られず、「本当」の「美を楽しんだり、見出したりする能力」が欠けるものたちは、その後も消えることはなかった。であるから、その後、第一次世界大戦ごろの美術批評家が大衆の嗜好の俗悪さを表するために、ウィーンで使われていた「キッチュ」という言葉を抽出することになるのである。

ウォードによれば、1925年に、オーストリアの美術批評家、フリッツ・カルペンは著書「キッチュ」の中で、「デザインを凡庸化し、その用途にとってまったく不必要であると思われる、ある種の常識を欠いた加工品」を描写するために、その用語を用い、(その例として「ダ・ヴィンチの最後の晩餐の焼き絵がついた鉄製フックや、女性の胸の形に作られたインク壷」などが挙げられている。)彼の同時代の美術批評家、ヘルマン・ブロッホやジロ・ドルフルは、キッチュを社会的、政治的な邪悪さと結びつけたと指摘しているのである。

ウォードのいうところの「初期の批評家たちは、家庭用品への高まりゆく需要にこたえて現れつつあった、良き趣味に対する暴挙や、ごちゃまぜの表現の多くへ強い軽蔑を評するためにその用語に飛びついた」である。用語としてのキッチュは蔑称として誕生するのである。

蔑称としてのキッチュの段階からみる、キッチュについてのひとまずの簡単な定義


ここで、もう一度蔑称としてのキッチュを注意して検討しておきたい。

上記したように、キッチュが軽蔑的な用語として用いられていた時代には、身分的な格差がはっきりとしていた。それはつまり、俗悪が意味する「卑しさ」が身分や地位が低いことを表することから解るように、キッチュを蔑称として機能させ用いる者たちと、反対に用いられる者たちの間には、はっきりとした階級の差があるのである。明確な階級的序列があるのだ。であるから、原理と照らし合わせるというよりも、大衆の手にかかるものがすなわちキッチュであるかのような事態であり、わかりやすかったのである。

さらに、キッチュは序列関係の上位から下位へ、という一方向性をもって使用される言葉であり、その方向性こそがキッチュであったのだと踏まえておきたい。キッチュかどうかを判断する際にはその人間の身分という項目が最も重要な手がかりであったのであり、当然ながら当の本人が、私にまつわるものはキッチュである、などとは自称することはなかったのだ。

加えて、高階秀爾がいうような「卑しい」人々の洗練された趣味の伝統や、古典的教養の背景の欠如からくる特有の嗜好や、例えばビーダーマイアー様式でみとめられた「卑しい」人々のより上位の階層への希求の結実が、キッチュなのである。

モルは、そのような階層的な構造において比例的にいくつかみられる人々の心理と彼らにまつわるキッチュの現象を、大まかに、上位を下位が模倣することによって、そのステイタスシンボルが次第に下降すると説明していた。そのような観点に立ち、彼はキッチュという現象の本質的なこととして次のように記している。

「社会というピラミッドの頂点に位置する社会層に見られた流行や文化的価値が、次第にその下の層に広がっていき、ついには、そのピラミッドの最下層までに浸透して、社会的な規範に化し、あるいは、普遍的な生のスタイルにまでなるということである。キッチュとは単に一つの様式、スタイルにとどまらない。このような運動それ自体がキッチュなのである。」

モルは、一つの例として、お茶やディナーの時の順序やきまり、接待のきまり等の儀礼は、市民階級(ブルジョアジー)が上流階級を模倣し、市民階級の行動様式の一部となり、その後やっと20世紀になって労働者階級(プロレタリアート)もそのような行動様式を獲得したという逸話を紹介しているが、ともかく重力のような一方向的な流動がキッチュであり、その吸引力は常に、より下層の人々の希求によるものなのである。そして、この時点ではこの層は、辞書的な意味合いでいうところの「生産関係上の利害、地位、性質などを同じくする人間集団 広辞苑より引用」、つまり階級どうし、あるいはそれに基づく身分どうしの界面なのである。繰り返し述べれば、キッチュか否かの判断基準は可視化され、明確な身分という項目であったとういうことである。

キッチュをひとまず階級と結びつけて考えることがこの論文にとって重要なのである。しかしながら事態は次の段階に展開する。キッチュは称揚に変転することになるのである。

謳い文句としてのキッチュがもたらす困惑


大量生産の拡大、浸透は進み、さらにカウンターカルチャーが盛り上がりをみせる60年代頃から、それまでのキッチュ的要素は、ウォホールのスープ缶や映画俳優などのマス・イメージをプリントした芸術が隆盛するように、社会におけるその地位を上昇させる。その後、キッチュ的感覚、つまり俗悪さは、その時代の風潮とあい重なりもてはやされ、ウォードがいうように、70年代から80年代には商品がキッチュであるとして受け止められることを狙って作られるようになるのである。彼は、そのようなキッチュをてらったモノを「詐欺」としているが、というのも彼にとってキッチュは「楽しさを履き違えているとしか思えないような邪魔な存在」であり「最初魅力的に見えたとだろうか戸惑わせる」ものであるし、「ほんとうの馬鹿馬鹿しさという感覚がそこに現れていなければならない」のである。「ほんとうの」キッチュがどのようなものであるかは、今は置いておいて、飛躍してしまうがキッチュが台頭し、氾濫するのである。そのような歴史的展開は市民社会から、大衆の社会へという推移を伴うものである。経済や文化の担い手が、資本主義の隆盛以来、資本家から都市住民、そして大衆、つまり一般の労働者や農民などの一般勤労階級に拡大してといった事態と連関しあうのである。

身分、階級は、それらが固定で、世襲だった封建社会の崩壊から、例えば資本家や労働者といった生産関係に基づくものに推移し、時代は次の段階に進んだのである。すでに述べた文脈に沿って言い換えれば、キッチュの氾濫に際した、どれが本当のキッチュかという専門家による追及の行為のそのものの背景には、それまでの可視化され明確だった階級、ないし権力関係の見取り図の大幅な変化があるということである。

例えば、株式会社制度が一般化、大衆化することより経営者と株主は分離し、資本家は単なる株主や労働者も含んだ一介の投資家といった形にスライドしてくる。さらには、労働者や資本家というよりも技術者や「ビジネスマン」という名称のほうが当てはまるような合理的な業務を組織的に行う人々が現れてくるのである。

それはまた、戦後の先進資本主義国における経済の高度成長を実現した後の「イデオロギーの終焉」といったように形容される事態として考えることが可能であろう。資本家と労働者間の階級闘争の現実味は薄れたのだ。それは貧困が重大な問題ではなくなるような「豊かな社会」の到来であり、人々の所得の総体的な向上はその側面であり、要因でもある。

要するに、それまでキッチュという用語を成立させていた階級は以前のような歴然とした形をとどめることはなくなり、前述したような教養がない「卑しい」人々というカテゴリーは縮小するのである。それは一方で大衆文化の絶対的な形成かつ隆盛ともいえるかもしれないが、とにかくそのような状態では、ウォードのようなキッチュか否かの判断の際の困惑が生じるのである。

キッチュの定義についての再考


ボードリヤールは、「消費社会の神話と構造」のなかで、キッチュを「とくに擬似モノ、つまりシミュレーション、コピー、イミテーション、ステレオタイプとして、あるいは現実の意味作用の貧困、記号と寓意的指示とちぐはぐな共示作用の過剰、デティ−ル礼拝が飽和状態に達した段階など」として定義していたが、つまりキッチュにおいて、大量生産の時代における複製品とその被複製品との序列的な間柄は、階級を媒介として維持され得たのである。

キッチュの本質的な要素は、差異であり、ズレである。上位のものと下位のものとの差異や、解せるものと解せないものとの差異なのである。そして、キッチュとは常に他者(或いは他者の主観)にまつわる現象を示す用語であった。その意味でキッチュを自認することはできないのであり、共通認識に基づいてキッチュをてらったものにはそういったズレがないのである。

もし、キッチュが、ファッションやグラフィックのデザインにおいてキッチュは流行した、とだけしか語られることがないのだとすれば、それは「キッチュっぽさ」を形容しているだけである。それは初めから好意的であるし、そこに「まちがい」がないのだ。それは単に視覚的な認識のキッチュの原理を踏襲しているに過ぎない。もはやこの現時点では、職業的なデザイナーにはキッチュはつくれないといえてしまうのだ。しかしながら、キッチュという言葉の概念が変更される可能性を加味して考える必要があるかもしれない。キッチュとは主に、終始特定の人々にしか使用されない用語であったが、その言葉は更新され、単に視覚的な要素だけを形容する言葉に成り代わる可能性も少なからずあるのである。それまでキッチュを使用することは暗に階級差を露呈させていたが、この時点では階級差が露呈するほど明確な形態をとっていないといった方が正確かもしれない。

しかし、キッチュをかたくなに階級と関連付けて考えなくても、二項対立的な図式にはキッチュが発生する余地がある。キッチュの辞書的な意味も、「まがいもの」や「本来の使用目的から外れた使い方をされるもの」であるが、それは「本物」や「本来の使用目的に見合ったもの」と対を成すものであり、キッチュという名称においては、むしろ主導権はその正当性や妥当性のほうにあるのだった。では、階級にかわる正当性を誇示するなにかがあるとすれば、その一つがメディアである可能性を示唆したい。 

ものには実利的使用価値の側面以外の、それが有する記号としての作用がある。その記号はイメージとして言い換え可能であるが、その特性の決定は極めて社会的である。

マーシャル・マクルーハンは「人間の拡張の原理 ―メディアの理解―」のなかで、例えば映画を挙げて、それがアメリカの生活を世界的な「広告」となったとし、「今日の広告は、個々の商品を相手にすることはやめて、大企業の“イメージ”という、全てを包含する終わりのない過程を扱おうとしている」と指摘している。キッチュが存続するならば、その提供されるイメージとのズレにおいてである。

おわりに −俗悪の力について−


マルクスは「製品の製造は、消費財を作り出し、消費の仕方を作り出し、消費衝動までも作り出すといえるのである」の記しているが、前記したメディアもそのプロセスの一環として考えることが可能であろう。

ところで、モルはキッチュを「人が物との間に結ぶ関係の一つのタイプ」であるとして、さらにマルクスの疎外という用語を適用させ、それをキッチュと同一ではないが、「キッチュという現象を構成する本質的な要素の一つなのである」としていた。モルは、疎外を「物が人間のほうを規定してしまい、人間が物を規定するのではない。」状態として説明し、そして、キッチュの時代の市民が「外の世界に働きかける道といえば、細分化されて意味を失った労働しかない」のであり、そのような人間と仕事の関係がキッチュの疎外のプロセスを生むと説明していた。補足的にマルクスの疎外の定義を広辞苑から引用すれば次のようである。「マルクスは、人間が自己の作り出したもの(生産物・制度など)によって支配される状況、さらによって支配される状況、さらに人間が生活のための仕事に充足を見出せず、人間関係が主として利害打算の関係と化し、人間性を喪失しつつある状況を表す語として用いた」

疎外とキッチュとの違いが、最も重要である。その違いをモルは端的に説明していた。「周囲の物や人に対して、自らが主体となって関わっているが故の直接性」への理想としての「疎外の不在」である。私たちは、キッチュのその矛盾するような二面性にこそ注目すべきである。キッチュには、人々の生活を充足させようとする希求が根本にあることを忘れてはならない。そして、キッチュには「イメージ」に懐手でそのまま同化する一方で、その願望が強すぎるか、ある種の過剰さやとり違いかなにかで、婉曲に主体的ないくばくかの直接性を獲得しているのである。むしろそこには、キッチュという用語は必要がない。そこにあるのはただ生の充足への希求である。キッチュの呼称にまつわるプロセスを述べてきたのも、そのような希求が「悪」に転化する絶対的な根拠の恣意性を示したかったからである。キッチュが「悪」であろうとなかろうと、そこにみられる一心不乱の強い欲求は、キッチュ的なものの魅力を大いに飾るのである。



参考文献
「消費社会の神話と構造」J・ボードリヤール著 紀伊国屋書店
「現代建築−ポストモダニズムを超えて−」同時代建築研究会著 新曜社
「トラッシュ・エステティック」 ピーター・ウォード著 遠藤徹訳  (「ユリイカ 悪趣味大全特集」青土社に収録)
「シャドウワーク−生活のあり方を問うー」 イヴァン・イリイチ著 岩波書店
「キッチュの心理学」アブラハアム・A.モル著 万沢正美訳 法政大学出版局