ろう者の世界

 

 

 

 

ろう者の世界

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森村ゼミ前期個人発表論文

国際文化学部 国際文化学科 3

01g0112 宮本充

 

 

 

 

 

 

 

前期発表を振り返って

ゼミ前期の個人発表では「聴障者への音楽の可能性」と題し、聴覚障害をもつ人々へ音楽を伝えるために現実的にどのような可能性があるのかを、音の伝わるしくみ、補聴器や人工内耳、ABI等の機器、そして実際に体験したpioneerの「身体で聴こう音楽会」等を取り上げて発表した。この発表を終えてはっきりと分かった事実は、現段階ではろう者に音楽(健常者が楽しむような形で)は伝えられない、ということであった。補聴器を使っても聴力が上がらないろう者には、その他の聴力増加、回復手段として内耳に直接埋め込む人工機器である人工内耳、ABI等の手術が選択肢として残される。しかし、これらの機器は極めて高価であり、さらにその手術の際には大きな危険を伴う。手術後に音が必ずしも聞こえるとは限らず、聞こえたとしても、それは人工内耳やABIの中で電気信号として変換されて脳に伝わるために、人の声は機械色を帯びるという。(実際人工内耳を装用している人の話では、声がドナルドダックの様に聞こえるという)実際音楽を聞いた場合では、同じメロディを弾いたギターとピアノの音が聞き分けられないという程度であるようだ。このようにろう者に音楽を伝える際には、未解決の問題がたくさん立ちはだかっているのである。

私は前期発表の結論として、「聴障者へ音楽を伝える可能性はゼロではない、これからのテクノロジーの進歩を考えるとむしろ高いといえる」と述べた。この意見に関しては今でも変わりはないのであるが、私には、前回の発表、調査においてずっとひっかかるものがあった。その違和感は、個人発表のために読んだ文献、資料の中での一つの聴障者の意見から生まれたものであり、その後も解消されることなく自分の中に残り続けていたのである。それは「聴障者の音楽(または音)への興味」ということである。ある文献に一人の先天性のろう者の意見としてこのように書かれていた。

 

「よく健聴者の人から、音が聞こえなくて可哀想ね、と言われるんですけど、本人は全然そんなことないんです。私は生まれつき音というものを知らない、つまり聞こえるということを知らないんですよ。聞こえないという状態が普通だと思っていましたから。音楽というものも当然私には分からないんです。でも生まれつきそういう環境で育ったわけですから。私が生きている世界には音というものは存在しないんです。ただそれだけですよ。だからそれについて可哀想だという意見も不思議ですよね。音が聞こえないことで人より苦労する面もありますけど、逆に音が聞こえるから苦労するということもあるんだろうなと思います。」

 

私は今まで「ろう」とは「聴覚が欠けていること」だと思っていた。しかしこの文章が書かれている視点はそれとは異なっていて、「聴覚が欠けている」のではなく、周りの大半の人が「聴覚(という得体の知れないものを)をもっている」という全く逆のものである。

「ろう」であることとはどういうことか。健常者がとらえる「ろう」とは、「病人」という言葉とほぼ一致しているのではないか。或いは、「障害」を抱えた者=健常者より劣った存在と見なしてはいまいか。それ故に健常者は「ろう」であることや「障害」をもつことを一辺倒に「可哀想」、そして「不幸」であるととらえがちである。

自分の場合はどうだったであろうか。音楽が何より大好きである私は、それに触れられない聴障者のことを、聴覚が「欠けて」いて、「可哀想」、そして「不幸」である、と考えていたのかもしれない。それ故、全ての聴障者が音を望んでいると思い込んで、今回のような発表をするに至ったのかもしれない。今回の発表においては、聴障者への音楽の可能性を、現在までに発明、そして実用化された機器に重点を置いて調べてきたわけであるが、自分自身、「ろう」であることについての認識が、そのような健常者一般の(本当に一般的であるかどうかは不明だが)一方的視点に留まってしまっていたように感じられる。

「アメリカのろう文化」においてシャーマン・ウィルコックスは、「ろう」はとりわけ病気としての問題ではないということを述べた後、「<ろう>であることは治したり、足りないところを満たしたりすることで『治療』できるような問題ではない。<ろう>であることは本質的に文化の問題であり、組織の力との関係で理解されなければならない問題である」と言っている。

 

「ろう」であることとは、「聴覚が欠けている」こととしてだけ捉えられるべきではないのである。ろう者に音楽を楽しんでもらいたいがためにABIや人工内耳といった最新テクノロジーを開発しそれを傲慢に薦めていくことは、歴史において帝国主義国家が繰り返した植民活動、文化的統合政策と類似しているのかもしれない。この論文で私は、自らの今まで知らず知らずのうちに固定されてしまっていた観念をいったん分解し、組み立てる作業、すなわち、「ろう」を文化として捉え、そのような視点で「ろう」とは何か考えること、そしてもう一度自分の発表について見直すことを行いたいのである。

 

 

言語的文化的エスニシティとしての「ろう」

空気の振動である音を感知する際に人間は、外耳から中耳、内耳、聴神経、そして最後に大脳へという一定のプロセスを必ず経ている。音が聞こえない、あるいは聞こえにくいといった現象は、この一定のプロセスのどこかにおいて障害が起こっていることを意味している。この意味で、聴覚障害という言葉には、聴力レベルが正常とされる値より高い人(聴力レベルは健聴者の聴くことができる最小の音圧=最小可聴値を基準値0としているため、聴力が正常より低い人の聴力レベルは大きい数字を示す。)全てが含まれることになる。補聴器を使用すれば、日常生活にほとんど支障が出ないような軽度の難聴から補聴器を使用しても全く効果がない「ろう」の人までが聴覚障害という言葉で括られているのである。聴覚障害はその障害の発生した時期による区別方法によると、後天性と先天性の大きく二つに分類することができるが、この二つに属する人の音に対する価値観、世界観には、お互いに大きな違いが見られる。

後天性の聴覚障害は、後天的突発性疾患、薬の副作用、頭部外傷、騒音、高齢化などが原因となって聴覚組織に損傷を受けた場合に起こるものであり、聴力が失われるまでに聞こえる状態を過ごしているため、補聴器によって聴力が補われることで生活に支障をきたすことがない程度の難聴であれば、言葉の理解に関しては問題が比較的少ない事が多いが、それが「ろう」であった場合には、「喪失感」という深刻な心的ダメージを受けることとなる。それらの人は音のない世界に戸惑いを覚え、孤独感に悩まされてしまうのである。かの有名な作曲家、ベートーベンは聴力を失って以後も作曲を続けたと言われるが、このように、かつて音のある世界で生きていた後天性のろう者は、そのかつての世界に執着する。自らを、「聴力を失った健常者」、として捉えているからである。人工内耳やABIの装用手術を望んでいるほとんどが後天性ろう者であるのも頷ける。

 

先天性の聴覚障害は、先天的聴覚組織の奇形や、妊娠中のウィルス感染(特に風疹)などで聴覚系統がおかされた場合に起こる。このような人は、生まれてから音というものに健常者と同じような形では触れられないため、健常者や後天性ろう者とは異なる世界観をもつこととなる。成長の過程で健常者が難なく覚えていく言葉に関しても、それらの人とは異なった教育を受けるのである。先天性ろう者のコミュニケーション方法は、読話(読唇)、筆話、そして手話がある。ここで重要なことが、「手話」というコミュニケーション方法である。ろう者にとって手話は、自分の意見を他者に伝える最も即時的で有効な手段であり、これによって先天性ろう者、生後間もなくろう者となった人はそれ以外の人々とは異なる視点、すなわち自らを言語的文化的マイノリティとする自己規定を獲得するのである。言い換えれば、自らの言語、社会組織、歴史、習俗、自分達の生き方、独自の言葉と文化を持つエスニシティであるという自己認識の獲得である。

 

 

手話という言語

手話という言語は、音声言語が国によって文法、発音、そして語彙に至るまで多種多様なように、国それぞれで大きな違いがある(そしてもちろん方言も存在する。日本手話の場合は、東京系、京都系、大阪系の3つが存在するといわれている)。日本手話は、日本に住むろう者(約3〜4 万人)の母語である。ろう者の約9 割は、手話を話さない健聴の親のもとに生まれ、ろう学校の児童集団の中で事実上の母語である手話を習得する。約1 割のろう者だけが日本手話を話すろうの両親のもとに生まれ、通常の言語と同様、家庭で母語を習得する。

日本のろう学校では、口話主義が普及した昭和初期以降、手話は基本的に禁止されてきた。手話の使用は口話の習得を妨げると考えられていたからである。日本では、ろう学校の教育でも手話が公的に認められたのは1993年の文部省の「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議報告」に到ってからである。それ以前、ろう学校では主に、ろう者に音声言語を唇の動きだけで読みとり、その口の形を真似て音声によって日本語を話す読唇法(口話法)を強制してきたが、これによって音声言語を読みとり、声に出して喋られるようになる生徒は、少数であった。しかし、その学校で禁止されてきた、ろう者が自発的に生み出した手話は、ろう学校の中でも上級生から下級生へと途絶えることなく伝承されていったのである。ここで一つ注意しなければならない事が、「日本手話」という言語と、一般に健常者が理解している「手話」との違いである。日本手話は日本に住むろう者の母語である事は先に述べたが、この日本手話と、街の手話サークル等で使用されている手話とでは、文法や語彙に大きな違いがある。後者は、「日本語対応手話」、あるいは、「シムコム」とよばれ、日本語を手指の形状や位置・動きなどで表現したものであり、文法などは基本的に日本語と同じであるため、日本語を母語として育った聴者や中途失聴者がおぼえるには便利なものである。しかしそれはろう者が独自に使用する日本手話とはまったく別のものである。ろう者もシムコムを解しはするが、それは極めて効率の悪いコミュニケーションとなる。日本語対応手話もシムコムもそれを用い暮らす人(主に中途失聴者)がいる限り大切であることには変わりはないのであるが、どういうわけかほとんどの手話サークルや手話講座では、主にこの二つが教えられ、日本手話については触れられない。このように、ろう者以外で日本手話を話す人がほとんどおらず、その存在自体があまり知られていないという状況がずっと続いていた。そしてこの日本手話という、英語やイタリア語やフランス語と同じように、語彙も文法も日本語とは全く異なる言語の存在が、ろう者が聴者文化に対して創りだした(といってもそれ以前にも抑圧された形で存在していたのだが)「ろう文化」と密接に関連しているのである。

 

 

日本における「ろう文化」

「ろう文化」という言葉は日本では比較的新しい言い方である。しかしそれは上で述べたように、これまでろう者がそれを「文化」という言葉にして示していなかっただけであり、「抑圧された」形で存在していたといえる。日本でこの言葉が使われるようになったのは1991年頃からであり、それには、現在もNHKのろう者のキャスターとして活躍している木村晴美が大きく貢献している。1995年の『現代思想』誌での木村晴美、市田泰弘による「ろう文化宣言、言語的少数者としてのろう者」により、日本のろう文化運動は一つの頂点に達した。歴史的な同宣言は次のように語っている。

 

 「ろう者とは日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数派である」これが私たちの「ろう者」の定義である。これは「ろう者」=「耳の聞こえない者」つまり「障害者」という病理的視点から、「ろう者」=「日本手話を日常言語として用いる者」、つまり「言語的少数者」という社会的文化的視点への転換である。このような視点の転換は、ろう者の用いる手話が、音声言語と比べて遜色のない、“完全”な言語であるとの認識のもとに、初めて可能になったものだ。

 

 この宣言では、この執筆者やろう文化運動の推進者たちが考え出した定義が挙げられているのではなく、ろう者コミュニティの成員皆に昔から共有されていた認識・実感がそのまま文章化されているという。それ故、ろう者にとって「ろう文化宣言」とは、新しい考え方を提起するものではなく、コミュニティの内部にあっては常識である事柄を、それについて知らない外部の人、つまり聴者にむかって発信したものということになる。この宣言で重要な点は、ろう者への自文化への誇りと関心を喚起したこと、そして聴者社会に対し、言語としての手話の独自性をてこに、「障害者」というマイナスのラベルを返上し、自分たちを文化的マイノリティとして定義しなおしたことにある。

この宣言に関して様々な論争が繰り広げられてい(#1))が、ここで私が重要であると思うことは、ろう者が、なぜこういった宣言を出さなくてはならなかったかという事である。私達は聴者社会に生き、そしてそれが当然であり、その他は存在していないかのように認識してしまっている。そしてその当然に思える認識、そしてそれから生まれる何気ない行為が、ある人々の生きかたを知らず知らずのうちに阻害してしまっている。日本のほとんどの聴者の間では、日本という島国に住むのは日本語という言葉を用いる、単一の民族であるという神話が、消えることなくまかり通っているが、そういったものはただの幻想に過ぎないのだ。ろう者は、この日本国において私達聴者が知らない独自な言語としての手話で世界を認識し、思考し、コミュニケーションしている。そういったことを私達聴者に気づかせてくれているという点でも、この宣言は意義深い。

 

 

世界各国の「ろう文化運動」

ろう者が自らを文化集団として規定する傾向は国際的な傾向である。特に欧米ではその傾向が強い。例えば、文化的には欧米圏であるニュージーランドのろう協会が対象としているのは「音声言語獲得以前に聴力を損失した人で、文化としてろうあ者の文化を身につけていることを自己認識し、ニュージーランド手話を利用している人」である。
 ろう者の国際的な組織である世界ろう連盟(WFD)は役員の多くが欧米から選出されている点で世界のろう者を代表しているとは言いがたい面もあるが、その規約の中で「ろう文化」に明確に触れている。この背景には特に1970年代に始まる手話に対する認識の深まりと共に、世界で唯一のろう者の文系大学である米国のギャローデット大学でろう者の学長が初めて選出されたことによるろう者社会の意識の高揚がある。
 ろう文化の中核をなす手話の社会的認知も各国において進んでいる。スウェーデンでは手話がろう者の第1言語として法的に認知されている。1995年にはフィンランドとウガンダが憲法で手話に言及した。特にウガンダ新憲法は文化の文脈で手話を位置づけた点が特筆に値する。またスロバキアでは手話に関する独立した法律が1995年に成立している。ろう者の文化的側面は国際的な政策文書にも既に反映されている。1993年に国連総会で採択され、現在の国際的障害政策の最重要文書である「障害者の機会均等化に関する基準規則」の教育に関する項目でも、ろう者の文化に配慮した教育を求めるという記述がある。
 視覚言語である手話を中核とするろう者はろう者社会と呼ばれる集団を歴史的に形成し、独自の集団を指向する傾向が顕著である。集団としての結集力の強さは、ろう者間の結婚の割合が高いことに端的に示されている。また、どの集団であれ歴史は重要な要素であるが、ろう者社会の歴史は学術的関心の的ともなり、既にスウェーデンや英国では、学会が設立され、国際的な学会 Deaf History Internationalも1991年に発足している。


ろう者による人工内耳批判

 ここまで私は、「ろう者」とは聴力損失を持ち、手話を核心とする言語・文化的集団に帰属意識を持つ者であるという定義、そして歴史的な「ろう文化宣言」、国際的な「ろう文化運動」の高まりといったことに触れ、「ろう者」の持つ、私達聴者とは違った視点を示した。 

この私達聴者とは違った視点からの意見は、私達の通常の認識とのずれを引き起こすことがしばしばあり、その最も大きなずれであると私が感じているのは、冒頭で例を挙げたように、「音が聞こえる」ということに対するろう者の関心、興味であり、そしてそれがろう文化における日本手話の重要性という事柄と組み合わさって、最も大きな形で顕在化し、議論されているのが、「ろう児への人工内耳手術」という問題である。人工内耳は、音波を電流に変換し、その電流を人間の内耳に埋め込まれたワイヤーに伝えることによって、本来多くの人間に生まれてから備わっている内耳の機能を代用させるという装置である。なお、この場合、「ろう児」という言葉は、「聴力損失を持ち、将来的に手話を核心とするろう者社会に帰属意識を持つ可能性が高い子ども」という意で使用している。

「人工内耳というバイオテクノロジーの産物がろう者を救う!」「ろうは回復する!」等という謳い文句によって、ろう児に人工内耳手術をし、聴覚が代替される奇跡をマスメディアは挙って報道し、例外でもなく大半の聴者は、「可哀想な」ろう者を「助けて」あげることができる最高の手段である、とその奇跡の装置を礼讃するわけであるが、これに対してろう者組織、ならびにろう児の親の組織が子どもへの人工内耳手術に反対の声をあげている。

ここで注意すべきことは、聴者の大半が示す反応のように、言語習得後に聴覚を失った人、つまり自らを「聴覚を失った聴者」という認識で捉えている人、(彼らは「ろう文化」そして「ろうコミュニティ」の一員となり得ないわけであるが)さらに言うならば、日本語という音声言語(これは他国においても同様だが)の下に暮らす中途失聴者、にとっても同様、それは待ち望んでいたバイオテクノロジーの奇跡であり、熱烈な歓迎をうけているという事実である。音の世界に慣れ親しんだ後に、音がない世界へ移ることには戸惑い、苦悩がある。そこから部分的であれ、音の世界にもどるのに人工内耳が果たすであろう役割は非常に大きいといえる。
 この問題に対する反対意見は国際的傾向である。1995年7月に開かれた第12回世界ろう者会議においては、

 

「ろう児に人工内耳手術を勧めない。なぜなら人工内耳はろう児の言語獲得に役に立たず、情緒的、心理的人格形成と身体的発達を阻害しうるからである。反対に、手話の中で育つ環境が言語的ならびに他の発達を含む全面的発達を支える」

 

と決議され、さらに、ろう文化運動の論客ハーラン・レインもこの問題に対しこのように述べている。

 

「人工内耳手術を受けた子どもは、訓練によっていくらか聴者の言葉を分別できるようになるかもしれないが、聴者のように自由に音声を聞き分け、聴者世界で聴者のように自由に振舞えるようになるわけではないのみならず、ろう社会で自由に振舞うために不可欠な「ろう者の手話」の学習と、ろう社会の基本的な価値観の習得に失敗する危険が高い。子どもが音声と手話のいずれのコミュニケーション手段も全く身につけずに成長するとしたら、それは言語能力に致命的なダメージを与えるかもしれないゆゆしきことであり、アイデンティティ問題はいうまでもなく、悪くすると精神的適応や精神保健の問題すら抱え込む恐れすらある。」

 

この問題に対するろう社会側の批判点は大きく分けて2つあり、その1つは、現状での人工内耳の性能の問題に関するもので、これは現時点で子どもへの人工内耳手術を考慮する際に重大な要素であるとしている。しかし、将来的に人工内耳の性能がいっそう向上し音声言語の習得が確実になった時点では、この批判は消滅する可能性があることに留意する必要がある。

もう1つの批判点は、聴者である親がろう児本人の意向抜きで、ろう者を聴者に変えようとするのは許されないという倫理的、より根源的な批判である。手術という方法で、自分が親であるというだけで、自分の子どもを少数派(ろう者)から多数派(聴者)に変えることが許されるのかという問いかけである。

現段階では、生まれたばかりの幼児への手術の選択をする権利はその親にあり、さらに、9割のろう児は聴者のもとに生まれてくるため、これら聴者の親は圧倒的な音声言語優位の環境の中で、選択を迫られる。ハーラン・レインは「聴者によるろう者社会の支配、再構成、ろう者社会への権威の行使」を聴能主義(オーディズム)と規定しているが、このような聴能主義的考えが、ろう者・聴覚障害者に関係する専門職者までに至っているとすれば、幼児への人工内耳手術を選択する親も、ろう社会、文化、手話の重要性に気づかぬままそれらの聴能主義に染まった人々に操られるような形で手術の選択を行ってしまう可能性がある。
 このような決断を迫られる親の数は人工内耳の普及につれて、ますます増える。そしてこれから間違いなく人工内耳の性能は上がっていくだろう。ここで考えなければならないことが、人工内耳の性能がほぼ正常な耳(健聴者の聴力レベル)にまで限りなく近づいた際のことである。その場合にも、変わらず幼児の親に手術選択の決定権があるとするならば、その時に最も重要な事は、どのような情報が親、特に聴者である親に届くかということであるといえる。ただ、現状について言えることがあるとするならば、それは、人工内耳を強制すること、逆に禁止すること、どちらも望ましくないということだろう。


おわりに

 音楽を聴障者に伝えたいという思いから始めたこの個人研究で、私は自らの無知を知った。聴障者皆が音を望んでいるわけではない。そして彼らには文化がある。私達聴者はそれを侵略することがあってはならないだろう。最後に私が問題視したいのは、従来伝えられることが稀であり、伝えられる場合には否定的に描かれてきたろう者の文化、ろう者社会に関する情報があまりにも少なすぎるということである。日本手話という日本語とは全く異なる語彙、文法を持つ言語が最も身近なこの日本に存在し、それを使用する人々がいる。どうして我々はこんなことを学校で習わなかったのであろうか。我々は止まることのない資本主義に犯された能力主義、そしてほとんど気づかれることなく我々に浸透している聴能主義によってろう者との間に見えない壁を作ってしまっているようだ。この壁を解体するために私達は再教育されなければならないだろう。付け加えて私がろう者社会へ言えることがあれば、それは私達聴者に対する敵視といったものをすこしずつ無くしてほしいということだ。そのために私達は文化という言葉で聴者社会との間に壁を作らざるを得なかった状況を認識し、歩み寄って行かなければならないだろう。異なる価値観がぶつかりあうという状況は歴史にも、日常にも数え切れないくらい存在するが、それを平和的に解決する方法は、争いでも排除ではなく、コミュニケーションである。
 今回はろう文化に注目したわけであるが、このような形で、障害というものを文化、いや、健常者とは違う世界観としてとらえられるかもしれない。障害が「ある」ことで不便を感じることもあるが、それによって健常者には「ない」ことが得られることがあるかもしれないからだ。

 

 

 

#1)この宣言について長瀬修は、「病理的身体的視点から社会的視点への転換を、ろう者自身にのみ適用し、障害者全般には適用しないこと」に対して、疑問を呈している。

さらに、「ろう文化の認知、推進には心から共感するが、過度のろうナショナリズムと化した場合には排除の論理や自文化優越主義などの弊害も生じるだろう。ろう者独自の中心が存在するとしたら、その周縁に位置づけられる難聴者や中途失聴者はどこに活路を見出せるのか、疑問は残る。」と述べている。

 

参考文献:

『アメリカのろう文化』/ シャーマン・ウィルコックス編

/ 鈴木清史、酒井信雄、太田憲男 訳/ 明石書店

『障害学への招待』/ 石川准、長瀬修 編/ 明石書店

『障害学の主張』/ 石川准、倉本智明 編/ 明石書店

『現代思想』1995年3月号/ 木村晴美、市田泰弘「ろう文化宣言 言語的少数者としてのろう者」