目次

はじめに -本研究の動機

序章 -本研究の目的

第一章 家族

第一節 家族のあり方

第二節 血縁関係のない家族と理想の家族像

第二章 住まい

第一節 住宅の変遷

第二節 住宅供給の現状

第三節 消費者至上主義住宅の限界

第三章 不便さの介入と住空間

第一節 非日常的な要素と人間関係

第二節 利便性と不便さ

第三節 再構築を引き起こす住空間

第四節 「家族関係が変わる不便な家」

終章

引用・参考文献一覧

はじめに ―研究テーマに至った動機

本研究の大きなテーマは、「家族」と「住宅」である。埼玉県内のある住宅展示場で見たモデルハウスをきっかけに、「住宅」が「家族」を変えていく可能性について考えるようになった。その発端となったのは、子どもの学習机に関する疑問である。

子どもの学習机についてイメージした時に、私たちはまず、「子どもが勉強をするための場所」であるということを思い浮かべるだろう。そしてその場所と言うのは、「子ども部屋に置かれている」「集中するために静かなところにある」と想像することが出来る。実際に私の学習机も、二階にある自分専用の部屋に置かれていて、家族が集まる場所からは離れた位置に存在している。住宅の設計や間取りについて考えるときの、「子どもが集中して勉強できるように『自分の部屋』を作ってあげないと」という親の配慮からか、「外部とは切り離され独立した空間の中に置かれている」というのが学習机に対する一般的な認識であると言える。

しかし、与野住宅展示場(埼玉県)にあるセキスイハイムのモデルハウス1には、以上に述べた従来のイメージを覆すような学習机が置かれていた。それは、階段の途中に設けられた広いスペース、つまり踊り場と呼ばれる部分に備え付けられていたのである。階段とは、人が何度も行き来する通路としての役割を果たす場所であって、子どもが勉強するのに最適な場所だとは考えにくい。独立した個室同士、または上下のフロアを結び付ける働きをしていることを考慮すると、様々なところから人の気配を感じやすいために不適切な環境であると言えるだろう。そのような場所にあえて学習机を設置することで、子どもやその家族にとってメリットがあるのかどうか疑問を抱いた。 この特異な学習机の配置は、「かげやまモデル」と呼ばれるプランによるものである。セキスイハイムのホームページには、次のように書かれている。

かげやまモデルについて

かげやまモデルとは、セキスイハイムが隂山英男先生とのコラボレーションによって子どもたちの学力向上ややる気、自立心を育む住まい環境を構築し、09’年より子育て住宅の在り方をより具体的形にした住まいです。

コンセプトとして「どこでも学習できる場所づくり」「生活習慣を支えるしかけ」「家族コミュニケーションの演出」(※3)の三つを挙げ、「子育て住宅の在り方」を提案しているという。確かに、モデルハウスには普段私たちがイメージしている住宅にはない様々な工夫が施されていた。そのうちの一つが階段の学習机であり、他にも、キッチンの真横に学習スペースがある、トイレの中にまで本棚があるなど、一般の住宅では想像が出来ないような様々な工夫が施されていた。子どもが場所を問わずにいつでも学習できる環境が出来あがっていて(「どこでも学習できる場所づくり」)、それと同時に親がどこにいても近くで子どもの様子をうかがい知ることが出来る(「家族コミュニケーションの演出」)住宅づくりが行われている。 また、間取りに関して、次のような研究報告(※4)もある。

子育て世帯住宅の最も重要な点は、(中略)家族が孤立化する動線計画は避けるべきである。また、(中略)夫婦の部屋、子供部屋の位置を慎重に選び、可能な限り子供の動きが把握できるようにする必要がある。

階段の途中に学習机を置く、リビングの真ん中に階段を作る、玄関から直接個室には行けない間取りにする。これらの事例は、「住宅」を変化させることで「家族」やその関係性に何らかの影響を与える可能性があることを示唆しているように感じられる。

実際、私たちは生まれてから死に至るまでの大半の時間を「住宅」の中で過ごしていると言える。だからこそ、単純に住むための場所として捉えるだけではなく、そこで暮らしている「家族」は「住宅」という空間から何か影響を受けていて、それによって規定されていると考えることも可能だと思われる。

このような経緯により、「住宅」と「家族」をテーマとして選んだ。両者の間に何らかの関係性があるならば、「住宅」を変えていくことで「家族」の人間関係やさまざまな悩み、問題など目には見えないものを解消していくことが出来るのではないか。この考え方をもとに、本論文を進めていきたいと思う。

序章 ―本研究の目的

ここでは、研究の目的と論文全体の構成、概要について扱う。 本研究の目的は、非血縁関係家族の関係性を再構築させる住宅モデルを提案することである。

はじめにの部分でも触れたように、「住宅」と「家族」の間には何らかの関連性があり、私たちは「住宅」による影響を受けながら暮らしているとも考えることが出来る。「住宅」が「家族」の関係性を変えていく可能性を明らかにし、「家族」の関係を改善していくようなモデルについて考察を行う。 そのために、本論文では三章に分けて分析を進めていく。

まず第一章では「家族」について扱う。一般的な家族イメージは、両親、兄弟姉妹などの血縁関係の有無を一つの基準として想起されるものである。しかし、自分の両親と祖父母の関係を考えてみると、それは必ずしも血縁関係があるとは言い切れない。また、家族の中の問題として世間でも多く取り上げられているのは、まさにこの両親と祖父母の間にあるいわゆる嫁姑問題と呼ばれるものである。本論文ではこれらの関係を「非血縁関係家族」あるいは「血縁関係のない家族」と定義する。アンケートから見えてくる理想の家族像と実際の非血縁関係家族の間の溝について指摘していく。

次に、第二章では「住宅」について扱う。ここでは、本研究の動機にもなった「住宅」と「家族」の関係性を明らかにする。国民的アニメ『サザエさん』、『ドラえもん』で描かれている住宅と家族を例に、家族関係が住宅によって変わる可能性を示唆していく。また、住宅供給を担うハウスメーカーの動向を探ることで消費者至上主義が生みだす住宅の限界、それに代わる非血縁関係家族のための住宅の必要性について論じていく。

前章で明らかにした「住宅」が「家族」を変化させる可能性をもとに、第三章では「不便さの介入」という視点から関係性の再構築について論じていく。ここで注目したのは、震災の前後で家族関係が変化したという報告である。一昨年に発生した東日本大震災の際には「絆」という言葉が話題になった。また、株式会社電通などの追跡調査5によると、「震災をきっかけに大切にしようと思った人間関係」の上位は親や配偶者となっており、私たちの実感としても「震災は『家族との絆』をより強くした」と言うことが出来る。さらに、阪神淡路大震災後のアンケートや調査(※6)の中には、「家族・親族間の仲が、震災を機にして、 一層仲良くなったり悪くなったりというように変化」した傾向があると分析しているものもある。本論文ではこれらの事例をもとに、震災などの「非日常的要素」の介入は人間関係にも影響を及ぼすと考える。そこで、意図的に「非日常的な要素」を住宅の中に介入させることによって非血縁関係家族の関係性の再構築を図っていく。第二章で扱ったハウスメーカーの動向と照らし合わせ、「非日常的な要素」の介入により生み出される「不便さ」の必要性を論じながら、非血縁関係家族の関係性が変化していく住宅モデルについて考えていく。 以上が本論文の概要である。

家族内の非血縁関係と聞いて思い浮かぶのは嫁姑関係である。もちろん、各ハウスメーカー、建築家などはこの関係を含む家族に特化した住宅、すなわち二世帯住宅を提供し続けてはいる。しかし、実際に住んでいる人の声を聞いてみると「一緒に住むべきではなかった」などの否定的な意見が多く目につく。現在の住宅では、中で生活している家族の関係性改善の可能性は低いということが出来るだろう。だからこそ、従来とは違う視点で住宅を考えていく必要があると思われる。

「多様化」という風潮はもちろん住宅と家族のあり方にも影響を与えている。従来通りの家族イメージ、つまり血縁による結び付きとは異なる「家族」も多く存在している。昨今ブームになっているシェアハウスもその一例である。肉親ではない、血縁以外の結び付きによって生活を共にしている者同士も、私たちの感覚の上では「家族」と呼ぶことが出来るのではないだろうか。本研究は、嫁姑関係という切り口から非血縁関係家族の関係性再構築を目指すものではあるが、その他多くの家族関係を包括し役に立つことが出来れば幸いである。

第一章 家族

「住宅」と「家族」の関係性について考えるために、この章では研究対象となる「家族」とは何かという定義づけを行う。アンケートなどをもとに、実際の家族と理想像としての家族を明らかにし、両者の差異を指摘することで現状分析を進めていく。

第一節 家族のあり方

一概に「家族」と言っても、その言葉が与えるイメージや範囲は各個人によって違いがあるだろう。テレビドラマなど描かれている典型的な家族像と言えば、自分の両親、兄弟姉妹、祖父母などの、血の繋がりがある人間関係であると言える。実際、森岡清美氏は1997年に発表した著書(※7)の中で、家族の定義を「夫婦・親子・きょうだいなどの少数の近親者を主要な構成員とする」集団であると述べた。これ以降、森岡氏の定義をもって家族と解釈するのが一般的になっているのが現状である。2006年に内閣府によって実施された『家族のつながりに関する調査』(※8)というものがある。人々が家族をどのように捉えているか調査する箇所において、「以下に掲げた親族関係のうち、『家族』とイメージするものすべてに対して○をして下さい」と表現されていたことは注目すべき点である。というのも、「家族」の前提として親族関係であることが想定されているからである。「親族以外の関係のうち、『家族』とイメージするものは何か」という質問はされていないのである。この点からも、「家族」というものは親族という「近親者」、すなわち血縁関係がある者同士の集団であると考えられていると言える。内閣府の調査によると、同居別居など居住形態に関係なく、親、子ども、祖父母、孫、配偶者、兄弟姉妹までを「家族」とみなしている人が多いということになる。

「家族」を血縁関係の有無で判断するとした場合、二つの問題点が生じる。一点目はシェアハウスを巡る問題であり、もう一点は嫁姑関係である。

現代の住宅事情について考える場合、シェアハウスという形態を無視することは不可能である。シェアハウスの物件戸数が2003年以降急激に増加(※9)していることや、テレビによる 特集やインターネットでの反響などを考慮すると、シェアハウスにおける「家族」定義をどうするかという問題が浮上してくる。シェアハウスとは「キッチン、リビング、浴室、トイレ等の設備を複数名の住居者が共同で使用する住居」(※10)のことを指す。経済的理由からシェアハウスに住むという従来のイメージとは異なり、入居者同士のコミュニケーションやつながりという側面を求めている点が現在のシェアハウスの大きな特徴だと言える。血縁関係のみを基準として「家族」と定義してしまった場合、同じ家で生活し、毎日顔を合わせ、会話をし、共通の趣味や目的があるような間柄でも「家族」ではないということになる。

次に、嫁姑関係について考えてみる。両者の関係性を子どもの立場から見た場合、母親=嫁、祖母=姑という形になり、どちらも血縁関係があり、森岡氏の言う「家族」にもあてはまる。しかし、母親から見た場合の関係性は少し異なる。子どもとは血縁関係があるが、祖母=姑とは血のつながりはない。「少数の近親者を主要な構成員とする」という定義には合致しているものの、子どもの立場で言う「家族」とは別物である。血のつながりが全くない、赤の他人と生活していると言える。しかし、私たちはこの関係性も「家族」と呼んでいる。

このように、シェアハウスと嫁姑関係について考えた場合、森岡氏が定義した「家族」という枠組みでは捉えきれないものが見えてくる。本研究で「家族」を扱う上では、現在の住宅事情を踏まえた新しい定義付けが必要だと思われる。シェアハウスと嫁姑関係に共通していることは、「血縁によるつながりはないが、ひとつ屋根の下で生活している」という点である。そこで、この特徴を持つ家族を「非血縁関係家族」もしくは「血縁関係のない家族」と呼び、研究対象とする。

「非血縁関係家族」はシェアハウスや嫁姑の中だけに見られるものではない。立場を変えてみれば、婿舅の関係も同じである。また、社会的背景としては、晩婚化・少子化なども挙げられる。結婚しない生き方や子どもを作らない生き方を選択する人々が増えるということは、血縁関係に縛られない家族が増えていくことを暗示しているように思われる。実際、2012年の日本の人口は約1億2749万人であるのに対し、40年後の2052年には推計で9502万人にまで減少するという調査結果(※11)もある。将来的に見ても、「非血縁関係家族」が増えていくことは間違いないだろう。次節ではこの家族が抱えている問題を明らかにし、家族の関係性を改善させるためには何が必要なのかという点について考えていく。

第二節 血縁関係のない家族と理想の家族像

ここでは、非血縁関係家族の中に見られる問題点について考察を進めていく。 まず初めに、内閣府の「国民生活に関する世論調査」(※12)を参考にしたうえで、人々にとって家族とはどのような存在であるのかということを考えてみたい。この調査項目の中のうちの一つに、「あなたにとって家庭はどのような意味をもっていますか。この中からいくつでもあげてください。」という質問があった。結果としては、上位三位までが「家族団らんの場」(64%)、「休息・やすらぎの場」(62%)、「家族の絆(きずな)を強める場」(55%)となっている。逆に、下位三位としては「親の世話をする場」(14%)、「子どもをしつける場」(17%)、「子どもを生み、育てる場」(27%)が挙げられている。

内閣府が行った調査に類似しているものとして、リクルート総研による「家族観、住まい観に関する世代別価値観調査」(※13)がある。ここでも「家庭のあるべき姿についての考え」を問う項目がある。調査結果としては、上位4位までが「心の安らぎや安心感が得られる場」(50%)、「愛する人と共に生きる場」(39%)、「大切なものとして、努力して自ら守っていく場」(37%)、「何でも相談できる一番の理解者と暮らす場」(31%)となっている。下位4位までを見てみると、「労働や子育てによって社会に貢献する場」(9%)、「社会的な信用を得る場」(10%)、「自分の生活や身の回りの世話を助けてもらえる場」(13%)、「先祖を大切にして子孫を残し家系を継承していく場」(13%)である。

これらの調査結果からわかることが二点ある。 一点目は現代の家族観についてである。アンケートの回答形式にはそれぞれ違いがあったものの、上位に挙げられている項目を比べてみると共通した内容が選ばれているということがわかる。つまり、家庭とは「家族と共に過ごし、心から安らげる人間関係が築かれている」場所であるべきだと考えられているのである。お互いを理解し、相談しあえる関係性であること、精神的なよりどころであることが理想の家族像となっているのである。この傾向はどの時代でも大きな差はない。内閣府の調査は定期的に行われているのだが、2000年以降現在までの全ての調査において上位に挙げられているのである。このことからも、家族の理想像は世代を問わず一定であると言える。さらに、下位の項目も含めて考えた場合、人々は社会的な体裁や役割よりも、自分自身が気持よく生活できることのほうが重要だと感じていると言えるのではないだろうか。

二点目は、理想的な家族像と現実の違いについてである。家族同士の信頼感、安心感や理解者としての立場が求められてはいるが、家族の中にはさまざまな問題があるのが現状である。ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(※14)を例に考えていただきたい。例えば、遺産 相続・後継者問題、親子問題、結婚・離婚・再婚問題、嫁姑問題、教育問題、老人介護など、現代の家族が抱えている諸問題が取り上げられているように感じられる。また、インターネットでこれらの内容を検索した場合、おびただしい数の相談・愚痴などが表示される。これらのことを考慮した場合、家庭が「信頼関係が築けている」であるとか「精神的に安らげる場所」とは言うことは出来ない。さらに注目すべき点は、上に挙げた問題は非血縁関係であるという理由で引き起こされたり、非血縁関係であるからこそ根深く解決しにくい特徴があるということである。つまり、非血縁関係家族の場合は血縁関係で結ばれている家族よりも「安らげる場所」である可能性が低いと考えられる。

以上のことから、理想の家族像と実際の家族との間には大きな違いがあるということが出来る。一番安らげる場所と考えられている家庭の中で、私たちは人間関係によるストレスを抱えている、これが今の家族の現状である。非血縁関係家族の関係性を改善させるとすれば、「安心できて、お互いのことを信頼し合い、精神的なよりどころとなる」理想の家族像に近づくことを目指すことになる。そのためには、非血縁関係家族を巡る、嫁姑問題などを解決することが不可欠であると思われる。

次章では、国民的アニメを例に、「住宅」が家族の関係性を変化させる可能性について考察を行う。また、ハウスメーカーをはじめとした住宅供給側の動向を探ることで従来の住宅の限界とそれに代わる新しい住宅モデルの必要性について論じていくこととする。

第二章 住まい

前章では、「家族」にテーマを絞り現状分析を行った。現在の家族関係を言い表すには「非血縁家族」や「血縁関係のない家族」と表現するほうが適切であること、理想の家族と実際の家族の間には大きな違いがあり、理想に近づくためには「非血縁関係家族」にまつわる問題を解決し、さらに関係性を変化させていく必要があるということを指摘した。

この章では、「住宅」について考察を進めていく。住宅モデルの変遷とそれに伴う家族形態の変化を取り上げ、住宅が家族関係に与える影響を明らかにする。また、昨今の住宅供給と消費者ニーズの動向を探ることで、関係性改善のための新たな住宅モデルの必要性について考えていく。

第一節 住宅の変遷

ここでは、現在に至るまでの住宅モデルの変遷と家族形態について扱う。歴史的にみると、住宅モデルには時代ごとに一定のパターンがあり、またそれと同様に家族形態にも変化が見られる。以下では各時代の例として国民的漫画・アニメ『サザエさん』と『ドラえもん』を挙げ、分析を進めることとする。

まず最初に、『サザエさん』で描かれている住宅を例に、戦後直後の住宅モデルについて考える。具体的には昭和三十年代まで、西暦だと1955年頃から65年頃に多く見られたモデルのことを指す。第二次世界大戦(1939~1945)の直後であり、欧米諸国の文化・習俗の影響をそれほど受けていない時代であると考えられることから、戦前までの日本従来の住宅モデルを代表していると仮定しても差し支えないと思われる。また、『サザエさん』の漫画連載開始は昭和21年、アニメの放送開始は昭和44年(※15)であることから、舞台として描かれている住宅は戦後直後モデルと捉えることも可能である。

この時代の「住宅」の特徴としては、いわゆる田の字型プランと呼ばれるモデルが採用されていることである。このプランは江戸時代以降広く一般的に普及していたモデルであるという。現在でも地方の田舎などでは見られるかもしれないが、畳敷きの部屋で構成される住宅のことを指す。部屋同士の区切りには襖などの可動式の壁を用い、部屋の使い方によっては仕切りを動かしてその都度対応させる必要がある。逆を言えば、いつでもどんな場面でも自由に動かすことのできる壁によって仕切られていることから、個人のプライバシーなどといったものはほとんど守られていない。『サザエさん』に登場する磯野家の食 事シーンは、いつも茶の間である。食事のときにはちゃぶ台が置かれ現在で言うところのダイニングとしての役割を果たしていた場所が、夜になると寝室になる。つまり、ちゃぶ台を片づけて出来た空間に布団を敷きつめて寝ていた田の字型プランでは、寝る場所と食べる場所の明確な区別はなく、家族は常に同じ空間に存在していたということが出来る。以上のことから、田の字型プランが一般的であった時代には、半強制的であるとしても、家族と共有する時間が非常に多かったように感じられる。各個人の時間の確保がほぼ不可能であった一方で、家族とのコミュニケーションが取りやすい環境が住宅によって作り出されていたと言える。

今度は『ドラえもん』を例に、昭和四十五年以降の住宅モデルについて考える。西暦で言うと1970年以降、時代背景としては高度経済成長期の終盤と重なる時代である。この社会情勢の変化は、例外なく住宅にも影響を与え、それまでの田の字型プランに代わる新たな住宅モデルが誕生した。『ドラえもん』は1969年に漫画の連載が始まり、1973年からテレビアニメの放送が開始されたことから、この時期の住宅モデルを反映していると考えられる。高度経済成長の影響により、農村から都市への人口流入が都市部での住宅需要を増加させたことは想像に難くない。そこで必要とされたのが、安い値段で大量の住宅を提供することであった。安価な値段で多くの住宅を供給する目的のもと考案されたのが「51-C型」と呼ばれるモデルである。51-C型は、現在で言うところの2DKのような間取りを持つ住宅を指し、ダイニングとキッチン、さらに個室が二つという構造になっていた。当時、公団住宅は一般的にこのモデルを採用しており、政府や地方などが中心となり都市に出てきた人々に賃貸・分譲していたという。都会に出て公団住宅に住むというのが一種のあこがれとなっていた部分もあり、このモデルが広く一般化していたと考えられている。『ドラえもん』に登場する野比家を想像すると、確かにリビング・ダイニングと親の寝室、子ども部屋といったように個室が作られている。建築家の横山彰人氏(※16)によると、51-C型のモデルは西山夘三氏によって考案されたという。従来の田の字型プランの住宅の中で、当時の人々はわざわざ食寝分離、すなわち食べる場所と寝る場所を分離させて生活していることが調査によって明らかになったのである。この結果をもとに、西山氏は食寝分離が実現できる住宅を作ったといわれている。この点を考えると、51-C型は単純に住宅供給という目的だけではなく、一方では実際に生活している家族の要求、つまりニーズに応えるという側面も持っていたといえる。

また、高度経済成長期といえば、アメリカをはじめとした外国の文化が多く輸入された時期でもある。米中心の食生活の中にパンを食べる風習が取り入れられるなど、人々の生活は大きく変化していたと思われる。それは、物質的な面のみではなく精神的な部分や思想なども同じであった。つまり、個人主義という考え方とともに、それを反映したアメリカ式住宅が日本に導入されていたのである。それが現在まで続いている「一人一部屋」と いう個室の考え方である。もちろん、個室は親だけでなく子供にも与えられるのである。これに関して横山氏(※17)は、「子ども部屋が普及した背景には、高度経済成長によって一般家庭の所得水準が上がったこと、そして高学歴社会や受験戦争など子どもを取り巻く環境の変化」があったということ、さらに、「戦後日本にとったアメリカは憧れであり、お手本」であったために「当時の多くの親たちは、子どもの自立と個性の確立には子ども部屋という個室が必要だと考えた」と述べている。家族のつながりという面で考えると、田の字型プランに比べ、徐々には薄弱化していくことが推定される。また、核家族化が進んだといわれているのもこの時代のことであった。

最後に、現在の住宅モデルについても考えてみる。多くの住宅は、3LDKや5LDKといったような記号で表されている。51-C型との大きな違いは、L、つまりリビングと言う空間が導入された点である。ここから、51-C型によって希薄化してしまった家族のつながりや共有スペースを取り戻そうという試みがなされたと推測される。逆に、数字の部分、すなわち必ず個室があるという点には変化がない。

第二節 住宅供給の現状

前節では、住宅モデルの変化と家族形態の変化には何らかの関係性があるということが明らかになった。51-C型が導入されて以来現在まではほぼ同じモデルが続いていると言える。この節では、住宅供給を担う各ハウスメーカーなどの動向と消費者ニーズを照らし合わせながら、家族と住宅の関係性について考察を行う。

2011年の時点で売上高・販売戸数共に上位であった大和ハウス工業(※18)、積水ハウス(※19)、そして積水化学工業(※20)を参考にしたい。この三社を選んだ理由としては、売上高・販売戸数が多いということが市場で多く求められている住宅モデルであると判断したためである。これらのハウスメーカーの商品ラインナップを比較した結果、二つの特徴があることに気付く。一つ目は環境配慮と安全性重視、もう一つは消費者至上主義である。

東日本大震災も一つの契機となり、私たちは住宅に対してより一層強く安全性を求めるようになったと言える。その影響もあり、各ハウスメーカーは「耐震・免震・制震」(大和ハウス工業)「制震・免震」(積水ハウス)というキーワードで安全性を強調している。さらに、エコという視点から環境配慮を謳った商品が目を引く。「おひさまハイム」「あった かハイム」(積水化学工業)などの太陽光発電、「外張り断熱」(大和ハウス工業)などが有名である。

その一方で、住む人に合わせた住宅づくりが重視されているようにも感じる。「奏でる家」(大和ハウス工業)と称された防音室がある住宅、「ディア・ワン」(積水ハウス)という犬と暮らすための家、さらに本研究の動機ともなった子育て家族のための「かげやまモデル」(積水化学工業)などが例として挙げられる。家族や個人のライフスタイルに合わせた住宅、すなわち消費者ニーズに合わせた住宅供給が行われていると言える。

平成15年の「住宅需要実態調査結果」(※21)の中に、注目すべき点がある。2003年の時点で消費者のニーズは主に「安全性(防犯性、地震・台風対策など)」「省エネ・エコ」に向けられていた。これは現在のハウスメーカーの動きと一致している。平成10年に行われた同様の調査では「設備(収納スペース)」「間取り(台所の広さ、部屋の数など)」が上位に挙げられていた。この点に関しても、各消費者のライフスタイルに合わせた住宅が求められていると考えられることから、現在のハウスメーカーの動向と同じであると言える。さらに、平成22年に国土交通省により実施されたインターネットアンケート(※22)の中に、「理想の住まいを実現するために重要視するもの」という質問項目がある。その結果の上位に「省エネ性」「耐震性」が挙げられている。逆に、「部屋数が多い」という間取りに関する部分を重視する率は低くなっている。

以上のことから、51-C型以降の住宅モデルとしてはまず「設備」「間取り」が重視されてきたこと、その後は「安全性」「環境配慮」という形で消費者ニーズは移り変わってきたと言える。住宅供給を担うハウスメーカーは、これらのニーズに合わせた住宅づくりを行っているようにも感じられる。このことから、本論文では現行の住宅モデルを「消費者至上主義住宅」と呼ぶこことする。

第三節 消費者至上主義住宅の限界

これまで見てきたように、住宅モデルと家族のあり方の間には関係性があるように思われる。この節では、両者の関係性について整理するとともに、現行の住宅の限界と新しい住宅モデルの必要性を説いていく。

住宅モデルの変遷としては、「田の字型プラン」(1955~64年頃)、「51-C型≒2DK」(1965~74年頃)、「nDK(nは任意の数字)」(~現在)となっている。そして、これらの移り変わりに合わせて家族形態にも変化があり、順に「大家族」、「核家族」、「家族形態の多様化」となる。

両者はともに変化しているが、ここで注目すべき点は「住宅の変化が家族に影響した」のか「家族形態の変化が住宅を変えた」のかということである。 「51-C型」から「nDK」への移行期について考えてみる。基本的な住宅構造に関しては大きな変化はないが、「食寝分離」「一人一個室」重視から「安全性」「環境配慮」「間取り」そして「消費者ニーズ」重視へと変化していることが分かる。 第二節で取り上げたさまざまなアンケートから見えてくるのは、消費者の求めているものに各ハウスメーカーが応えているという構図である。 消費者側が「耐震性」「間取り」を求めているのならば、地震に強く、さらに個室の数を増やし屋根裏部屋を作り収納スペースを増やした住宅を提供してきた、これが住宅供給の現状である。 この状況は今後も続くであろうと推測される。消費者の好みや生活に合わせた住宅づくり、すなわち消費者至上主義住宅は住む人によって作られるものであることから、「家族が住宅を変える」と言うことが出来るであろう。 一方、「田の字型プラン」から「51-C型」へ変化していった時代はどうであったのか。この移行期の場合、もちろん高度経済成長という社会的背景も変化の一因であることは否定できない。 「田の字型プラン」の性質上、家族と共有する時間が多かった。しかし現在の2DKのような間取りになり、必ず家族と共有しなければならない空間や時間はほとんどなくなった。この事実は、住宅が人間関係に影響を与える事例の一つと言えるのではないだろうか。私たちは空間によって行動が制限されると同時に規定されているのである。住宅という空間の特性として、「毎日繰り返す」というものが考えられる。壁や家具などによって空間は固定されているからこそ、私たちは普段決まった動きを強いられている。それを繰り返していくうちに日常になり、固定化した関係性が生まれてくるのである。横山氏は「家庭内暴力や引きこもりなど」は「個室の普及」に原因があるといい、「努力しなくてもできていたコミュニケーションが自然に生まれなくなり」「子どもは自立するどころか部屋に閉じこもって」しまったために生まれた問題であると述べている。この問題を解消するため、生活動線を工夫することで顔を合わせる機会を増やし親子関係を変えていこうとする研究や住宅も多く存在している。 これも「住宅が家族関係に影響を与える」例の一つであると思われる。

非血縁関係家族を意識した住宅として、二世帯住宅が挙げられる。親世代と子世代の同居の際に生じるさまざまな問題を住宅側から解決しようという試みが感じられる。現在多く見られるのは「同居型」「独立型」の二つのタイプである。キッチン、トイレ、バスなどの設備を共有し、個室によってのみ区別されているのが同居型であり、逆に上下左右に隣接して住宅があるだけでお互いの生活は完全に分かれているのが独立型と言われるものである。実際に住む家族に合わせて住宅が作られていることから、二世帯住宅も消費者至上主義住宅のうちの一つと考えられる。二世帯住宅のパイオニアと言われる旭化成ホームズの調査(※23)によると、「同居生活の不安と不満」として親世代、子世代ともに「日常的な気遣い」「生活時間の違い」が多くなっているという。これは10年前の調査結果とほぼ変わり ない。これらは潜在的な問題でもあり、現状の住宅では解決しがたい問題でもあると言える。

ハウスメーカーの動向、消費者のニーズの関係性から考えると、今後の住宅供給も依然として消費者至上主義住宅が中心となっていくと思われる。しかし、家族のニーズに合わせた住宅づくりでは、非血縁関係家族の関係性を改善させることは出来ないだろう。各家族に合わせてさまざまな二世帯住宅が作られてはいるが、インターネットの書き込みでは「一緒に住むべきではなかった」「より嫌いになった」などの否定的な意見が目を引く。消費者至上主義住宅ではない、新しい住宅モデルが必要であると思われる。

そこで本研究が注目するのは、「住宅が家族の関係性に影響を与える」という事例である。「田の字型プラン」や「51-C型」のように、空間によって人の動きを固定させることで家族の関係性を変えていく。次章ではこの考え方を利用し、家族関係再構築のため空間とは何かということを考えていく。

第三章 不便さの介入と住空間

前章では、住宅モデルの変遷と家族形態の変化、そして住宅供給を担う各ハウスメーカーの動向と消費者ニーズを照らし合わせることで、「家族ニーズによって作られる住宅」と「住宅によって変化する家族関係」があるということを明らかにした。現行の住宅モデルは消費者のニーズに合わせて作り替えられる「消費者至上主義住宅」と呼ぶことができ、家族関係を変えるには不十分である。非血縁関係家族の関係性を変えるためには、住宅側から家族関係を変える、すなわち空間が人間の行動を規定するという考え方を利用すべきであると考える。

第三章では、阪神淡路大震災及び東日本大震災によって家族関係が変化したという事例から、「不便さ」の介入による関係性変化の可能性を探る。また、嫁姑関係を例に、非血縁家族の関係性が再構築される家のプラン提示を行う。

第一節 非日常的な要素と人間関係

2011年の東日本大震災以来、私たちの家族観や人間関係というものは大きく変化したと言える。日本漢字能力検定協会が毎年行っている「今年の漢字」に「絆」という言葉が選ばれたことは記憶に新しい。震災後の追跡調査に関して、PRESIDENT社が独自に分析を行った(※24)。これによると、「多くの人の仕事観や働くうえで求めるものに変化が起こっていることを示唆する結果」が出ているという。その中で注目すべきは「社内での評価や処遇への関心の低下」と「『家族・家庭』への強い志向」である。さらに、「仕事で重視する要素として、『家族のためになる』、または『家族と一緒にいることができる』という点が強調されている」という。「家族と過ごす時間を重視するようになった可能性がある」と分析されていることからも、家族に対する「絆」を感じたり、家族を大切にしようという動きがあったと言える。また、平成23年の「電通総研が震災による人間関係の変化について調査~震災をきっかけとした『絆の見直し』~」(※25)によると、「震災は『自分にとってほんとうに大切な人はだれなのか?』を問い直すきっかけ」になったという。実際、これまで以上に「大切にしよう」と思った相手は「親」「配偶者」「子ども」「兄弟姉妹」となっており、こ の結果からも震災によって家族関係に何らかの変化があったと考えられる。

1995年に発生した阪神・淡路大震災後の追跡調査でも同様の事例が報告されている。「震災遺児家庭の震災体験と生活実態」(※26)では、「家族・親族間の中が、震災を機にして、一層仲良くなったり悪くなったりというように変化している傾向」があると述べられている。この調査報告によると、家族・親族関係の変化の特徴として、震災を機にそれ以前の諸関係が顕在化されたということが挙げることができる。つまり、元々家族の仲が良ければ震災後も良好な関係を築くことができ、親族同士の交流がなければ震災後はいさかいが絶えないという状態になるということである。

これらの事例から明らかになることは、震災という、いわば「非日常的な要素」が私たちの生活の中に入り込むことによって、家族関係は変化する可能性があるということである。非日常的な要素、すなわち今まで生活の中に存在しえなかったものを介入させることで、私たちの関係性は変わるのである。震災は極端な例であるが、私たちの日々の生活の中において、非日常的な要素の介入は数多く見受けられる。例えば、ペットを飼う。人が死ぬ。大型テレビを買う。パソコンが壊れる。これらはすべて、非日常的な要素であると考えられる。ペットを飼えば、ペットの世話を通じて新たなつながりが生まれる。人が死ねば、残された者同士で協力して生きていかなければならない。大型テレビを買えば、家族全員で集まり楽しむ時間が増える。パソコンが壊れれば、個室にこもる理由が無くなりリビングに出てくる。このような変化も、家族関係が再構築されるきっかけのひとつとなるであろう。

震災のような「非日常的な要素」を介入させることによって、非血縁関係家族の関係性を変化させることが可能なのではないかと思われる。しかし、パソコンやテレビのような小さな要素では、関係性はほんの一時的な変化にとどまるとともに、直接的な影響を受ける者が限定されてしまうことが想定される。そのため、非日常的な要素は震災のように大きく時間的にも長く影響を及ぼすものであり、かつ家族全員に影響を与えるものである必要がある。非日常的な要素をあらかじめ住宅に組み込むことで、家族全員に長期的な影響を及ぼすことが可能であると考えられる。

第二節 利便性と不便さ

第一節では、家族関係を変化させるきっかけとして、震災をはじめとした「非日常的な要素」を介入させることの意義について述べた。ここでは、非日常的な要素の具体的な例をいくつか挙げ、それらが実際にどのような影響を及ぼすのかということについて推測を 行っていく。また現行の住宅の中にある非日常的な要素の特徴を踏まえたうえで、人間関係に影響を与えるために不可欠な要素について考えていく。

私たちの日常生活の中に普段は存在しないもの、これらはすべて非日常的な要素と呼ぶことが可能である。この非日常的な要素を私たちの生活の中に介入させることによって、一体どのような変化あり、何が生み出されるのか。前節でもいくつか例を挙げて確認したが、ここではもう少し詳しく見ていくとする。

例えば、テレビ。家庭によっては、一人一台、もしくは一部屋一台となっていることも多いだろう。しかし、テレビがなかった時代、初めてテレビが家に届いたときに人々はどのような反応示したであろうか。おそらく、家族全員がテレビの前に集まり、一緒になってテレビを見て楽しんでいたことだろう。このような場面は昭和期を舞台としたテレビドラマ・映画などでしばしば描かれている。家族だけではなく、近所の人々まで物珍しさで集まってきていたのが印象的である。テレビという非日常的な要素の介入によって、人々は自然と集まり、会話が生まれていたと考えることができる。テレビの台数が増えるにつれて、好きな時間に好きな場所で見ることができるようになり、またチャンネル争いなども無くなり便利になったと言える。

例えば、パソコン。これもテレビと同じような影響を及ぼしてきたと思われる。数十年前は一家に一台であったパソコンだが、今では一人一台が基本になっている。ノートパソコンはまさしく使う場所と時間を選ばない。またネット環境さえ整っていれば外部の人々とも自由に繋がることが可能で、買い物や映画鑑賞までも出来てしまう。非常に便利になったと感じる一方で、家族でやらなければならないことや一緒に過ごす時間が極端に減ったようにも思われる。

例えば、個室。51-C型が主流になって以来、個室は住宅を作る上で欠かせないものとなっている。個室を作らず全てをオープンスペースにするという住宅はまずないであろう。大人だけではなく、将来生まれてくる子どものためにもひとつ個室を用意しておくというというのが今の時代である。家族といえども考え方・趣味は違う。だからこそ、自分だけの空間が必要でプライバシーを尊重するためにも個室はやはり重要である。子どもの視点から考えると、一人で静かに過ごせる場所でもあり勉強がしやすい場所となるので、やはり個室は不可欠なのだろう。いつでも自分の時間が作れる場所、誰かに気兼ねする必要のない場所を簡単に作り出せるという利点はあるが、一人の時間を重視する一方で他人との繋がりが希薄になりつつある。

例えば、子どもが生まれる。これも非日常的な要素の介入であると考えられる。新しいいのちの誕生は、非常に喜ばしいものである。しかし、気持ち的には歓迎できたとしても、実際の生活には大きな負担が強いられるのであろう。生まれてから22年間で子どもにかかるお金は約3000万円(※27)とも言われている。幼少期は必ず誰かの手を借りなければ生活でき ない。教育方針を巡って言い争いになる。一見するとわずらわしいことばかりのように感じるが、家族の関係性は子どもの誕生によって書き換えられていると考えられる。子どもを育てるためには、嫌でも姑の手を借りなければならない。食べ物好みや味付けを、子どもに合わせて変えていかなければならない。このような外的要因によって、家族関係は再構築されるのである。

例えば、冬場に暖房・ストーブが壊れる。普段はどんなに寒くても、各部屋に暖房器具があるためにそれほど困ることはない。しかし、壊れてしまったら、寒さをしのぐために人々はおそらく一つの部屋に集まろうとするだろう。一人でいるときには寒くて行動できないかもしれないが、家族全員でいれば少しは暖かくなり耐えることができるかもしれない、動ける人が動き、日常の生活とほぼ同じ生活が送れるかもしれない。普段当たり前に使っていたものがなくなることは確かに不便ではあるが、そこから家族で一つになり協力する関係性が構築される可能性がある。

例えば、震災。非日常的な要素の中でも一番大きな影響を及ぼすものであろう。東日本大震災の際には、「震災婚」という言葉も流行したように人間関係を再確認させるきっかけとなった。家族はバラバラになり、中には親族を亡くした人々もたくさんいた。生活をしていくためには、必ず自分以外の誰かの手を借り、協力し合いながら生きていかなければならない。これが震災後の状況であった。今までの家族関係ではなく、そこから新しい関係性が始まったと考えられる。震災という非日常的な要素は、私たちに不便さを強いたと同時に家族関係の再構築のきっかけを与えたともいえる。

以上のことからわかるのは、非日常的な要素の介入はやはり人間関係に影響を与えるということ、さらに介入によって引き起こされる変化は大きく二種類に分類できるということである。テレビ、パソコン、個室などの例では結果として「利便性」が生み出され、それに伴い家族関係にも変化が見られた。逆に、子どもの誕生、暖房器具の故障、震災の例では「不便さ」がもたらされているものの、関係性に影響があったと考えることができる。どちらも共に家族関係に変化をもたらしているが、非日常的な要素が「利便性」を生み出した場合よりも「不便さ」を生み出した場合のほうが家族関係の再構築は良い方向に行われている傾向があるように感じられる。

第三節 再構築を引き起こす住空間

第二節では、非日常的な要素の介入により、私たちの生活の中には「利便性」もしくは「不便さ」がもたらされ、それに伴い人間関係が変化していることが明らかになった。この節では、第二章で扱ったハウスメーカーの動向を参考にしながら、非血縁関係家族の再構築のためには「利便性」「不便さ」のどちらが必要なのかということを考えていく。

「非日常的な要素」の介入という視点で考えると、住宅供給を担う各ハウスメーカーや建築家も同様のことを行っているように感じられる。第二章でも扱ったように、各ハウスメーカーは「安全性」「環境配慮」を重視するとともに消費者のニーズに最大限応えるような住宅づくりを行っている。大和ハウス工業の「奏でる家」や積水ハウスの「ディア・ワン」はその典型的な例だ。従来の住宅にはない、防音室を作ることやペット専用の部屋や出入り口を作ることは「非日常的な要素」の介入と捉えることができる。また、二世帯住宅について考えた場合も同じことが言える。親世代の将来を考慮し、さまざまな工夫をすることが多い。例えば、車いすで生活することになった場合を想定し、あらかじめエレベーターを作る。廊下が狭ければ、車いすは通ることができない。だから全体的に通路の幅は広くしておく。体が不自由になれば、段差があると生活しにくくなる。だから廊下と各個室、浴室、トイレなどのつなぎ目は平らにしておく。これらも全て見方によれば、住宅づくりにおける「非日常的な要素」であると言えるだろう。

注目すべき点は、現在の住宅における非日常的な要素の介入の大部分が「利便性」追求のために行われているということである。趣味を楽しむことができるように防音室を作る、犬が自由に行き来できるような住宅にする、歳を取っても自分で動き回れるようなバリアフリー住宅を作る。これらは結果として利便性、すなわち暮らしやすさを生み出しているように感じられる。確かに、消費者ニーズは常に「暮らしやすさ」を求めてきた。キッチンを広くしたい、個室を増やしたい、収納を多くしたい、このようなニーズに応える住宅づくりが行われてきたのである。しかし、利便性の介入によって私たちの家族関係はどのように変化してきたのだろうか。確かに、暮らしやすくはなったように感じられる。最近であれば、食器洗い機などの家電製品も各家庭に導入され、家事に費やす時間が大幅に短くなったとも言える。しかし、だからといって家族と過ごす時間が増え、関係性が変わったと言い切れるのであろうか。

以上のことから推測されるのは、「利便性」の介入によって私たちの家族関係は大きく変化することはないということである。51-C型以降、私たち消費者は住宅づくりにおいてさまざまな要求を出し続けてきた。そしてその要求に応えるような形で住宅供給は進められてきたのである。しかし、何十年もの間行われてきた利便性の介入では、家族間の人間関係は変化することがなかったと言える。言い換えると、現在の利便性介入の住宅では、家族関係が改善する住宅にはなりえないのである。

利便性の介入で家族関係が変わらないのだとすれば、残された可能性として「不便さ」の介入というものがある。前節では、不便さを生み出す例として、子どもの誕生、暖房器具の故障、震災の三つを挙げた。一見すると、人間関係はさらに悪化するようにも感じられる。しかし、実際はどうであろうか。不便さが介入されたことにより、人々の動きはもちろん変化する。介入された不便さを乗り越えようと、努力しようとする姿勢が見られるはずである。お互いの負担を減らそうとする、普段通りの生活を送ろうとする、生き延びるために相手を助けようとする、このような行動に出るであろう。すなわち、不便さを克服するために、私たちは家族で「協力しなければいけない」という気持ちになるのである。 言い換えると、不便さの介入により、協力しなければならない環境が作り出されるのである。

一言で「不便さ」といっても、さまざまな種類や影響力をもつ不便さが存在する。震災のような生死にかかわる不便さもあれば、棚の上の荷物に手が届かないような些細な不便さもある。人間関係を再構築させるためには、家族全員にとっての「不便さ」である必要があるように感じられる。嫁姑間の関係性を例に考えた場合、両者にとって共に不便と感じるものでなければならない。棚の上の荷物に手が届かないということは、確かに姑にとっては不便さであるかもしれない。しかし、嫁にとってはさほど不便ではない可能性がある。姑の不便さを乗り越えるために、一方的に嫁が協力しなければならないという環境ではかえって衝突の原因になってしまうであろう。住まう上で、お互いにとって不便であるからこそ意味がある。今までの関係性ではなく、新しい視線でお互いのことを再認識することができる不便さが必要なのだ。震災のような不便さであれば、お互い協力せざるを得ない状況になる。この状況は相手を見直すきっかけになるであろう。今までは頼りにならないと思っていた嫁は、必要な情報を正確に手に入れてくる。邪魔ものだと思っていた姑は、昔の知恵を使って寒さをしのぐ方法を教えてくれる。このような環境の中で、人間関係の再構築は行われるのである。

また、その「不便さ」は乗り越えられるものである必要がある。言い換えると、「不便さ」自体は一時的なものであって、家族関係の再構築のきっかけとなった後には解消されるか、日常に溶け込んでしまうものでなければならない。住宅という空間の性質上、一度建てればその後簡単に変えることは出来ない。あまりに不便なために建てなおすということでは、住宅としての本来の役割を果たすことができない。日本の住宅寿命は世界各国と比べて短いとされているものの、それでも平均30年前後であると言われている。最近では住宅の長寿命化が掲げられ、200年住宅を作ることが目指されている(※28)ことを考えると、やはり不便さが残り続け生活に支障が出てしまうのは住宅として不十分である。だからこそ介入される「不便さ」は、震災のようにいつかは復興という形で乗り越えられるもの、子どものように家族の一員となり日常となるものでなければならないと思われる。

第四節 「家族関係が変わる不便な家」

第一節から第三節では、家族関係再構築における「非日常的な要素」介入の必要性について論じてきた。さらに、その介入は私たちの生活に「不便さ」をもたらすものでなければならない。それと同時に、「不便さ」は最終的には解消されるか乗り越えられるものであ ること、また家族全員にとっての「不便さ」となり協力せざるを得ない環境を作り出すものでなければならないということを述べた。この節では、非血縁関係家族の例として嫁姑関係を含む家族を想定し、実際にいくつかの「不便さ」を介入させた住宅モデルを考えていく。

血縁関係のない家族のための住宅として必要なものは、「不便さ」を引き起こす非日常的な要素である。以下では、その要素としていくつかの例を提示し、それに伴い起こると想定される関係性の再構築についても予想していく。家族関係再構築のために必要なことは、「コミュニケーション」ではなく「協力しなければならない環境」である。

例1:個室なし住宅

個室を全く作らず、全てがオープンスペースとなっている住宅である。家族の動きは嫌でも視界に入るため、自然と相手を気にするようになる。相手が困っている様子なども目に入ることから、見て見ぬ振りができなくなる。そこから、お互いに相手を助けざるを得ない状況になることが予想される。相手の様子を見て自分がどのように動くべきか自然と考えるようになるため、関係性の再構築のきっかけとなると思われる。また、その後の工夫次第ではプライベートな空間も作れる可能性があることや、お互いの関係性の中で関わらないほうが良いタイミングを察することができるようになる可能性もあるため、個室がないという不便さは乗り越えられる、もしくは日常の一部として解消することができるであろう。

例2:屋根がスケルトン住宅

一般の住宅と異なり、屋根をガラス張りなどのスケルトンの状態にした住宅である。二世帯住宅を作るにあたり、「生活時間の違い」というのは大きな問題となっている。屋根をスケルトンにすることによって、生活リズムを一緒にしてしまおうというものである。外部の天候や時間帯による変化がそのまま住宅の中にも入ってくるため、太陽が昇れば明るすぎて寝てはいられない、夜中は暗すぎて起きているのが嫌になってしまう住宅である。太陽の動きに合わせて行動しなければならないことから、活動できる時間は限られてくる。時間内に全て終わらせるためには、家族で協力しなければいけない。そこから関係性は変化する同時に、毎日繰り返すことで日常となり自然と不便という感覚はなくなっていくだろう。

例3:段差が大きすぎる玄関

玄関の段差が1メートル以上ある住宅である。この大きさだと、親世代の姑だけでなくもちろん子世代にあたる嫁でさえ一人で昇ることは不可能である。一人の力では昇ることができないため、お互いに手を貸し合うような協力がなければ家の中に入ることは出来ない環境が作り出されている。ここに関係性再構築の可能性が潜んでいると思われる。お互 いが帰宅したら必ず顔を合わせなければならない状況になり、それがいつしか日常となっていくのではないだろうか。また、工夫次第ではもうひとつ段差を作ることも可能だと思われるので、この不便さも最終的には乗り越えられるものとなり、関係性の再構築だけが残る結果となるだろう。

例4:あらゆるドアが重すぎる住宅

玄関のドア、個室のドア、浴室のドア、他の空間に移動するために開けなければならないリビング以外のあらゆるドアを非常に重いものにしてしまう住宅である。一人では開けられないことから、必ず他人の手を借りなければならない。ドアを開けることが大変なため、リビングで過ごす時間が増えるだろう。もしくは、ドア開けの手伝いを繰り返すうちに家族の行動パターンが明らかになり、意識しなくても自然と協力しようという気持ちになるかもしれない。一見すると非常に面倒くさい住宅ではあるが、家族間での協力体制を生むためには有効である。

食卓の中心にコンロがある住宅

コンロやIHクッキングヒーターなどの調理機器は、キッチンに備え付けられているものが一般的である。それらをキッチンではなくあえて食卓という、家族全員が集まる場所の中央に備え付けてしまうことがこの住宅の特徴である。食卓にコンロがあるということは、非常に使いにくいであろう。出来れば、使用回数は少なくしたいというのが本音である。そこで予想される行動は、調理を一度で済ますために家族全員の食事時間帯を統一するというものである。コンロが中心という設計から、鍋料理の回数が増えるかもしれない。そうすると、メニューも限られてくる。そのような状況の中で、嫁と姑は互いの知恵を出し合って新しいメニューを考えるようになるかもしれない。制限された環境の中で生活することが、お互いを再評価し関係性を変えていくことに繋がるのである。

以上が、非血縁関係家族のための不便な住宅の一例である。以上の例から明らかになることは、「不便さ」が生活の中に介入されることによって、私たちの生活は大きく変化するということである。不便さを乗り越えることや解消するために協力していこうとする。この過程の中で今までとは違う関係性が生まれ、非血縁関係家族の関係性は改善していくのではないだろうか。

本論文では、嫁姑関係を含む家族を対象にして関係性再構築のための不便な住宅を考えてきた。しかし、親子関係なのか、それとも友人関係なのか、どのような間柄で構成される非血縁関係家族なのかにより、介入すべき「不便さ」は異なることと思われる。

終章

旭化成ホームズによると、二世帯住宅にしたきっかけとしては「経済的理由」「親が望んだ」「親の老後のことを考えた」「家の老朽化」といった消極的な理由(※29)ばかりが上位に挙げられている。「家族」というものは、お互いに理解しあえる、相談しあえる人間関係が築かれていて、さらに精神的なよりどころであると多くの人が考えているはずであるが、この家族の理想像に近づくために二世帯住宅にするという意見がほとんど見受けられないことは非常に印象的である。インターネットで「二世帯 失敗」と検索をすると驚くほど多くの結果が表示される。口コミなどでは「同居はするべきではない」「家を出たい」など多くの意見が書き込まれている。書籍でも、失敗しない二世帯住宅などと謳われているものが表示される。これらの社会的状況を見ると、やはり現状の住宅では家族関係、とりわけ嫁姑に代表されるような血縁関係のない親子を含む家族にとって最善であるとは言い切れないと思われる。

東日本大震災や阪神淡路大震災のような「非日常的な要素」の介入で生み出された「不便さ」によって、私たちの価値観は大きく変化したと言われている。安心感や安全を重視するようになり、社会貢献への意識が強くなったというアンケート結果があるが、一番多く変化したのは家族観である。家族や家庭への志向が強くなり、「絆」を意識するようになったと言える。つまり、私たちの人間関係は「不便さ」を介入させることによって再構築されるのである。また、この研究の動機ともなった子どもの学習机を巡る問題に関しても同じような解釈ができる。「階段の途中に学習机」という非日常的な要素の介入により、ある種の不便さが生み出されている。そしてそこには、通行の邪魔と感じる一方で、どうしても子どもの様子を見ずには通過できないという環境が作り出されているのである。空間によって私たちの動きは規制され、その動きの繰り返しによって人間関係も変化していくのである。

この「不便さ」を意図的に介入させた住宅を作ることによって、非血縁関係家族の関係性も変わるというのが本研究の結論である。一般的には「コミュニケーションを取ることが大切である」と言われることも多いが、不便さを乗り越えるための「協力しなければならない」「相手を思いやらざるを得ない」「一緒にやるしかない」という環境が人間関係を変えていく第一歩となっていくのではないだろうか。

今まで「家族」の範囲は血縁関係の有無で判断されてきたと言える。しかし、今後はどうなるであろうか。少なくとも、血縁関係によって「家族」であるかどうか決められることは徐々に減っていくことと思われる。実際、シェアハウスのように血縁関係がなくても「家族」と考えられる繋がりも存在しているのである。本研究は、嫁姑関係を例に家族関 係の再構築を図ったものではあるが、今後より一層増えていくと推測される非血縁関係家族の関係性に対しても利用することが可能であろう。ただし、どのような繋がりで結ばれる家族なのかということ、誰との関係性を変えていきたいのかということを明確にしたうえで、どのように「不便さ」を介入するべきか慎重に考えていく必要があると思われる。

参考URL

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セキスイハイム、「セキスイハイムの性能」

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フジテレビ、「番組基本情報 サザエさん」

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株式会社 横山彰人建築設計事務所、「建築家と家を作ろう!家族がうまくいく住まい02」

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