R. ヴェンチューリの理論のおもしろさ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮本 小綾

 


 退屈なのはおもしろいだろうか。少なくとも私の目を楽しませる建築物ではない。それはポスト・ポストモダンともいわれる現代において今や別のおもしろい建築様式に取って代わったことを意味するのだろうか。あるいは建築家ロバート・ヴェンチューリが良しとする独りよがりのスタイルの私たちへの押し付けがましさがあるからだろうか。しかしおもしろさはともかく、彼の理論は現代に生きる私たちを納得させるだけの説得力を持ち合わせている。私は彼の理論は現代が抱える問題に与える指摘があると捉える。そしてこの理論ラスベガス著作された当時には大衆をおもしろがらせることがなかった、大きく支持されなかったわけを考えてみたいと思う。そこには建築家と大衆の考えの隔たりが常に見え隠れしているように思われる。彼は著書「ラスベガス」の中で建築家の在り方について、社会や大衆といった、いわば自分以外の他者の存在を認めることを強調していると思うが、実際の彼の建築他者受け入れる主流とはなっていないことは、彼の理論をユートピア的なものに見せる。しかし彼の考えとその建築は時代が生んだ束の間の産物であると言い切ってしまう前に、彼の言わんとしたことに耳を傾け、モダニズムに異議を唱えた数々の表現様式が出現するポストモダニズムの時代を乗り越え、現代に私たちに実感として受け入れられることとなっている点に注目したいと思う。

 

1、ヴェンチューリの理論の発生、スピードと力

2、私たち大衆を喜ばせるものについて、建築家と大衆の考えのギャップ

3、現代への反響

 

1.

 彼が当初社会の主流とならなかったのは当然だと言える。彼は冷静な視点でそれまでの近代建築が陥っている傾向を暴き、そもそもの近代建築、モダニズムが目指した目的と建築の意味を問い直すことによって、外れた社会の路線を修正しようという試みをしたからである。科学技術の進歩と機械化、工業化は、革新的なものとして建築家のみならず人々一般に迎え入れられ加速化し、圧倒的な力となって建築においても機械は他をはるかに凌ぐ影響を与えた。合理性を求める声と工業化は相乗して歯止めがなくなるという現象が起きている。その力は、モダニズムが永遠、普遍のものとしての人間の自由や平等を求め続け、そのために様々に表現様式を変えて探求してきたことさえも忘れさせてしまったかのようだ。彼はこの点でこれを見失わなかったというのが当時の主流派の建築家との大きな違いであると思う。そしてまた建築が、それが私的所有物であるにしろ、社会に影響を与える存在であるというある種特殊なモノであるという認識を持ち続けたのも彼であると思う。私はこれを良し悪しとして建築家を判断するのではなく、力の関係に着目したい。工業化の加速する状況、そして大衆が主流、流行に感化される状況に彼が太刀打ちする術はあっただろうか。モダニズムが戦争を通して政治と結びつき、戦争の終わりと経済の発展期を迎えるにあたり脱政治化を遂げ、終いにアメリカの自由の思想概念を説明する役割として取り込まれていったのは、戦争に勝利したアメリカが世界で権力を握ったことを背景としている。モダニズムが権力のうちに終焉し、ポストモダンにおいても結局力を持ったものを止めることができない状況があると思う。階級差を乗り越えるという大義はモダニズムの理念当初からおそらく今日に至るまで常にありながら、方法を変えて挫折する原因はひとつに力関係によるものではないかと思う。ヴェンチューリは、当時の「堂々として独創的な建築」が建設される勢いを目の前にし、同じように欲望のままに次々に建設が進むラスベガスで、勢い余ってたまたま生まれてしまったような多様なシンボルのアップリケによって彼の考えがかろうじて救われるといったくらいに社会は彼の考えとは反していただろうと思う。なぜならラスベガスはやはり彼が唱える先を見据えた建築像とはほど遠い現在の状況を用意に想像できるからである。理念において共有するところはあるにせよ、実際の建築物においてそれは皮肉であって彼の建築像を反映したものではなかっただろう。そしてラスベガスで不変の自由や平等が達成されるというのも考えづらい。そしてむしろ「醜くて平凡な建築」は、そのような永遠の真理の追究を目標にしているというより、むしろモダニズムの行き詰った状況に異議を申し立てるということの方が重視されているように見える。この点でヴェンチューリの建築はモダニズム以後のものということができるのかもしれない。私が「醜くて平凡な建築」の理念に現代の状況と重ねることができても建築物として人気を呼ぶようなものを感じられないのは、彼の建築が当時の社会に向けられたものであったからなのだろうか。そして現在においても「堂々として独創的な建築」が見た目に人が集まりそうに思われるのは、まだ多くの建築家が自分自身の利益やユートピアのためにつくっているということを意味するのだろうか。

 

 私たち大衆はどのような建築あるいは建築家を必要とするのだろう。しかしこれは案外容易でない質問である。実際多くの大衆が建築に対してそれほど意識的に気を留めていないからである。また建築を考えることはたやすくないともいえる。前述の通り建築はその内外に影響する分、幅広く知り、考え、選択することができなければならない。つまり建築家に多くを託すことになる。ここに建築家の個人だけでなく社会的な責任が立ち現れる。また建築家の責任は必然的に大衆のニーズを越えたものになるだろう。建築家が時とケースによって大衆に提案することもよりよい環境づくりには必要となる。私は建築家の在り方としてまずデザイナーであり、時にアーティストの側面を持ち合わせていることが重要であると考える。大衆のニーズを知り、多くの情報の中から判断し見つけ出すことが建築家に必須とするデザイナー的要素であり、そこから大衆を一歩先に導き、それによって個性が加わりアーティストの様相を帯びる。ヴェンチューリは当時の建築家は自己満足をして大衆を省みなかったといっているが、これは根底にある大衆の存在を無視していることを示している。しかしまた一方でそれらの建築家が大衆に支持されていたという事実もある。これは一体どのように考えられるだろう。ヴェンチューリこそ大衆のニーズを考えていたのではなかっただろうか。私はヴェンチューリが大衆にとって主流ではない「醜くて平凡な」建築物を「堂々として独創的な」建築の中に混じえて建てることによって、自らの理論を少しでも目に触れさせることが必要であると考えたのではないかと推測する。そのニーズは、もはや力と合理性が蔓延った社会に翻弄され、目の前に広がる建築を容認するばかりの大衆が客観的にニーズを認識することが困難になっていることを判断した上での、彼なりの提案なのではないだろうか。当時は反モダニズム運動、権力国家、組織、官僚等への不満を募らせ、抵抗する様相があったことも見逃せない。彼は可視的な建築物大衆飲み込みやすいことを上手く利用し、理論を展開するにあたって戦術的とも読み取れる。そして彼の建築が社会の中でのひとつのアップリケとなるような要素になっていたかもしれない。ところで彼が大衆を意識しているとはいえ、やや押し付けるようなやり方で実践した彼の理論はどれほど確信のある大衆のニーズであったのか疑問に思うところである。

 

2.

大衆と建築家の考えの間には大抵ギャップが存在しているものである。それを埋めるのは建築家の責務なのだろうか。例えば、ヴェンチューリの異論する「堂々として独創的な建築」は大衆の責任ではないといえるのだろうか。大衆が受身でいることは、大衆を動かしている人が存在していることになる。行政や官僚、業界の審査員などは役職柄すでに力を行使している人々であるが、彼らもまた建築家同様自分のユートピアをつくることに躍起になっていて社会的に意味を成さない。権力をもつことは批判されることではないが、判断や決定権を持つことによって自己満足のみならず、他者満足のための責務が課されることを自覚しなければならない。そしてメガストラクチャー(巨大構造)のトータルデザインに言われているように、時代の社会的要請に沿わなければ、権威者の自己満足のユートピアに付き合わされるだけのつまらない建築に成り下がってしまう。

 

モダニズムの一貫した特徴として過去の伝統様式を徹底的に忌避したことが挙げられる。また総合芸術や国際主義、インターナショナルスタイルと呼ばれている概念があるように、全体にまとめあげようとする動きがある。これらはいずれも人間の解放、自由、平等という安定した到達点を目指したことに始まるが、それは新しい基盤の不安定さを逆に見ることになった。表現様式は同時期にあるものをヒントに形態的関心に偏ることを招いた。ヴェンチューリの建築の特徴は、過去の様式を認め、それぞれ対立した要素を一緒に包括したところに新しさを求めたことにある。垣根を設けないという点で共通しているかに見えるが、多様性を認め、対立するものを共存させるヴェンチューリの建築理論は伝統的であり、明確な区切り・分節によって構成するモダニズム建築は両者共存とは全く逆の二者択一を取るという明らかな違いがある。「堂々として独創的な建築」が押し付けがましく感じるのには、建築家の作り手自身のユートピアであったがために、また同時代的要素の一通りの解釈しか許さないつくりが、人がそれぞれ持つ多様な嗜好に対応できないことにありそうだ。一方でヴェンチューリの建築は、様々な価値を伴った要素に何種類もの意味を与えるために、人々の多様な嗜好に対応できるのだ。しかし一つの建築に多様性と対立性を備えた建築は曖昧で、見る者を躊躇わせ、不親切であるように思われる。これに対しヴェンチューリは、その人の知覚をより活発に働かせることができるというプラスの意図として捉えているようだ。私はここで、あらゆる人を包括して対象にしたユニバーサルデザインの事例を思い出す。日常生活において不便が全くないとかえって居心地が悪いので、デザインする際に多少の段差を残すなど合理的ではない要素を誰でも「使いやすい」という合理的なデザインに忍ばせるという。ベンチューリはこれに類似して、人間の特質というものをよく捉えているように思う。同じ人であってもその時、あの時によって反応が変わり、見る人によって同一の建築も意味の解釈が異なる。そういったフレキシブルな焦点をアップリケの建築が可能にしているといえる。こうしてみるとモダニズムとは別の様相をベンチューリによって見ることができるが、ベンチューリがモダニズムの何に行き詰まりを感じ、ポストモダンと呼ばれる方向へとこのような理論をもってきたのかという疑問にぶつかる。

 

それ権力、力の横行であると思う。階級差による不平等、不自由というより、力による不自由、そして自己を解放するために権威者によって作られた流行に乗るまいとする反発がベンチューリをはじめとするポストモダニズムの原動力なのではないかと思う。そしてモダニズムの永遠、普遍の真理の探究は正当化しようとするいくつもの神話で溢れ、もはや現実的ではないユートピアであった。現実の人間、現実の社会にある複雑な諸要素の関係は、どんなシステム、建築という枠組みでも支配することはできないということを認めたことによって、ベンチューリがいう二者共存といった伝統概念を受け入れることを克服したように見える。これは一見後退したかに見えるが、本来生活には思う通りにはいかない妥協や修正、例外といったものを余儀なくされていることを考えれば、多様性や対立性を容認することはなんら当たり前のことと思えてくる。ベンチューリは著書「建築の多様性と対立性」でこう述べている。

 

人間の作った秩序には、結局は限界があるということ。秩序が状況にそぐわないならば、その秩序は変更されるか、練り直されなければならない。その時には、変則と不確実性が建築にとって妥当なものとなる。

 

またこうも言っている。

 

建築家は慣習を用い、それに生気をもたらすべきだと思う。慣習を、慣習とは異なる具合に用いるのだ。

 

3.

ここでいう慣習とは建物の構成法であり、規格化されたごく普通の建築部品を指している。またインダストリアルデザインのような新しい部品では変化に対応できないため、それはあくまで装飾的に付加されるものだという。何の変哲もない普通の部品は必然的に取り入れられ、新しい建築にとっても古いものと便宜的に必要とされて結びつくことによって、先を見据えた長期的な建築となる。ここに古いものと新しいものの間にある種のコミュニケーションが交わされ、建築という一つの秩序の中に対立したものが互いに個性を尊重しながら並存することを可能にしている。そしてこれこそ豊穣な混合として新しく現れる「醜くて平凡な」おもしろい建築なのだ。建築家はこの絶妙の選択をすることとなる。現代の社会では、より新しい工法、技術、部品を用いることによって建築はより革新的ものになると信じられているが、ヴェンチューリの理論は新しいもの、古いもののどちらか一方を排除するのではなく、共存させることによる革新的な味わいを教えてくれる。しかしながら現代においてこのような建築のあり方を知らない、さらに言えば建築家でさえ知らない状況があるということがつまらない建築が延々と立ち並ぶ状況を生み続けているといえる。ここでまた建築家の問題が浮上してくることになるが、建築家が自己実現に集中するあまり、次々に新品の技術が溢れていく社会状況に対して疑い、大衆を先導するという役割を怠っているように思われる。ヴェンチューリの建築の手法−平凡な方法と組み合わせたアップリケによって新しい意味をつくる手法は、このとき有効に活用し得るだろう。たとえ逆転した社会の価値観であっても、この手法の反語的表現によって関心を向けることができそうである。そしてヴェンチューリのこの手法はどんな社会状況にも応用がきくだろう。

 

平凡な慣習を反語的に用いる手法は、建物のみならず町の景観にも関わってくる。町全体の表現を保存しつつそれに修復を加えるということは、例えば建物が変化することにより、対立したアップリケがつけられることになる。それは現代においては都市開発計画やリフォームの際に役立てられる。このように臨機応変な手法から見てもわかるようにヴェンチューリの理論は、建築とは何か、建築家は何を担えるかというようなデザインするにあたっての根本的な姿勢を改めて考えることとなる。モダニズムが権力者・権威者の価値が社会的な価値を代表するものであったとすれば、モダニズム以後は価値観が多様に認められる社会で、人々が様々な価値観を共有することが可能となった。このような特定の誰かの価値から大衆の価値が社会に流れるようになった現在にいたって、強制される価値がなくなった分、信じる価値を選択する必要が現れ、さらに選択範囲の広さは人々の適切な判断を狂わせることとなるという新たな悩みが浮上している。さらには、情報化社会といわれるようにますます個人を取り巻くあらゆる情報が増え、把握しきれない状況になっている。建築家が人々の多様な価値観に答えるべく多様化するという様相もあるが、建築が社会的に広く影響を与えるという特質を考えると、建築家が「実際にどうであり、今後どうしていくべきか」を提案する役割を担うことを望む社会的ニーズがあると思う。