建築の解体の末

 

 

 

 

 

 

建築の解体の末

 

 

 

 

                   森村・川村ゼミ 2003年度論文

                         国際文化学部  3-b  01g0112  

宮本充

 

 

 

 

 

 

 

 

〜はじめに〜

 

 『建築の解体』において著者の磯崎新は自身と同世代の建築家たちの作品を取り上げ、1960年代から徐々に見られることとなった、《建築の解体》という現象を振り返っている。彼が《建築の解体》と呼ぶときの「建築」は、その現象以前に西洋で支配的であった「近代建築」を指している。彼は近代建築という堅固なイデオロギーに固められた絶対的な存在が、脆くも崩れ去っていったその原因、そしてその崩壊を助長した建築家たちの斬新な作品を巡る理念、手法を追跡したのである。

 

この文献において個人的に最も印象的であったこと―それをふまえてゼミ内でも議論がなされた―は、彼が「主題の不在」と呼ぶ、近代建築の強固な理念が凋落してしまった後におとずれた状況下で建築家が、二者択一〜テクノクラートに見方するか、あるいはデザインを放棄するか〜という状態、あるいはそのどちらでもない、既成の建築という概念の解体という状態という中でいずれかを選択しなければならなかったということである。『建築の解体』で取り上げられた建築家たちは、言うまでもなく後者のほうを選び、手探りでそれを続けていった。テクノロジーという主題が放棄された後で、その作業を支える統括的な主題は存在しない。そのような状態から生まれるものは乱雑で混乱した結末だけであった。建築家は何ができるのか、そして何をするべきなのか。彼らは自らの存在意義と向き合いながら解体の作業を続けていったのである。最後の章である〜アブセンス〜において著者から読みとれるのは、建築と建築家が陥ってしまった行き詰まりの状態、そしてそれでも作り続けなければならないという運命を背負っている建築家の苦悩の像である。

 

1975年に書かれたこの本は現代の建築を学ぶ者にとってバイブル的存在であるという。それはここで取り上げられている建築家の作品から受け取れる斬新さや、パワーゆえだろうか、あるいは磯崎新が建築におけるポストモダニズムを予見していたからという理由からなのであろうか。いずれにしてもこの本によって、いかに建築家が悩める存在であるかを読みとることとなるのであろう。私は『建築の解体』を読んだ後、不思議な違和感を覚えた。それは当時から約30年経った現代と向き合ったことによって生じた感覚である。現代において建築はどうであるか。何事もなかったかのように新しい建築物が建てられている。数々の雑誌で有名建築家の設計した建築物が挙って取り上げられている。むしろ建築業界は生き生きとしてさえ見える気がする。30年前に建築家が経験した行き詰まりの感覚はどこにいったのだろうか。

 

本論考の目標は、自分が覚えたこのような違和感が何故生じたか、を巡って考察すること、加えて、現代において建築、そして建築家はどうあるべきかについて考察することである。始めに、『建築の解体』で見られた建築家たちの試みを振り返った後、その行き詰まりという感覚についてもう一度確認する。

 

 

第一章

 

《建築の解体》の作家たちの試み

 

 『建築の解体』の後半の部分である「《建築の解体》症候群」の第一章には、「アパシィ―革命はとっくに終わっている」という題がつけられている。まずはここにおいて建築家たちの例の感覚が見られるのである。60年代から建築を始める彼らは、近代建築の出発点における熱狂的な革命のスタイルとは対称的な、無感動、無気力ともいえる冷めた態度を見せている。それは、近代建築の発展の系譜において、新しいデザイン言語が開発しつくされてしまったことに起因している。「鉄とガラスはミースによって、コンクリートはコルビュジェによって、成形された木材の有機的形態はアアルトによって、その視覚言語群が性格づけられ、それぞれに「巨匠」の名が冠されてしまった」のである。彼らにとってもはやそのような視覚言語は、参照し、引用するためだけに存在しているのである。解体の作家たちはこのような行き詰まりから、建築を新たな文脈で捉えるという試みを開始する。

 

ロバート・ヴェンチューリは、記号論的に建築を意味の綾織りとして捉えることを始めた。建築をシンボルという観点でもって捉えることは、近代建築の作品群に対しての明らかな批判となるものであった。近代建築が工業生産品の純粋形態に絶対的価値をもたせ、次々に英雄的な作品を作りあげていったことに対して、彼は、反ブルジョワ的ともいえる、中産階級独特であり、かつ歴史をもった土着的固有言語を建築の領域に導入したのである。社会に生きる大多数が住む郊外の住居の存在の証は、「家屋の形態の象徴的な扱いや、開発業者の手になるいくつかの様式とか、住人の手で後からつけ加えられた様々な象徴的装飾」によるものである。彼が友人の建築家数人と共同で執筆した『ラスベガス』についてデヴィッド・ハーヴェイはこう述べている「彼らはこう言ったのだ、人間のためよりも大衆のために建築するときがやってきたと」。

 

このような、新たな文脈の探索、ならびに他領域の言語の使用は、60年代の中期において時代の趣向を表すものであった。イギリスの若手の建築家グループ<アーキグラム>は、建築に建築物の形態をもたせないという大胆な姿勢を見せた。彼らの創造対象は、全体としての環境であり、それを規定するところの全てのメディアであった。そこでは、あらゆるものが建築なのである。建築物は、あくまで環境を規定するメディアの一つに過ぎない。彼らはこういった姿勢で、環境を徐々に支配していくこととなるエレクトロニクスを彼らの作品―それは実現されることはなかったが―に取り入れていったのである。建築以外の文脈からの他領域言語の流入はいうまでもなく、建築の概念の拡張、そして拡散を意味していたのである。彼らが発行する雑誌には、彼らの独創的な世界が広がっている。それは現代の私から見ても、夢の世界(正確にはマンガや映画の未来都市)のようである。

 

建築を意味の領域において見直すこと、他領域言語の流入を積極的に受容することは、《建築の解体》にみられる大きな特色であった。それは近代建築の堅固な概念を崩壊させ、今までの建築の歴史的様式を並列化させ、参照、引用するという趣向を生み出し、さらには建築が建築物という形態をとるものであるという定式さえも放棄していくものである。建築の概念の拡張、拡散という現象はこれだけで言いきれるものではない。

 

 クリストファー・アレグザンダーは著書の『都市はツリーではない』において、計画された都市の構造を「ツリー構造」とし、それに対比する形で自然発生的に生成していく都市を「セミ・ラティス構造」とし、後者が都市のあり方として適しているということを主張している。彼は「セミ・ラティス」を複雑な織物のような構造であり、生命あるものだと述べ、それを都市構造に適用する手法として「パターン・ランゲージ」を提唱した。彼の主張で特徴的なことは、建築、及び都市が、固定した全体像を持たないということである。都市は生きているのである。その成長は計画的に為されるべきではなく、自然発生的に為されなければならない。それがより人間の暮らす場所として適しているはずだ。このような主張は同時代に現代芸術が重視した「不連続性」、「不確定性」、「即興性」という概念とも密接に関わりをもつものであるが、同時に、都市や建築物に暮らす主体である人間の特色を考慮にいれるという、新たな(しかし今となってはごく当たり前に思える)視点を導入したということが見て取れる。(彼がパターン・ランゲージでもって計画(・・)するということ自体に対して批判はされたが)さらにこの「困難の全体」を求める主張は、建築物が「時間」という不可避的なシステムと共存していかなければならないということを強く再確認させるものでもあった。

 

 1960年代の日本で川添豊が中心となって結成された<メタボリズム>というグループはこの時間の概念を技術化していった。彼らは、時間軸にそった変化を先見的に予測し、透視し、それを計画に組み込んでいった。ここでは時間に伴う様々な事件が予測可能であるという認識の下に計画が進められていたのである。しかしこのような予定調和は、人間が「時間」に対して抵抗できるという無根拠な主張として磯崎新は反論している。

この点に関して<アーキグラム>の中心人物であるピーター・クックは時間に対してより自然的であろうとする。彼はアメリカ、サンディエゴ近郊にある近代建築の英雄的な作品「プエブロ・リベラ・アパートメント」が完成から時間を経て、つたかずらに全面を覆われてしまっている状況に対してこう述べている。『いまや、すべてが成長しつくしてしまっている。全体の環境に、ある種の変貌がおこっているのだ。それは、つたかずらが全部をおおっているといった視覚上だけのことではなく、事物は湿り気をおび、しかも1930年頃から理想主義者たちが住みついているのだが、その彼らもいまでは古ぼけて、しなびた理想主義者になってしまっている。同時に、いくつかの「共生」状態が発生している。すなわち、このヨーロッパ的建築作品をさえ建設できたすばらしい土地が、不快で、草のにおいのむんむんする場所へと、劇的な変貌をとげ、「植物的強制」ともいうべき文脈の変化がおこっているのだ。英雄的な作品からまったく普通の建物へと、すべてが曖昧になっている』

この発言に表れているように、時間、植物といったシステムが別に存在し、そしてそれに抵抗するのではなく、その事実を許容することが現実的であるのだ。アレグザンダーの「厚い壁」という作品はそれを意図的に取り入れたという意味でよい例である。この作品は、住居の壁をそこの居住者の手の痕跡を残せるようにわざと厚く設計するというものである。かつて特定の形態をしていた住居が、住み手の痕跡の集積によって、多様な変化、異なる結末をうみだし、まったく変貌してしまうその過程こそを狙ったものであるのだ。このように建築が時間という不可避的なシステムと共存していかなければならず、さらに、建築家が建築の全体像をデザインしても、それは住み手の自由意志によって変更、更新されていくといった認識は、建築家にある種の無力感を与えるのである。それはすなわち建築家の「作家性」を曖昧にするのである。

 

建築家の行き詰まり

 

ここまでにまとめてきた事柄は、建築家に何をもたらしたのか。建築を新たな文脈で捉えなおすこと、他領域言語の流入を受容すること、そして他のシステムと共存すること。それは建築を豊かにするために行われた作業であり、その意味で『建築の解体』で取り上げられている作家たちは、建築界における新たな英雄であったとも言える。

しかし彼らが感じていたのは「建築家の疎外」の状態であった。彼らの作業は、近代建築が経済的合理性といったものに絡められ、そこに暮らす人間のことを考慮に入れない無機的なものであったことを一貫して批判することから生まれた。しかしその末にいきついたのは自身の疎外であったのだ。視覚的言語は既に出尽くし、参照、引用することでしか見かけは飾れない。暮らす人間によって作品は変更、更新されていく。建築が社会的な存在となってしまうその瞬間から、建築は作家と無関係に自立を始めるのである。そこにおいてどのように「作家性」を見出していけばいいのか。建築家の表現方法の閉塞感に伴う無力感、そしてこれが行き詰まりの感覚である。

《建築の解体》として著者は主に様々に拡散していった60年代の建築を取り上げたのであるが、これが書かれた75年当時の著者の率直な感想としてこう述べられている。

 

「思想や方法は、それがいったん提出され、多くの作家たちのあいだで共有化されていくと、その創始者たちのアイデンティティが、かえって曖昧になる。作業の首尾一貫性が失われていく。みずから解体・変質するという事態さえおこる。〜中略〜 彼らの70年代以降の仕事や、同時に発表されてきた多くの同世代の建築家たちの方法を観察していると、いまやそれらは、60年代にもったほどの衝撃力を失った、と断言せざるをえない。作業が拡散して、ひとつの平衡状態に到達してしまったのだというべきだろう。」

 

解体の作家たちの作品は、革新的な理念、手法を伴うものであり、その意味で英雄であった。しかしそれが今や平衡状態にあるのだ。その理念、手法さえも全て貯蔵庫にしまわれたのである。建築家はそれらの歴史をどのように汲み取っていけばいいのだろうか。それを参照し、変更して組み合わせるだけの存在であるのか。今から約30年前の著者からは、表現者としての未来への希望は見てとれない。

このような感覚は『建築の解体』を読んだ者であれば、必ず読みとれるはずである。そして次章では冒頭で述べた私の違和感について検証していきたい。

 

 

第二章

 

 第一章では、『建築の解体』に見られる、当時の建築家たちの行き詰まりの感覚を確認した。第二章では、自分が感じた違和感について検証し、その後の第三章において、建築家の「作家性」について考察したい。

 

違和感はどこから

 

 『建築の解体』の読後に感じた違和感はどこからくるのか。それは現在、建築が「流行って」いるからなのであろう。書店に並ぶ雑誌には、有名建築家の建築がイメージと共に取り上げられている。本来建築誌ではない雑誌で、「現代建築特集」が組まれることもたびたびである。「モダニズム建築」、「デザイナーズマンション」、「ガウディ」、「コルビュジェ」、「安藤忠雄」、幾度となく紙面に顔を見せている言葉である。作家たちの名前はかつてないほどに広くゆきわたっているのではないか。このように建築界は不思議と生き生きしているように感じられるのだ。過去の行き詰まりなどみじんも関係ないようである。おそらくこのような建築ジャーナリズムが違和感の原因であり、実際、その本題である建築を取り巻く状況も複雑である。

 

※建築関係のwebページもあるが、これはまだ大衆に浸透していない気がするために今回は雑誌についてのみ取り上げる。

 

建築雑誌、それを巡るジャーナリズムのトリック

 

 現代において雑誌は非常に細分化され、同時に専門性も高めている。もちろん建築は専門誌において取り扱われることが大半であるが、現在では、ファッション誌をはじめ、アート誌等にも取り上げられることが多い。そして専門誌においても、建築における技術面を最大限に省き、一般の読者層を狙ったと思われる誌も多く見られる。雑誌メディアの特性として、大衆の流行、購買力への影響が挙げられるが、もちろんこれも建築を取り扱う雑誌において同様といえる。よって、建築を取り上げる雑誌が増えれば増えるほど建築はブームになる。この、多数の雑誌が建築を取り上げているということが私の違和感の原因ともいえる。さらに雑誌を巡って考察を続ける。

 

 当たり前のことであるが、雑誌というメディアは、2次元の紙面において情報を提示するものである(もちろん3次元的に使うやり方もあるだろうが)。つまり建築という3次元的な対象を取り扱う際に、無理やりに2次元の紙面に落とし込まなければならないのである。その際に使われる手段は写真であり、テキストであるのだ。これは当たり前のことであり、むしろこのような特性をもっているからこそ、情報が一目瞭然のイメージ、文字データとして得やすいのである。ところが、この視覚に依存している性質が建築に影響を及ぼしているような気がするのだ。ここに隠されているトリックは、さらに私の違和感を深めることにつながっている。それは、2次元においては3次元的な感覚には決して到達できない、ということにも関連している。

建築は本来、そこに暮らす人、あるいは利用する人がいて、その3次元の空間にいることでしか得られない感覚を伴うものである。例えばそれは、建築物の素材の質感、それに伴うにおい、時間と共に外から射し込む光が変化するさま、さらには内部を移動する感覚であったりする。これがどのように違和感の原因になるのか。建築を雑誌に取り上げる際には、このような感覚は十分にテキストで補うことができるのであるが、雑誌という視覚に依存したメディアであるからこそ、編集者側は見た目にインパクトがあるものを取り揃えがちである。そして逆に捉えれば、読者もそういうものを望んでいる。つまり、編集者も読者もインパクトのあるイメージを望んでいるのである。これがどのようなトリックを生み出しているか。建築雑誌を見れば一目瞭然である。そこには、外見にインパクトがある建築物が並べられていて、横には建築家の名前が添えられているのである。私達大衆は、建築家の中のほんの一握りのインパクトある作品を見ているのであり、この点において、断片的であると言える。大衆は見かけの色や形態が奇抜、あるいはシンプルでシックな作品や見たこともない異国情緒(現代では失われつつあるかもしれない)に惹かれるのであり、もちろんそこでは普段見慣れている日本家屋やノッポビル、さびれたアパートは真っ先に排除される対象となるのである。無論、記事もイメージと同様、外見を伝えるだけに収まってしまい、そこに暮らす人々、利用者の視点などは二の次になる。現代においては、雑誌というメディアによって、決してニュートラルとは言えない形で建築界が描かれているのだ。

このようなトリックは、先に述べてきたとおり、雑誌というメディアの特性や、経済的理由、そしてさらには読者としての大衆の心理といったものに起因しているのである。

 

しかし、私の違和感はこれだけで説明がつくものではないような気がするのである。それは、何か建築家のもっと根底にあるものと関連しているのではないだろうか。

 

 

第三章

 

建築、そして建築家とは

 

上記のように、メディア、特に雑誌の影響は建築と大衆の間に不思議な関係を生み出すものであった。そしてここで建築家の作家性についての考察を述べるにあたって、もう一度『建築の解体』に目を向けたい。『建築の解体』から私達が学ぶことは無数にあるが、その中でも重要であると私が思うのは、建築家が徐々に建築物に暮らす人、もしくは利用する人たちのことについて考え始めたということである。そして彼らは行き詰まった。それは自身が建築家として、あるいは一表現者として、何を重視しなければならないのかという問いであり、それは同時に、建築とは何か、建築家とは何かという問いであっただろう。

 

建築とは何か。この問いに対して何が的確な答えであるかは分からない。しかし、本来建築とは何であったかについて振り返ることは、この問いに対して決して無駄ではないように感じる。建築がどんなものであったかが見えてくれば、必然的に建築家がどうあるべきかが見出せる、と思う。

 

人間がこの世界に現れたその時に、建築の起源がある。始めは技術も道具もなく、どのように暮らしていたかは想像するしかない。しかし、古代の文化として洞窟の中に壁絵が残っていたということが世界史の教科書に載っているということから判断すると、雨風をしのぐために、そのような自然の産物の中で暮らしを始めていたのだろう。文明は自然を破壊するとはよくいったものであるが、そのような文明が生まれる前には、既に人はある種の構造体を作る技術を身につけていた。それは木材を用いたものだっただろうか、あるいは石造りだったのかもしれない。いずれにせよ身の周りの自然にあるものを自分達の暮らしがより快適になるような形に変形させ、利用していったのである。

当時は建築物を建てるのは、そのコミュニティ内での共同作業であったと考えられる。そして中でもそのような構造体を建てるのが得意な人がいた。それが建築家の起源だろう。その人はそのコミュニティの中で中心となってその役割を果たしていくこととなるのだ。

当初において建築と建築家の役割はどのようなものであったか。それは明らかに、そこに人間が暮らせるように構造体をつくること自体にあったのだろう。それは純粋に必要性から生まれるもの(縄文時代の高床式倉庫のように)であり、その地方の気候、風土、自然によって形態は様々であっただろうし、その形態が、そこに暮らす人々の必要によって自由に変えられていくものであったに違いない。建築家はそこに暮らす人々に感謝される存在であり、建築家はそういった人々の感謝、信頼を得ることが何よりの喜びであったのだろう。そこにあったと考えられるのは「対話」なのである。   

古代には、現代にはない純粋さが見られるものだ。やはり建築においても同様、このような純粋な人と人とのコミュニケーションの図がうかがえるだろう。

しかしその純粋さは年月と共に影を潜めていくことになる。文明が高度になればなるほど人間は競争をし始めることとなるのだ。

 

人間は表現をする動物である。それは本能的にしろ、理性的にしろ、文明を通して続けられてきた。建築家が作家性を求めることになったのも、そのような意味で、必然であったといえる。中央集権の社会から民主主義の社会へと移り変わることによって、そのような人間本来の自我ともいえる作家性を求める傾向が強まっていく。そして建築は宗教的な装飾から、建築の解体の作家に見られるような形に至るまで多様に、作家性、つまり個人を主張することになるのだ。

 

ここで私が言わんとすることを誤解しないで欲しい。私は建築家が自らの作家性を建築に見出すこと自体を非難しているのではない。ただ、現代においては、その作家性を出すことが過剰になり過ぎて、起源なるものから伺えるような、「人間が暮らすため」という要素がないがしろにされがちであるということなのである。私にとっては現代に見られるこのような建築家たちの作家性の追及が違和感を引き起こしたもう一つの原因でもあったのだ。

 

 

考察 

 

〜作家性について〜

 

 『建築の解体』において行き詰った建築家たちのその後の動向は詳しく知らない。しかし、何も古代における建築と建築家の起源を探らなくとも、解体の作家たちが行き詰った地点からでさえ我々は学ぶことは可能であったはずだ。現代の建築を取り巻く環境は複雑である。当然誰にとっても民主主義、平等主義志向はあるのだろう。しかしその完全なる民主主義、平等主義というものが現状では達成され得ない状況なのも事実であるだろう。建築家が表現者である以上、「作家性」を求めるのも当然のことであるし、そうであるならば巨大資本に夢を託したくなるのも理解できる。表現者として名が売れることは現代において何より価値のあることなのだろう。しかし、建築家はどうあるべきなのか。それを絶えず自らに問い直すことが大切である。

 主題がなくなった後、価値が多様化し、自由と平等が氾濫している現在では、一つの建築があらゆる人々に適しているというような普遍性をもつことはないだろう。それはあらゆる分野、視点から批判されうるし、逆に一部の人々には熱烈に賞賛されるものでもある。しかし、だからといってそれを割り切ることによって安易に名声を求めようとしてはいけないだろう。そこに暮らす人、利用する人々がいる限り、限りなく作家性を潜めることが建築家としては必要である。建築家は画家や音楽家とは違う。依頼者やそこに暮らす人々、利用者、地域の人々との「対話」を通じてのみ表現することを許される存在であるのだ。自分の思い描いたものと「対話」の結果が正反対だとしても、である。建築家にとってそれは妥協であるのか。確かに表現者としてはそれは妥協なのかもしれない。しかし建築家は他の表現者とは違うのだ。あくまで住む主体のために存在するのだ。そうであるならば、この時代においては「妥協」の建築こそが求められているのではないか。「妥協」の建築というものは、建築家がむやみに作家性を追い求める限り「妥協」としてしか言い表せないのである。建築家がこの「妥協」を解消する唯一の方法は「対話」しかない。終わりのない「対話」によって「妥協」の感覚はなくなるはずなのだ。

伊藤豊雄が「せんだいメディアテーク」を建築した際に掲げた理念の中に、「underconstruction」というものがあった。建築家が答えを出すのではないのである。答えなど存在しないのだから。しかし「対話」を通じてそのありもしない答えを追い求める姿勢こそ現代に必要とされているのだろう。これからの建築は、建築家が非作家性とも言うべきものを受容する勇気をもてるかどうか、そこにかかっているのではないだろうか。

さて、現在において主題というものは存在するのだろうか。いや、建築の起源から建築の主題は変わるべきではなかったのである。現代においてまたその主題が明るみになったのだ。不断の「コミュニケーション」という主題、これはもちろん建築家だけではなく、私達大衆も共に努力し続けることでしか守りえないものであるのだろう。

 

 

 

※本論文の2章以降は具体例が乏しく、説得力にかけるものであるかもしれない。それ故、私の知識の無さをただ露呈することとなったのかもしれない。建築家でもない私がこのようなことをいうのは正直憚れるものなのだが、考えてみたことを素直に文章にしただけである。御意見、質問があるかたは、miyamotomitsuru0105@hotmail.comまで。

 

 

参考文献

 

『建築の解体』/磯崎新著/美術出版社

『ポストモダニティの条件』/デヴィッド・ハーヴェイ著 吉原直樹訳/青木出版