写真における幻術性

     

序文

 

写真に対する疑問は何も生まれなかった。ただ、撮る・焼く事への興味だけであった。しかし、本をよみ、調べていくうちに写真が「記録」としてしか、存在しないのではないのかと考えるようになった。芸術と呼ぶにはおこがまし過ぎる。なぜなら、写真は絵画などの「芸術」作品に比べて明らかに主体性が欠けている。絵画は、筆を介してはいるが、筆者の意図が激しく反映されているものである。しかし、写真は必ず、カメラという機械的媒体物が必須となる。しかも、ある現実を切り取る行為にとどまる。確かに、機械にしかできないこともある。それは瞬間の認識である。鳥の羽の広げ方など、肉眼では確認できないものがたくさんある。しかし、それも、記録としての働きである。ともすれば、写真とはもはや、記録としてしか表現手段として用い得ないのではないのか。

しかしながら、わたしは写真によって自分というものを理解したことがある。一生懸命写真ばかり撮っていた。試行錯誤、テーマを考え、再考しサークルの展示会に出品した。そこで、アンケートをとったのだが、これによって、自分の以外な一面をみた。さらに、そのとき他に6人出品したのだが、それぞれ一つのテーマに沿って写真を撮り、焼いた。

わたしたちにとってみると、それぞれの写真はそれぞれの人をずっとよく表している。写真はその人その人が見ているものをそのまま映し出す。それが、こと、ピントがあって、写真として成りたっているときであるが。しかし、なぜだか、アンケートに書く人たちも自分と写真の雰囲気が似ている人たちをいいと書いたりする。

と考えると、写真は絵画のようにそれを撮った人の意図が出ている。確かに、奇抜に分かりはしないものの、それでも、なんとなくわかるのである。こうなると、そもそも絵画とは芸術なのであろうか。ということも疑問である。そもそも、「芸術は爆発だ」と岡村太郎は言っているが、爆発させれば芸術になるものでもない。小さい頃はピカソの絵の良さなど少しもわからなかった。

確かに、絵画の歴史をたどってみると、宗教画のような画法はまるで、人が居るかのようなリアルな表現技法は驚くべきである。しかしながら、現代へと時間を摘んでいくと、絵画は簡単に言えば、簡略化されたものとなる。

例えば、抽象表現主義と呼ばれる、バーネット・ニューマンやマルク・ロスコなどは、早く言えば、ただの四角に線を引いただけである。バーネットのポスターを見たうちの母親は何でこんなものを貼っているのか?と頭をひねっていた。どう考えても、絵が好きではない人には到底理解できないものばかりである。とは言え、そもそも彼らが全員に自分の絵画の良さを分かってもらおうなんて描いては居ないと思うが、ならば、現代アートと呼ばれているものたちはいったい何なのであろう?あれは「芸術」なのであろうか?

 そこで、まず写真と時代背景が同期の現代アートの芸術性から検討していこうと思う。

1、「藝術」の芸術性

 そもそも、なぜ絵画が「芸術」と呼ばれるのか。「芸」という字は「藝」を簡単にしたもので、「?」は会意で人がかがんで木を土の上に植えているさまにより、「うえる」「いきおい」「わざ」の意味を表したが、のち、「いきおい」の意と区別するため、「艸」または「芸」を増し加えた。つまり、人から優れている能力を発揮したときに用いられる。うえるのが上手であるから、それがわざとなり、すべになる。一方「術」は家と家とを従したがいたどる小道の意を表す。転じて、てだての意に用いる。つまり、すべをたどる道すじとでもいうべきであろうか。まとめると、「藝術」とは、わざをなす過程のことである。人よりも優れているという事を言及する言葉として「藝術」という言葉が用いられた。

 しかし、今日で言う「芸術」とは何か神々しい、絶対評価のような言葉のように聞こえる。例えば、子供の書いた絵は斬新でとてもおもしろい。発想の豊かさゆえか、素晴らしい。これを一言、「芸術」と言っただけで、枠に収められ、遠くの世界へ行ってしまう。もしくは、大人でさえ、その絵を崇めるようになる。なぜなのか。

 現代美術の作品を例に挙げてみる。20世紀に入り、写実主義から印象主義へと印象主義に代表され、その作品が「印象」の由来となったモネの作品をみてみると、写実主義であるクールベやミレーの絵と比べるとその絵の伝達手段としての真実性は弱まる。もしくは、ロマン主義のドラクロワ、バロック時代のレンブラント、ルネッサンス期のミケランジェロに比べると伝えたいものの曖昧性を持っていることは否めない。これが、現代アートがもつ魅力でもあり、不思議でもある。さらに、印象主義から、抽象表現主義へ移行し、謎は深まるばかりである。美術館へ行っても、観衆のほとんどは絵を見る時間よりもその隣にある絵画、もしくは画家の説明書を読む時間の方が明らかに多い。そんな経験をした事のある人は多いのではないか。図書館へ行く理由を美術館でまかなうのだ。

 このような、一般的に何が描かれているのか分からないような現代アートはいったい何なのか?確かに、写真の登場により、その正確性、現実性はもはや、絵画には求められないのかもしれない。絵画の特性としては画家の見たものを伝える、伝達するという特性がある。その伝達される絵画に共有理解のできる現実性がないのであれば、画家の固有の現実性ということになる。つまり、絵画は画家の経験による表現手段の一つなのだ。そこにはデザインされた自己の表出につきるのではないか。それならば、なぜ、これらの絵は「芸術」作品と呼ばれるのだろうか。

 まず一点は、現代は言葉が強く社会性を帯びたものになってしまっているために、優れた技術の総称ではなく、社会的地位の向上としてのニュアンスの方が強くなっている。それは「芸術」と名の付くものには、何か「希少価値」のようなあまり、一般的ではないようなものに人は憧れてしまう。例えば、芸能人だって、総人口の何分の一という数で、しかもテレビと言う神棚に収まっている状況しか一般市民は把握できないから、何か特別な「ひと」のような気がして、街でみつけたら思わず、歩み寄ってしまう。ある程度、顔・形がきれいという理由もあるだろう。そして、これが第二の理由である。

 人はきれいなものに弱い。「美学」について語ることはできないが、「感性」と言うところの問題で、一般的に「きれい」なものに人は魅かれてしまうのではないか。確かに、中にはいわゆる「きたないもの」という言葉はふさわしくないかもしれないが、そこに魅かれる人はいる。例えば、街で考えてみよう。わたしは町並みとしては代々木や西新宿など、管理されていて秩序だった、ごみごみしていない、いわゆる「きれい」な街が好きだが、わたしの友人は上野や歌舞伎町のように次から次へとビルが立ち並ぶ、ごみごみした街がすきである。どちらが正しいとか悪いとか言うところの問題ではなく、美学とは各々の感性から発生しているということである。

 ならば、そもそも、写真の登場する以前にあった絵画はどのように登場したのだろうか。

 

2.イメージを投影する

 

絵を書くという行為はだれでも無享受にできるものである。文字で表現されているものは文字の取得と教育が必要となる。文明は文字の発達と共に記録をつづった。しかし、古代の人々も洞窟画により記録している。例えば、ラスコーの洞窟画(前15000年)では鳥の頭をした仰向けの人物や傷を追ったバイソン、矢から逃れようとする馬の姿が見られる。ここから、当時の人の生活や文化を読み取ることができる。

実際のものを描くこということは、自分が見た、知覚像を写すということである。そして、記憶によって描くことということは、心に蓄えられているイメージを写し、想像によって描くことということは、心憶から創り上げられたイメージを写すということである。この写されたものが「似ている」という点から、絵は「表現しているものの再現」と、認識しがちだが、画像はそれが表現しているものについてのある情報を提示しているにすぎない。

ラスコーの洞窟画の場合、バイソンや馬の姿は死への弔いである。エジプト文明のパピルスに記された人物も神官らしき人が多い。ここで、人はまず、「想像によって描くこと」を始める。例えば、わたしの父が亡くなるとする。わたしは父に決して会えないという現実に悔やみ、悲しむだろう。そして父の生きていた日々を思い出し、父がいれば、などと想像することがあるかもしれない。なぜなら父には二度と会えない現実がそこにあるからだ。この現実は私にはどうすることもできない。逃れられない苦難なのである。人間にとって最大の普遍的事象は「死」である。そこで私は架空の空間を作り上げて想うのだ。完全なる肉体の消滅が現実をより、血肉化し、わたしたちに知らしめる。つまり、彼らにとって受け入れることの困難な目の前の事象を表現することは描くことであった。描くことは「想像」への第一歩であった。

文明も発達したころ、宗教画で知覚像と想像が融合される。それが心憶のイメージを創り出すようになる。例えば、「マリア像」というのはどれも同じ顔・体をしていない。ルネッサンス期の絵画はあれだけ、実際の人物に忠実に描かれているのにどれも異なっている。これは誰も実際にマリア様を見たことがないことを実証している。それがどうどうと教会の壁絵となっているのである。しかしながら、キリスト教を信じ、教会へと通う信者はそれが「マリア様」であるとが記憶へと、刻み込まれていく。確かに、宗教的中心力が9割を示すだろうが、やはり、人々というものは未知の世界の表象を信じやすい傾向にあるのかもしれない。

となると、「描く」という行為はそもそも、未知のものへの想像から来た。そこで、技法の進歩により、知覚したものを忠実に伝える機能ももち備えたのであった。しかしながら、これは1839年、写真の登場の登場により、その重要性を失う。そうすると、絵画は想像世界を写すもの、心億を投影するもののみの役割しか担わなくなるのである。こう考えると、わたしの言及してきた絵画に見られる「芸術性」というものは想像することと、個人の持つ記憶を投影するものという定義がおのずと生じてくるだろう。そうなれば、写真の「芸術性」はここで絵画との「芸術性」と大きく別離することとなる。なぜなら、写真とは想像を投影することはできない。写真の映し出すものは誰しもが認識でき得るものなのである。だれもイエス・キリストの写真は見たことがないであろうし、釈迦の写真だって存在し得ない。それでは写真の「芸術性」とはなんなのであろうか。

 

3.写真家 森山大道

 

 森山大道の話をする前に雑誌「プロヴォーク」の話をしなければならない。雑誌「プロヴォーク」とは、中平卓馬、森山大道、高梨豊、多木浩二、岡田輝彦ら写真・評論家・詩人によって発行されたものである。これは「思想のための挑発的資料」と銘打った写真同人誌である。しかしながら、これは1968年から69年の間にわずか三号だけしか発行されなかった。「思想のための挑発的資料」とは当時の政治的反乱の時代状況を反映した名前であったが、これは、写真の自立化を促したのである。なぜなら、中に写っていたのはピンボケの写真ばっかりだったという。実際には見たことのないものだが、プロヴォーク時代の森山大道の写真を見ればおおよそ予想はできた。

 1960年代半ばから、70年代初頭といえば、日本は高度経済成長の真っ只中にあり、政治的には日米安保条約をめぐり、政治・社会変革を求める学生運動などが盛んで、「熱い」季節を迎えていた。

 彼らは自らの写真を芸術だとは言わなかった。むしろ、芸術という概念に組み込まれることを拒否していた。彼らは写真家による一人歩きの評価を嫌った。写真の記号性的地位に異議を唱えたのである。「プロヴォーク」とはもともと「怒らせる」という意味で、その名にふさわしい扇動する同人誌によって「まずたしからしさの世界を捨てよ」と文章により、写真は記録であると言う、「思想のための挑発的資料」としての写真をまずは記録として把握せよと扇動・挑発した。その写真を使わない文章的アジテートは、一方で報道写真の持つ、伝えようとすること自体が帯びる傲慢、写真を報道という複雑性に絡む事実に引き換えることができるかのような慢心、これに基づく非記録的行為、それを排除する。その一方で、たかだか機械による複写を芸術写真として芸術の名を騙り、この偽りを乗り切ろうとするのを解体することを意図していた。しかし、実は森山大道は「プロヴォーク」の第二部から参加したのだ。写真の芸術性と格闘した人物の一人である。

 

『晩秋、逗子小学校裏にあった森山のアパートに現れた中平に誘われて、渚ホテルの海に面したティールームにコーヒーを飲みにいった。しばしお互いの近況などを話し合い、中平はすこぶる上機嫌で話ははずんだ。2杯目のコーヒーをおかわりするころになって、やや緊張した面もちで「プロヴォーク」第1号を森山の目の前に無造作に置いた。中平は第2号から森山に参加して欲しい旨の話をした。はじめ森山は、進行中の<スキャンダル>のことや、「プロヴォーク」第1号にどことなく観念的な言葉の優先を感じたのでためらった。しかし、ページをめくって見ているうちに、気持ちの奥で期するところがあり、参加することにした。了承の返事を聞いた中平は、輪をかけて上機嫌になった。』

 

森山の1970年代の写真はどこか見にくい。何をとりたいのか焦点が定まっていない。よく言えば、従来の写真の概念を取り払っていて、当時は斬新な試みであった。写真はどこか暗く、ピンボケの写真や撮ったものを隠すように中心にかけて暗く影がある写真が多い。旧来の写真の美学に捉われず、既製の概念を打ち砕く「不穏な」空間を印画紙の中に表出していた。森山の荒々しい画像の特徴を表す言葉として「アレ、ブレ、ボケ」が流行して、当時の写真界で大いに物議を交わすものとなった。この「アレ、ブレ、ボケ」の概念について森山は次のように話す。

 

『ぼくはいつも素朴な疑問をもっている。なぜ写真はピントがあっっていなければならないのか、なぜ調子がこんなにまできれいでなければいけないあのか、と。ぼくが現実に現実に生活してものを見ている場合に、透明で、静的で、ものがきちっとおさまっているようにはとても見えない。・・(中略)・・つまり、ぼくもふくめて世界にはぜんぜん美しくないから、僕の写真もそうなる。』

『画面を荒らしたり、ボカしたり、あるいは画面を歪めることは、ぼくは技法とは思っていない。・・(中略)・・技法というよりむしろ僕の肉体であり、僕の生活からくる必然的な反映なのだ、と考えている。そうでない限り、こんなバカバカしいことはできないですよ。』

 

森山自身、写真に込まれるその正確な伝達性を一方では認めているのだ。新聞の一面に立ち並ぶ大災害の写真、アルバムの1ページを飾る記念写真。森山の写真を見て、一番強く感じたのは写真の画面を直視できるものとしては考えていないということである。そこには、構図にしても、焼き方にしても、直球ではないのだ。今のようなコンピュータソフトで加工されるような性質ではなく。ファインダーを通してみたものと、仕上げる作品は異なっていた。

プロヴォーク時代を経た森山の写真は、何か詰まっていたものがようやく取れたような、洗練された二平面がそこには存在した。写真集「新宿」はとてもすがすがしいものを感じる。そこに、写真の芸術性が存在しているのからとか、そういった評価ではなく、彼の血肉化した表出体が置いてあるとでもいうべきであろうか。確かに、カメラという機械を使っている写真ではあるが、認識世界を切り取った空間だけではない、もっと、絵画のあの想像世界と心億からイメージを作り出すものに良く似た感じである。個人の経験により持ち上げられてきた平面体であり、しかし、わたしたちが知っている「新宿」だ。なぜなら、カメラには投影する機能がついているので、わたしたちがそれと確認できる正確性を備え持つ。なんとも不思議な装置であると、発表当初の人々は思ったことであろう。ピントもあっていて「新宿」と認識得る森山の写真は絵画の芸術性である想像・心億からイメージを投影するという観点からずれているのだろうか。

 

考察

第二次世界大戦前に起こったスペイン内乱の悲惨さはピカソの『ゲルニカ』よりも報道写真が伝えることの方がより、信憑性を帯びているだろう。しかし、機械を通してしまった写真によって、その人間の受けた苦しみやつらさが伝わるであろうか。ただ、現実を切り取ってしまった写真は『ゲルニカ』がなぜあのような奇怪なものの集まりと捉えなおさせることしかできないのである。

 ベンヤミンは、カメラは「アウラの喪失」と言及した。「時間と空間が織り成す不思議な織物」であったアウラが存在していた従来の美術作品は写真や映画という複製可能なものになった瞬間その「単一」の価値を消したのだ。しかしながら、これは大衆文化と結びついたのである。それまでブルジョワな作品は大量生産のもとに大衆と結びついた。つまり、大衆文化とは写真など、複製技術の産物である。

写真の特性は確かに絵画に比べても、わたしたちの目で捉えることのできる信憑性を帯びている。写真は目の前にある事象の情報性として信頼するときに目で見てすぐに確認できるからである。マティスは写真術による記録が「想像力を大いに掻き乱した、なぜなら、感情を介さずに事象が眺められるようになったからだ」と考えた。確かに写真による感情の介入は後天的なものとなる。上に述べたピカソの「ゲルニカ」がスペイン内乱を表現しているものと知った瞬間、ピカソは相当な苦難に陥ったのであろうということが予測できる。つまり、彼が「ゲルニカ」を描いた経緯は心億の投影となるだろう。とはいえ、森山の写真は感情を介しているのではないかと考える。彼は「アレ、ブレ、ボケ」と言われる写真について、技法的なものとして捉えていない。それは彼の生活の一部であり、つまりは彼の一部なのだ。

表現されたものを見るとき、その「芸術性」にこだわることはないのである。1で述べたように「芸術」とは優れている人への評価であり、分野の記号化でしかない。絵画にしても写真にしても「芸術性」とは社会的価値であり、両方ともその表現手段でしかない特性を持つ。そもそも、いわゆる「芸術作品」と呼ばれているものは表出手段の結果なのである。こと、画像としてもたされたものは言葉では表現できない現れであり、コミュニケーションツールの一手段なのではないだろうか。人として生まれたからには言葉を話すことが前提となり、それのみに捉われてしまいがちであるが、言葉では表せない事象が存在することを強く言及したい。確かに、記録として写真を使うことは必須であり、伝達することにおいては必要条件となる。「人に伝える」と言う行為はなかなか難しいものである。さらに、画像となると、もっと困難であり、評論家の手を借りずにはその概念を理解することはできない。しかし、人は図書館ではなく美術館に行くのである。ここに、画像と言葉の間にある関係性が見えてくる。言葉は十分条件であるが画像は必要条件にしかならない。画像だけでは足りないのだが、しかしそれだけで十分なのである。

写真の芸術性について検討してきたが、「芸術性」とは社会的基準であり、そもそも、分類される場所は「幻術」である。写真ゆえの信用性が、写真が作り出す空間へと引き込んでくれる。絵画の「幻術」とは表出する段階にあり、写真は完全なる後天的幻術なのだ。

 

参考文献

レジス・ドブレ著、西垣通監修、島崎正樹訳(2002年);イメージの生と死.NTT出版

J.J.ギブソン(1985);ギブソン生態学的視覚論.サイエンス社

多木浩二(2000年);ベンヤミン「複製芸術時代の芸術作品」精読.岩波書店

Kawasaki city museum news vol.70

http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords

http://homepage2.nifty.com/photocell/geijutu.html

http://www.moriyamadaido.com/