はじめに・・・

これまで画面に閉じ込められるものについて、また、その芸術性・影響力を見てきた。しかし、そもそも、視覚的な影響力がないものなど無い。そこで、視覚芸術の系譜を追うことで、具体的に表現されているもの、また、それが表現できうる社会背景などを追って生きたいと思う。今回の発表では主に抽象表現主義の成立背景を見て生きたいと思う。

2003年度前期論文において、

絵画に見られる「芸術性」 → 想像すること、個人の持つ記憶を投影するもの

という定義をしたことをここでもう一度確認しておきたい。

 

 

それまでの美術アカデミー:絵画の価値はいかに物語性があるかないかであった。

→主題はほとんど決まっている

 

 

1 抽象表現主義

     キュビズムの影響

     三次元上のふくらみのある実在物を平らな二次元でしかない絵の表面にどのように移し変えるかという問いから出発。

     実在と錯覚

     今までの現実の捉え方ではない表現方法を模索

〜現実を忠実に再現することが絵画の伝統であったため、保守的な人々を理解させる事が抽象画を描く人々の課題であった。しかし、戦火の中、この考えが新しい自由主義の国で開花する。

 

     最初は観衆がいなかった

     ジャクソン・ポロック

「この絵の主題は何なのか(ポロックの絵を見た批評家の言葉)」

     バーネット・ニューマン

「人びとは美しい世界を描いていましたが,われわれは,世界は美しくなどないことを認    識したわけです。」

「(1950年代)一般公衆には受け入れられませんでした」

     マーク・ロスコ

「私は、悲劇、陶酔、破滅などといった、とりわけ人間の根源的な感情を表現することに関心がある。」

 

     批評家ヒルトン・クレーマー

「抽象表現主義のほんとうの原動力は,絵画をその美学的な本質へと還元させることに向かっていたのです。」

〜当初、ヨーロッパ芸術の模倣としてしか評価されず、彼らはアメリカ人として、アメリカ抽象表現主義を成立させる。そこで、彼らは本当に描くべきものは何なのか。→伝統との断絶

 

 

2 抽象表現主義(194060前後)以後・・・テクノロジーとの関わり 

 

     オプ・アート(1965前後)

・ ブリジット・ライリー

     スーパーリアリズム(1970前後)

     チャック・クロース

     ゲルハルト・リヒター

 

〜表現の可能性が広がり、様々な試みもなされるようになる。美術品の主題は単なる物語性から視覚上の驚きを伴った物語性へと変換していく。→イメージの主題ははどこにあるのだろう。

 

 

3 考察

 

  今回、抽象表現主義を扱うにいたっては自分自身がとても惹かれることが当初の始まりであった。そこに描かれているものは何なのか。抽象表現主義者たちもまた、その回答を模索しながら描いていた事が分かる。ポロックは「ピカソは全てをしてしまった」と述べ、従来にない新しい表現方法を模索するのに時間がかかった。ニューマンやロスコなどほとんどの抽象表現主義者と呼ばれる作家が初の個展を開いたのは晩年、40代になってからである。つまり、彼ら自身ヨーロッパとは異なるアメリカ独自の方向を定めるのに時間もかかり、それだけ脈々と流れてきたヨーロッパ美術の伝統は根強かった。抽象表現主義の根本はパリであるという人もいれば、今述べてきたようにアメリカ独自の芸術の確立であると述べる人もいる。結局この論争は終幕していないらしいが、私自身この議論に特にどちらでも良いと考えている。実際戦後のパリは荒廃しきっていたし、しかし、この画家たちに多大な影響を与えたのはやはりパリの住民であった。それよりも、ここで注目したい点は抽象表現主義が成立したということである。従来、美術アカデミーの主流は「その作品にいかに物語性があるか」という事であった。確かに、ロスコの作品にも物語性を感じる事ができるかもしれないが、それは明確ではない。そしてロスコが作品に込めている感情もまたとてもはっきりしていない。つまり、彼らは正確な情報の必要性は画面の中にはいらないと考えていた。当時のモダニズムの流れとして描かれるモノはより単純にという流れがあったことも考慮すべきだが、しかしながらそこに明確な形は存在していないのは明らかだ。

私はこれまで、写真との絵画の比較をすることで、写真の写実的な要素でもって、絵画の写実性は必要なくなったと考えた。よって、写真も写実以外の役割としての芸術作品として、脚光が浴びるのは1970年代になってからである。錯視効果を意図とされたオプ・アートや写真を利用したスーパー・リアリズムの作品も実際、筆だけでは描かれていない。またその視覚上の驚きを狙ったものであることにも注目したい。テクノロジーによる作家の表現も価値あるものとして社会が認めるようになり、それはイメージの生産の技術史というより、視覚上の変化ももたらしていることにも注意したい。

  

 

4 疑問点

     抽象絵画はどう思いますか。

     テクノロジーと芸術作品の密接な関わりについてどう考えますか。

 

 

※参考文献

l         『美術手帖』(美術出版社、200312月)

l         中原佑介監修:『現代美術事典』(美術出版社、1984

l         フランク・ウィットフォード著、木下哲夫訳:『抽象美術入門』(1991、美術出版社)

l         エミール・ディ・アントニオ、ミッチ・タックマン著、林道郎訳:『現代美術は語る』          (1997、青土社)

※参考サイト

l         http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/index.html

l         http://www.sra.co.jp/people/k2/essays/isu-98.html

 

 

※用語解説

注1 抽象表現主義の成立背景

@     戦時下のWPA連邦美術計画の恩恵で多くの画家たちが壁画制作などの自由な製作の機会を確保できた。→大画面採用の一つの契機

A     戦乱を避け、多くの優れた芸術家たちがヨーロッパからアメリカに亡命し、文化的な環境が形成された。

B     芸術の中心がパリからNYに移行する中でピカソ、マチス、モンドリアン、カンディンスキー、ミロの重要な作品を直接参照できた。

注2 オプ・アート

「オプティカル・アート(Optical Art)」の略称で、錯視効果を強調した抽象絵画の一群を指し、フランス語では「アール・シネティック」とも言う。その色彩理論や幾何学的な抽象性を辿れば、戦前のバウハウスの時代のJ・アルバースにまで遡ることができるが、美術史上この語は64年、彫刻家のG・リッキーがニューヨーク近代美術館のキュレーターとの対談ではじめて口にしたものとされ、したがってその適応範囲も翌年同館にて開催された「レスポンシヴ・アイ」展の周辺に限定される。代表的な作家としては、B・ライリーやV・ヴァザルリらがいるが、波状のパターンなどを多用するその表現様式はすぐさま装飾的様式の追求へと移行し、美術界の流行の波間へと埋もれてしまった。しばし忘れ去られていた「オプ・アート」が再び脚光を浴びたのは、80年代、P・ターフやR・ブレックナーらのアプロプリエーションによってである。

 

注3 スーパー・リアリズム(フォト・リアリズム、ハイパー・リアリズム)

1960年代中頃から70年代中頃にかけて盛んに試みられた、キャンヴァスに投影された映像をなぞって描かれたリアリズム絵画。別称「スーパー・リアリズム」。主にこの名称はヨーロッパで用いられ、アメリカでは同種の傾向を「フォト・リアリズム」と呼ぶことが多い。代表的な作家としては、R・ベクトル、R・エステス、M・モーリーらが挙げられ、また同様の視点からポリビニール彫刻を制作するD・ハンソンやJ・ド・アンドレアを含めることもある。写真映像のなかに真実を追求しようとした彼らは、一様に陳腐なイメージの平板な絵画を量産したが、概してその作品は批評家受けせず、また「ポップ・アート」ほどには大衆の支持も得られなかった。ただし、一様に無機的なイメージを追求するその姿勢は、同時期のミニマリズムとの共通を指摘されてもよいだろう。「アプロプリエーション」が主流を占めた80年代、J・ボードリヤールが提起した超現実としての「ハイパーリアル」は作家たちにとって強力な理論的根拠のひとつであったが、恐らくその問題系は「ハイパー・リアリズム」とは似て非なるものである。