個人研究発表レジュメ02 「変態雑誌出版王 梅原北明」
 

●目次●
・ はじめに
・ 「変態」のはじまり
・ 梅原北明の主な出版活動
・ 梅原北明の思想性
・ まとめ 

●はじめに●

「エロ・グロ・ナンセンス」。これは、大正末期から昭和の時代を形容する際にしばしば用いられる言葉です。その同時代、西欧でも「異常性愛」について研究の射程がめだって入り始めていましたが、私が今回取り上げる梅原北明は、その時代を生き、その流れを汲むかのように数々の変態雑誌を出版した人物です。彼自身執筆もし、編集をしていました。
 前回の発表テーマであった「キッチュ」や都築響一と、今回のテーマとの共通性は、その「エロ・グロ・ナンセンス」として表せるでしょう。しかしながら、それに加えて私がそういった一連のテーマに興味を持つのは、それらから感じるアナーキーな雰囲気です。都築響一は「TOKYO STYLE」のコメントの中で大杉栄の「美はただ乱調にあり」という一節を引いていましたが、梅原北明を調べていくういちに、彼からもそんな香りがするのを覚えました。
そこで、今回の発表では、変態という言葉、そして梅原北明とその仕事に焦点を当て、探求していきたいと思います。

●「変態」のはじまり●
 〜変態という言葉はいつから、どのように使われるようになったのか〜 

☆日本に変態という言葉が今のように定着した要因の一つに、梅原北明があるようだ
*明治後期から、変態性欲、変態心理といった言葉が出てくるようになる。
*心理学が、日本に紹介された際に、ノーマルを常態、アブノーマルを変態とした。
← 翻訳用の完全な造語 (松沢呉一「変態の探求 〜西の骸骨、東の北明〜」)
*クラフト・エビング(ドイツの精神病理学者)著 「サイコパシア・セクシャラス」
← 日本における「変態」という言葉の定義はこの著書の日本への紹介によるところが大きい。(性の猟奇モダン「秋田昌美」)


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「サイコパシア・セクシャラス」(1889年 / 明治19年 初版)
・ 膨大な症例を網羅
・ 性心理学やエロ・グロ系風俗文献までさまざまな領域で流用、咀嚼される
・ 著者は性倒錯を脳の障害にもとづくものと考え、性倒錯を、サディズム、マゾヒズム、フェティシズム、及び同性愛に分類している

cf.
・挙げられている症例
淫楽殺人、屍姦、婦女暴行、動物虐待、鞭打ち、食糞、陰部露出、強姦、幼児虐待、近親相姦、動物姦、

・日本における刊行状況
明治27年(1894年) 「色情狂篇」 日本法医学会 ←発禁処分
大正2年(1913年)  「変態性欲心理」 大日本文明教会
昭和26年(1951年) 「変態性欲心理」 松戸淳訳 紫書房
昭和46年(1971年) 「性愛心理」 平野威馬雄訳 学藝書林
(昭和44年刊「不完全なる結婚」の改題) 

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*日本独自の変態観
「心理学の専門用語として狭い範囲で使用されてきた“変態”をより広い範囲で使用しだした第一の貢献者が田中香涯であった。(中略)そして、それまであくまでも性において使われる傾向にあったこの言葉の意味を意識的に拡大し、流行語に近いところに育てた貢献者が宮武外骨ということになる。さらに、この流れを決定づけたのが梅原北明であろう。」                     (松沢呉一「変態の探求 〜西の骸骨、東の北明〜」)

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田中香涯(田中祐吉、医学博士) 「変態性欲」(大正十年創刊)
 ・ 内容は、江戸の性文献研究、性語研究であったりと、性風俗、性文化が広く扱われている。
宮武外骨(廃性骸骨)「変態知識」(大正十三年創刊)
・ 艶笑川柳を掲載し、九巻のうち二巻が発禁処分。
cf.「本誌の表題を変態知識といふのは普通知識でもない異常知識の事で、心理や性欲の変態を説くのが主旨ではない、要は変態人物の温故的随筆で、古風俗誌研究に偏したものである。」                                      (「変態知識」第一号巻頭)

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● 梅原北明の出版活動 ●      

☆ 梅原北明とは関わりなく出された変態本のほとんどが、彼が刊行した「変態十二史」「変 態資料」以降のものであり、やはり変態ブームの直接のきっかけとなったと考えられる。では、その文脈において「仕掛け人」北明の仕事はどのようなものであろうか。

そこで、彼の編集、翻訳、出版の怒涛の書籍活動を年代順に出来る限り網羅したいと思う。また、詳細な数は不明だが、彼は相当数の発禁処分を受け、投獄もされている。

・ 明治三十三年(1900年):富山市生まれ 
・ 大正十四年 (1925年):小説「殺人会社〜悪魔主義全盛時代〜」出版
・ 大正十五年 (1926年):ポッカッチョの小説「デカメロン」翻訳、ベストセラーに。
・            :ウィリアムス作「露西亜大革命史」翻訳、おなじくヒット。
・            :「文芸市場」創刊。プロレタリア雑誌として出発するが翌年から、エロ・                               グロ雑誌へと方向転換。  
・            :文藝資料研究会発足させる。雑誌「変態十二史」シリーズ刊行。会員制                     だが新聞広告を出すと、当初の予想千五百をゆうに越える六千の申し込みが集まる。                         
・            :雑誌「変態資料」創刊、会員制。
・ 昭和二年  (1927年):出版違反法で前科一犯。変態資料から手を引き、雑誌「カーマシャストラ」を創刊。「明治性的珍聞史」刊行、会員制。「バルカンクリイゲ」翻訳。「フロツシイ」翻訳。
・ 昭和三年  (1928年):雑誌「グロテスク」創刊。
・ 昭和四年  (1929年):「世界好色文学史」翻訳。「さめやま」翻訳。「秘戯指南」刊行。「ビルダー・レキシコン」翻訳。「明治大正奇談珍聞集大成」上・中・下刊行。
・ 昭和六年  (1931年):「近世社会大驚異全史」刊行。「近代世相全史」刊行
・ 昭和二十一年(1946年):四月五日、発疹チフスで死亡。

Cf・
*北明一味の主な執筆家たちの得意分野

・斉藤昌三(少雨荘桃哉)/ 筆禍文献、珍本奇本、性崇拝玩具など
・酒井潔 / 西洋魔術、媚薬
・藤沢衛彦 / 刑罰、民俗学、見世物   

*北明による変態風俗の定義(「変態十二史」より)
   「変態風俗とは・・・その時代時代の風俗の中でもことに之はきわ立って“変わっている”と思われるものを指していうのであって、普通風俗史の余り取り扱わない事柄である。」
    ex. 捏歯と産小屋の習慣、文身と情死と殉死の風俗、農業俗信と嫁樹の奇習、男がお産のまねをする風習、風呂と見世物風俗、女子共有の風俗、間引き(初生児殺し)と堕胎の風習、新郎虐待と嫁盗みの風俗、産屋に蟹を這わせる風習

● 梅原北明の思想性 ●

☆ ここでは、前記した彼の出版活動以前の略歴を補足的に記した上で、「近世社会大驚異全史」の付録の一つとして刊行された「近世暴動反逆変乱史」などの他の変態雑誌とは少し異質に見える彼の仕事を軸に、鹿野政直の解説によりながら、彼の活動の真意に触れたいと思う。

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*略歴(秋田昌美「性の猟奇モダン」、鹿野政直の解説より)
明治三十三年(1900年)富山市に生まれ。本名、梅原貞康。実家は生命保険の代理店で比較的に裕福。少年時代はガキ大将で、タバコと女を経験したのは小学校六年生。中学は三回変わったが、二度は退学処分で、退学の理由はストライキの扇動。中学卒業後、放浪生活を始め、東京に出て医院の書生になった。薬局から薬を勝手に持ち出しては売りさばき、もうけた金で吉原通い。結局発覚して郵便局員になるが長くは続かず、早稲田大学英文科に入学。親には慈恵医科大学ということにして、医学書の購入等のいいかげんな名目で送金してもらうが、親の突然の上京で発覚し、アルバイト生活に転落。そんななか、翻訳や雑誌に雑文を書いたりするアルバイトを世話したのが片山潜(社会運動家、労働組合運動、社旗主義運動を指導した)で、関西で被部落差別民開放の運動もする。その後、1924年(大正十三年)、震災後の東京へでて新聞記者になり、結婚。仕事の傍ら小説を書き始め、そのころアナキズムに傾斜するともいう(?)。その翌年に「文藝市場」を創刊するのである。
1931年に彼の奥さんが亡くなる。翌年同期に彼は出版活動をぱったりとやめ、再婚した女性と子どもとともに大阪へ行き英語教師や靖国神社社史編纂、灸治療開業、日劇支配人、財団法人科学技術振興会創設など雑多な活動をしている。

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cf.
北明という名は、「北が明るい」、つまり露西亜革を由来にしている、そこからも彼の思 想性がうかがえる

* 「近世暴動反逆変乱史」
・新聞原稿を採録したもの
・内容(目次)
     佐賀変乱史、前原一誠と長州萩の変乱、敬神党暴虐史、高島炭鉱騒擾史、竹橋騒動騒動史〜日本最初の軍隊の暴動〜、東洋社会党秘史〜日本最初の社会主義党〜、秩父大暴虐史〜貧乏借金党〜、足尾鉱毒事件、京城大変乱史
   →明治期の反乱の全構造を視野におさめている
    (士族反乱関系、自由民権運動関係、労働者関係、植民地関係)

* 梅原北明のことば
・「露西亜大革命史」の訳者はしがきより抜粋
     「・・・ただ俺達は露西亜の革命を偉大なる一つの歴史として、之れを見、そして記憶し、そして其れが為せる様々の現象を学究的に研究する迄の事だ。(中略)露西亜における唯一の救い主は革命であった。併し、現在の日本の社会常態を救ふ唯一の活路は必ずしも革命であるとは限るまい。誤解されては困る。・・・」
→「文藝市場」から「変態資料」への歩みは状況打破への模索によるもの。(鹿野政直)

・「近代世相全史」の「序」より(新聞記事蒐集への動機とその努力について)
     「・・・従来“歴史”と渉する大半の著述は所謂御用学者によって政府のご都合主義に迎合し、或いは支配階級の利益を庇護するために粉飾されたもので、装飾なき赤裸々な国民的歴史なんてものは、それは望むことそれ自身がすでに一種の徒労であると云ふ感じを与えています。それが不愉快で、終始一貫飽迄もあるが儘の社会層を反映せしめんと努力したところに、本書の苦心があるのです。・・・」

  →歴史の再構成、都築響一との類似点

● まとめ 〜近代化と梅原北明〜 ●  

梅原北明の出版活動は、結果的に「変態」という言葉を広く普及させた。そして、それ
は秋田昌美が「性の猟奇モダン」で指摘するように、エビングのような西欧における当時の性科学の眼差しとは異なり、必ずしも変態(性的倒錯)を治療すべき病として扱っていなかった。そこには、「江戸以来の“正常”と“異常”の混濁とした性の銀河宇宙の伝統」があったのだろう。
それはとても興味深いテーマでもあるが、他方、北明の怒涛の出版活動に思想史的価値を見出すのが、「近世暴動反逆変乱史」に、「天下擾乱への期待〜その素顔と仮面〜」という解説を寄せた鹿野政直である。彼は、梅原北明の仕事を「近代日本における抵抗の系譜の一つの、小さくない遺産」として評価している。しかしながら、その点については各文献により解釈が異なるのが実状である。例えば、斉藤夜居は「猟本漁奇」のなかで、「左翼系とみられた梅原北明の文芸至上社が突然軟派出版に”変身”したことも思い出されるが、そこまで考えるのは勘ぐり過ぎであろう。」と記し、鹿野政直の論考の対極に位置している。

 梅原北明が反骨的な人物だったということは間違いないが、現段階では彼の本意や思想的スタンスを鹿野政直や斉藤夜居の指摘を加味しても明確に判断することはできない。しかしながら、近代化が進む当時の日本の時代背景を踏まえることで、今回のテーマを別の角度から有効的、重層的に照射することは可能だ。
日清戦争(1894年〜95年/明治27年〜28年)、日露戦争(1904年〜1905年/明治37年〜明治38年)を経ることによって、重工業、鉄道、海運、財閥企業が発達し、日本は帝国主義的な植民地支配の前提となる経済的基盤が整った。それは、資本主義が確立したとも言い換えることが出来るであろうが、つまり「サラリーマン」といった新しいタイプの労働者が増加するのである。また、鹿野政直はその時代を「演壇と新聞の時代」と称しているように、当時は民権運動、労働運動そして社会主義の機運も、それに対する圧力と同時に高まっていた。
梅原北明による雑誌の購入者は当時増加した中産階級の人々であり、当時の都市における市民文化の繁栄を物語っているし、彼の被部落差別解放運動などの反体制的な社会運動もそうした当時の風潮を優に示している。

こうした観点や彼の出版活動を見渡し、そして戦争中には体制側に協力しながらも、憲兵の名刺を偽造して追われるなど、の北明の意外性を加味すれば、社会主義やアナキズムといった「イズム」を足早にくぐり抜けていった彼の態度は、やはり時代の流れに敏感な嗅覚をもった企画者や編集者よりであった。また、そのような北明に視座を当てるということは、日本の近代化を市井の視線からみつめることになるであろう。


参考文献
「近世暴動反逆変乱史」 梅原北明偏 株式会社海燕書房
「明治性的珍聞史」梅原北明偏
「20世紀の性表現」 宝島社
「猟本漁奇」 斉藤夜居 愛読者クラブ発行所
「性の猟奇モダン」秋田昌美 青弓社
「ユリイカ 特集・宮武外骨」青土社
「江戸のエロス」新人物往来社