「近代建築がもたらしたもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国際文科学部4年

                              f01g0420

                                村石 美羽

 

 

 

1、             はじめに

 磯崎新の「建築の解体」を読んで、近代建築の概念を解体しようとした様々な建築家の、面白い、そして興味深い動きや運動を知った。彼らの一連の動きは、近代建築のいわゆる大量生産、大量建設、大量消費、機能主義などの概念から、つまり近代建築の主題である「機能主義・合理性・テクノロジー・画一性」から逃れることが動機となっていることは間違いない。しかし、その結果として起こった問題である「主題の不在」を、著者である磯崎新は、深刻な問題として捉えているのである。

しかし、このようにこの当時結果として起こった大きな問題にもかかわらず、近代建築の概念や手法に戻ることが出来ない状況があった。そもそも、1960年代の、建築の解体の建築家たちの動きは激しい。次から次へと近代建築の概念から逃れるべく、行動を起こしている。そんなに近代建築の概念から逃れたいのかと思うほどである。私はその時代に生きていたわけではないので、そんな建築家たちの動きを、そこまでするかというふうに思ったこともあった。

よく、さまざまな文献で、近代建築は「魂がないことが露呈した」とか、「限界があった」とかいうことを言うが、何がどう限界でなのか、ダメだったのかということが、私にとっては少し曖昧だった。近代建築は本当に「ダメ」なものだったのであろうか?「限界」があったのであろうか?もしそうなら、どんなふうに「限界」があったのか?

そこで、今回、近代建築の主題であった「機能主義・合理性・テクノロジー・画一性」の正体(磯崎新も「建築の解体」の中でテクノロジーの正体については触れている)を様々な視点から捉え、それらの「限界」を探る目的で、この論文を書いていこうと思う。

 

2、             近代建築運動後の状況

 まず、はじめに唐突ではあるが近代建築運動後の状況や言説を見てみたいと思う。本来ならば、時間的順序としては、これは近代建築の流れを追ったあとで見るべき事柄なのかもしれないが、あえてここで近代建築後、つまり近代建築運動が失敗に終わってしまった(という前提で)後の状況を捉えることで、近代建築運動がさかんに行われていた時期と近代建築運動後とでは何が変わったのか、また近代建築運動後に何が批判されているか、何が悪かったとされているのかを大きく確認しておきたいのだ。

近代建築運動の英雄的存在の一人である、シカゴの建築家ダニエル・H・バーナムは20世紀はじめに、「小さな計画は作るな」と言った。「小さな計画は人間の血を湧き立たせるような魔術をもたないし、おそらく実現されないだろう。大きな計画を作れ。希望と仕事は高いところに目標を置け。ひとたび記録された高貴で論理的な計画は決して消え去ることがなく、われわれが死んでしまったずっと後になっても生き続け、ますます強烈に自己を主張するであろうことを忘れてはならない。」と述べた。

それが、75年後、政治学者のマーシャル・バーマンは「今日、建設の喜び、冒険、ロマンス、英雄主義を感じあるいは想像することは実質的に不可能であるように思われる。これらの言葉そのものが奇妙に響く。一体どうしてわれわれは建設の過程と建設されたものを、われわれが破壊的とみなす全てのもの―巨大な醜悪さ、汚れた金銭くずの行動、途方もないぼろ儲け、ゴミと騒音の洪水、庶民の生活を台なしにする大きな計画、埋め合わせとなる社会的価値を持たない組織悪―の象徴として批判するようになったのであろうか?」と述べた。

ここで思うことは、近代建築で掲げられていた「大きな計画」が、それが実行された後には、人々の生活にとって破壊的な諸々の事柄を招いたということである。つまり、実際の人々の生活の中に入ってきたことによって、近代建築の概念が人々の生活には合わないと判明したというふうに私は受け取る。ここで、「大きな計画」に対する批判として、E・E・シュマッハーの「小さな計画」の論を引用したい。

E・E・シュマッハーは「小さいことは美しいことだ。大きな計画ではなく、小さな計画を立てよ。小さな人間的尺度で計画することには固有の美しさがあり・・。」

つまり大きな計画に対する小さな計画で意味付けられていることは、「人間的尺度」であるということになる。

そもそもは人間(労働者)解放のための近代運動の動きから起こった、近代建築のあり方が、結果として人間的尺度を越えていたということになる。普遍的解放のための画一性、抽象主義は、普遍的解放すらものぞめず、さらに人々の生活には根付かなかったわけである。バーマンの説からもわかるように、環境的に「人々の生活に深く関わるはずの」建築家が、人間的尺度を越えてしまうような状態をつくる、つまり人々の環境を犯してしまったり、人々に痛烈に批判されてしまうような建築を作り出すにいたったのだ。このようになってしまったのはなぜだろうか?お金のためだろうか?

 本来、建設事業において利益を受けるのはディベロッパー、建設業者、製造業者、不動産業者、建設労働組合のメンバーであるらしいので、金銭的理由だとは考えにくい。私は、それは近代建築運動の最中、もしくは近代建築運動の概念がつくられたときから、建築家の建築に対するかかわり方が、変わってきてしまったからではないだろうかと思う。結論から言うと、それは、近代建築家が、本来建築家が求められていた「人が生活する場に建築物を建てる」という、ある意味、環境の理想的保護者的役割を捨ててしまい、自分の建築家としての地位を確立するために、いかに合理性を求めた建築家であるかどうかということに関心を持ってしまったということだ。それは、バーナムの「ひとたび記録された高貴で論理的な計画は決して消え去ることがなく、われわれが死んでしまったずっと後になっても生き続け、ますます強烈に自己を主張するであろうことを忘れてはならない。」という言葉からも、容易に理解できるであろう。大きく、普遍的解放を目指したことで、建築家たちの目は、人々の身近な生活を見ることをわすれ、ただ単に「普遍的解放のための画一性、抽象主義に基づいた建築」を求めることだけに必死になってしまい、合理的な建築を上手く、素晴らしく建てるということに夢中になってしまったのだと思う。それが、彼らの建築家としての地位を確立するに、一番の方法であったのだから、当然のことなのかもしれない。

 こうして、近代運動という文脈においては、彼らは建築家としての地位を得たのかもしれないが、現実はそうはいかなかったようである。彼らの残したものは、近代建築後の文脈においては「恐怖と嫌悪」を捲き起こしたものと、認識されてしまった。

 現実において起こった「人々の日常生活と建築のずれ」にかんする問題は、重大な問題である。しかし、この問題は建築家たちがこの現実にさらされることによってしか、わかりえなかったことなのだ。私が先に述べた、「建築家たちの建築に対するかかわり方や意味」さえも、この現実が露呈したことによって、考え始められたことなのではないかと思う。それまでは、建築家の建築における意味など、議論にもならず、語られることも少なかったのでないだろうか。

概念の上での、近代建築運動は、実践化されることによって、その欠点を見出した。では、次からの章では、実際にどんなところが具体的に人々に、「恐怖と嫌悪」をもたらしたのかということについて、見ていきたいと思う。

 

3、             機能する家・建築家の住む家 〜その真実は・・〜

 近代運動における、最も特徴的な動きの一つとしてあげられるものに、過去の歴史との容赦ない断絶がある。建築の分野でも、古い伝統からの解放が新しい豊かな人間環境をもたらすということが確信をもって語られた。だから、近代建築の美学は機能性を求め、そこからあらゆる装飾を排除しようとする、無装飾主義や、抽象の美学が生まれてきた。機能性を求めた背後には、建築を機能との密接な関連において決定し、理念としては、民族差や地域差をなくして世界中への適合をはかるという、ある意味、国際主義的な姿勢がある。

 しかし、ピーター・ブレイクは1979年に出版された(ちょうど近代建築の限界が露呈している時期である)彼の著書「近代建築の失敗」のなかで、以下のようなことを言っている。

 「今日、世界の至る所で、古い機能から新しい機能へと転用された建物が、機能に従い機能を表現していると思われる形に則って設計され建設された新しい建物以上に、よりよく利用者の役に立っているように思われる。」

 彼の論を裏付ける例として、あげられるものはたくさんあるようだ。たとえば、イタリアとスペインの最もよい美術館は、ルネサンス時代のあるいは中世の修道院や邸宅であることが多い。またニューヨークでの最もよいとされる図書館は、改造された昔の裁判所であり、最もよい劇場は、改造された昔の図書館であったりもする。

 どうしてなのだろう?結局のところ、新しく建てられた、「機能に従い、機能を表現しているとされた建築」は、事実上、機能しなかったということだ。

頭の中ではいくらでも、形やアイディア練ることが出来る。しかし、実際そういう建物を建てるときの費用は莫大なものだったらしい。先進国における、近代建築の新規建設費用は、天文学的数字にまでのぼりつめていってしまった。

 形と機能の乖離を最も明確に意識していた建築家はあの、近代建築家の三代巨匠の一人である、ミース・ファンデル・ローエだった。彼はあらゆる最高の機能性を求めたゆえに、最大限に融通の利く建築物として「ユニバーサル・スペース」という、いわゆる多目的対応型建築らしきものを構想したのであるが、これも、結果的には、その機能的な仕組みを作るのに、莫大な費用をようしたのであった。

 費用の問題は、私にとってはあまり興味をひかない話であるが、実際の問題としては、相当に深刻な問題であると思う。

私が面白いと思うものは、機能主義的に建てられた建築物が、人々が使うことにおいて(費用ではなく)、機能しなかったという点だ。

 近代建築のコンクリートおよび鉄骨の構造において、床と屋根を支える構造は、ごく少数の、互いに遠くはなれたところに置かれた柱から出来ている。この構造が可能にした考えが、フランク・ロイド・ライトによる「オープン・プラン」というものであった。

彼によると、オープン・プランとは、「一つの空間に融合しうる複数の空間の連続で、ドアによる仕切るがないことが多く、空間と空間は不透明のあるいは、半透明のあるいは、透明の材料で出来たスクリーンによって軽く仕切られている」建築のことである。

このオープン・プランは、実際の生活上では、人々のプライバシーを侵すものとして定義づけられると私は感じた。

そもそも、このオープン・プランの考えは、日本建築の権威主義的な伝統から生まれたものであるという。オープン・プランが成立する条件としては、普通は「奴隷として」の妻が居て、夫のために、家の空間を清潔なものに保っておく、という文脈で展開される。妻は、夫の目に触れるオープンな空間から、汚れたものを排除すべく、努力をしたことであろう。もちろんその空間においては、子供も「汚れたもの」として、片付けられてしまう。しかし、だからこそ機能していたはずのオープン・プランであった。

しかし、今この時代において、そのような文脈はない。だから結果として起こることは、このオープン・スペースのデザインの家に住む家族は、夫を除いて、皆プライバシーが保護されないということだけなのだ。そこでは、夫はいらいらし、妻や子供はストレスを感じるような、互いにプライバシーを守ることの出来ない、家庭生活を送ることになってしまうのではないだろうか。

オープン・プランの第2の問題点として、容易に想像がつくであろうが、騒音の問題がある。これは、明らかである。仕切りの少ない、もしくはない空間に、音をさえぎるものはない。家族がこの空間に一緒に住んでいたらどうであろう?子供はテレビを見て笑うことでうるさく、妻は台所の炊事でうるさく、夫はパソコンをカタカタとうつことでうるさく、これまた家族のイライラの原因になる。

思うに、近代建築家(ライトだけではなく)は、近代運動の目的を達成しようと試みる中で、建築を一つの芸術的な作品としてしか捉えなくなってしまったのではないかと思う。2章で述べた、近代建築家の目が「人々の日常生活における、人々が住む建築としての建築」から離れてしまった見解とも重なるところである。「機能主義」だといって、人間が使うための機能を求めたつもりで考え出された、諸々のアイディアは、幻想として機能を求めたに過ぎなかったのではないか。それは、人々の生活を考えたものとはずいぶんかけ離れ、近代建築家の自己満足(近代建築運動において、地位のある建築家であるという)のために建てられた、建築になってしまったと思う。

さらに、ここに面白い情報を見つけた。大抵の近代建築家は、密封され、オープン・プランの、ガラスとスチールの高層ビルの中にではなく、レンガと、石の大きな壁と開く窓と閉まるドアとを持った古い建物の中に、自分の事務所を構えているというのだ。

建築家たちは意識しなくとも、自分たちにとって一番良い建築とは何かということを知っているのだと思う。自分たちが、一番、落ち着いて自分の仕事をできる空間や建築物を彼らは知っている。だからこそ、近代建築の建築が、彼らにとってではなく、彼ら以外の当時の「社会」にとって必要とされているということが逆に明らかになってしまう。近代建築物をつくりあげる建築家が住む家は、歴史的様式でつくられた建造物だとは、なんとも皮肉な話である。

 

4、             超高層ビル 〜その実態を実生活から〜

 近代建築の最も象徴的な建物として、超高層ビルがあげられる。それは、現在においても建てられているし、よく目にする建物である。現在の社会は、超高層ビルや、低層ビル、伝統的建造物などが入り乱れている状態であるが、近代建築運動の理念の根底には、超高層ビルで世の中を埋め尽くしてしまおうという考えがあった。それはただ単に、近代運動における、画一性や抽象性を表現するという目的のためだけでない。近代化の技術革新がもたらした産物でもあり、当時、急増した人口の空間需要を満たすために上へ向かって建設しなければならなくなったという必然的な背景もある。超高層ビルで埋め尽くされた世界とはどんな世界であろう?それは、例えば、西新宿の超高層ビル群を想像すると分かりやすい気がする。

 皆さんは西新宿のビル群を見たことがあっても、実際にそのビルの合間合間を歩いたことがあるだろうか?私が以前に歩いたときに感じたことは、とにかくビル群を見上げて、あっけらかんとしてしまうといったことだった。なんだか高いところから抑圧され、めまいが起こりそうな感じだ。また、超高層ビルの横は、なぜだか、ものすごい風が吹く。

なんとこれらの何気ない経験が、近代建築物の欠点をありのままに表しているのだ。

滑らかな表面をした超高層ビルの下の歩行者は「メリー・ポピンズ症候群」という現象に巻き込まれることがあるという。強風のときに、高い、表面が平らなビルの幅広い側面によって妨げられた気流は二つの方向に流れていく。ある部分は上方に向かい、大部分は地上に向かい、歩道に渦巻を創りだす。この現象に出会った歩行者は、いつも足元をすくわれ、進行方向に進めもせず、とにかく不幸な状態に陥る。

これは、まさに歩行者つまり生活者である私たちの実体験である。建築が、図面上や頭の中で想像されるだけではわからない。この実体験は、建築が、人間の生活にとって欠かせない自然環境や、人間の動きと関わってくるという、一番重要なポイントであろう。近代建築がどんな影響を人に及ぼすか、(その建築を近代建築だと知らずとも)肌で感じている人間は多いと思う。(この他にも、自然環境とあいいれない、超高層ビルの性質がたくさんある。)

 

ボストンの超高層ビルの一つの代表的なものに「ジョン・ハンコク・タワー」という建物がある。この建物の表面は鏡で覆われていた。それは、カーテン・ウォール(純粋性を持った素材のガラスで、壁をつくる)という近代建築の特有の構造から出てきたものであるが、なんとこの表面の鏡が一万枚ほど落ちてしまったという話がある。

 この話は本当にすごい。鏡が一万枚も落ちて、そのビルの下を歩いていた人たちはどうなってしまったのだろうか。空からいきなり、鏡が降ってくるのである。信じられない話であるが、これは現実だ。

 近代建築を支える構造が、こんな状態ではいけないのは当然であるが、私がもっと深刻だと思うことは、どうしてこのような状態になってしまうのかということを知っている建築家が少ないという事実があったことである。建築家は設計をするだけの役割で、建築する過程に付随する、材料や過程、建築の仕方については知識をもっていない人が多い、という見解があることに心配しているのだ。現実的に何かをするのにあたって、現実的な知識がないようであれば、それは的外れな結果を生むに過ぎないのは目に見えているはずだ。

 それでも、今なお、そのような建築が建てられているとは信じがたい事実である。ただ、今の社会と、近代運動の時期の社会の建物に対する考え方が変わってきているのは当然なので、一概に批判めいたことは言えない。消費社会である現在においては、それは見た目の差異(つまり消費社会を活性化させるためだけの)を強調するためだけに、建てられているのかもしれないし。

 しかし、人が実際に近代的建築と関わっていく現状がこの世の中に存在することはあきらかである。近代建築が様々な欠点を抱えているのであれば、私たちは今後、建築と人々  のかかわり方についてもっと考えていかなければならないのではないかと、私は感じる。

 

ただ、近代建築運動が「限界」に達してしまったのは、完璧に自然環境とあいいれないもの、「超高層ビル」群、を、完璧に世の中にに行き渡らせようとしたからなのであろう。

 

5、             まとめ  

今回の研究論文は、主に近代建築と人々の生活の間における問題点をとりあげていった。そこで、感じることは、やはり建築って一体何なのだろう?といった漠然とした疑問であった。人々の生活のための建築、芸術としての建築、様々な考え方があるに違いない。しかし、やはり大事なことは、建築家が、その建築が何を目的に建てられるかということを、現実的に、的確に、漏れなく、把握することだ。しかし、それは公共建造物においては、とても難しい問題だ。その目的は、人の使用であり、社会の活性化であり、もしかしたら芸術的なものでなくてはならないかもしれない。

どれが正しい建築のあり方などない。だからこそ、私が建築家に望むことは、目的によってその建築のあり方は違っても、いつでも、その目的をリードできるような存在になっていって欲しいということだ。それは、建築のあるべき姿の、一つの明確な答えを持つことではなく、目的をいかに、よく達成できるかどうかを考えることが出来る建築家であるということだ。しかし、これは難しいことであるのは承知の上である。

 

1970年代、近代建築後の建築家たちは、超高層ビルが社会状況において、必然的に建てられたのであれば、その社会状況を解決する別な方法はないのか?建築をを人にとって、不幸なものでないものにするためには、どうしたらよいか?そんなことを考えだしたのである。そして、私たちに建築のあり方を考えるきっかけくれた。そんな彼らの成果はものすごく意味のあることだと私は思う。

 

 

参考文献

「建築の解体」;磯崎新:1975年

「現代建築」:宮内 康、布野 修司:1993年:新曜社

「デザインのモダニズム」:ポール・グリーンハルジュ, 中山 修一

:1997年:鹿島出版会

「近代建築の失敗」:ピーター・ブレイク:1979年:鹿島出版会

「近代建築史概説」:近江 栄:1978年:彰国社

http://www.arc.hokkai-s-u.ac.jp/about/archi.html

http://www.htokai.ac.jp/DA/zimdal/indexj.html