〈要約〉
PLYWOOD
- 安価
- 軽量で強度のあること
- 伸び縮みが少ないこと
- 熱伝導率が低いこと
- 表面に選ぶ木によっていろいろな木目が楽しめること
- プレスによる成形で独特のラインが出せるというデザイン画でのメリット
Before the Eames
第一次世界大戦前、プライウッドは代用品として使われていた。 しかし、1920年代、アバンギャルドデザイナーたちはプライウッドの
将来性を認め、大衆向けの大量生産のための家具を生産するため、 この新しい材料を使うこととなる。20世紀初頭から各国で起こっていた
デザインの民主化の一部であり、アーツ・アンド・クラフツ運動による 日用品への正当な評価に根付いていた。このようにして、優れたデザイナー達
によって、多くのプライウッドの製品が世に広まり、その後Bauhaus の メンバーがその合理性とともに人間に心地の良いカーブ作りなどに積極的に
なり、人気を得る。とくに椅子は当時テクノロジーの先端の家具として いたため、プライウッドの椅子は注目をあびる。
After the Eames
1938年、C.Eames はプライウッドを使った家具の製作を開始する。 Charles はNew Bauhaus から多くのことを学び、テクノロジーとモダニストの
相互作用をよく理解していた。彼の家具作りの特徴は、ほかが家具(特に椅子) のデザインについて考えていたのに対して、Charles
はその構造や テクノロジーに関してもよく理解し、また新しい技術も積極的に導入したので、 大量生産をさらに可能とした。 それと同時期に
MoMA(Museum Of Modern Art)において、 芸術家と技術者という消費者の要求への対応を模索している人々の中で
根本的な機能性、形、技術の統合がさけばれ、それをすすめる展示会が始まる。これがGood Design 運動のはしりとなる。
また、Eames のデザインに新たな可能性を与えたのは、Ray Eames であった。 技術的なCharles に対して、気まぐれなRay
のアイデアはModern の家具に その基準を超えた装飾や伝統を加えた。最終的に彼らのデザインはモダニズム に文化性や、より多くの人に対応することで、モダニズムに人間味とより良い
使い心地を与えることとなった。
Tubular Steel
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家具のような伝統手工業製品も新しい金属に影響され、
主に庭園用であったパイプ状、板状、棒状、の鋳鉄で作られる椅子が 室内用にも使われるようになった。
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アール・デコ、アール・ヌーヴォー様式の装飾的なバルコニーや
階段の手すり、地下鉄の駅などに使われた。
19世紀には無数の工作機械の改良が相次いだが、
材料の進歩は大方が金属の分野に限られていた。
Plastic
- (手加工による成形を機械加工に置き換えたことでの)低コストの実現
- 大量生産が可能
- 安価
- 成形しやすい
- 継ぎ目が少ない
Before the Eames
1930年代から1940年代にかけて金属からプラスチックへ移った。 加工しやすいことはデザイナーに開かれた美的可能性を与えることとなった。
「プラスチック」というその意味自体が確かに、作りやすいとか成形しやすい という意味である。
After the Eames
プライウッドが一度成功したEames は新しい家具の素材を探し始める。 それがより軽く、使いやすいプラスチックであった。 彼らがプラスチックで特別に注目したのはその安さであり、
より広い大衆性であり、その頃世の中でもLow Cost でデザイン性の高い家具 というのがGood Design 運動からも注目されていた。
ハーマン・ミラー社とイームズ
ウォール街の株暴落で主要な企業が落ち込んでいく中、 ハーマン・ミラー社も倒産の危機に直面しており、モダン株式を取り入れて 方針の立て直しを考えるべき時期にきていた。
アール・デコやバウハウスの機能主義にえいきょうをうけた ギルバート・ローデは、ハーマン・ミラー社が生産していた骨董家具より 当時の小さい家に適した家具の必要性を説得した。自暴自棄同然の勇気をもって
方針を転換したところ成功を納めた。
骨董家具に代わるモダニズムデザインの家具を魅力ある部屋の設定の中で 紹介し、客にモダンなライフスタイルを推奨することを強調した。
彼自身、優秀なデザイナーであったジョージネルソンの代に、 イームズのデザインの重要性を認識し1946年にイームズのプライウッド
家具を販売し始めた。そのとき最高のデザイナーを起用して質の高い 近代デザインを提供することで、ハーマン・ミラー社はアメリカで モダニズム家具デザインのリーダーとしての地位を獲得した。
イームズとハーマン・ミラー社はその後長く、相互に有益な関係を続けて いった。
〈参考〉
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アーツ・アンド・クラフツ運動は、19世紀末にイギリスで起こった
芸術運動で、工業時代がもたらした非人格的な製品に反発し、 かつてモノが人間と親密な関係で結びついていた中世に立ち戻ることを
意味した。
「芸術労働者*ギルドを結成して工芸と工業製品は区別されなければならない という強い意志を示し、美術と工芸は一体になり得ると考えていた。
アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けて、新しい型の芸術家として デザイナーという職業を生み出した。
(*中世ヨーロッパ都市における商人及び手工業者の特権的な同職組合。)
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20世紀初めにドイツでヴァルター・グロピウスがバウハウスを開校した。
アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けて、専門分化し独自の世界を 確立した芸術を、生活機能の総合体である建築のもとに統合し、
芸術と生活世界との絆の回復を目指した。
しかしバウハウスでは、機械を積極的に用い、近代技術に適応しながら 芸術と技術の統一を行い、新しい型のそれぞれの専門的な枠組みが崩壊し、
互いに客観性を持ってデザインを追及していった先が機能性重視の モダニズムのデザインだった。
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その後、その総合芸術の流れと、機能性重視のデザインから
Good Design という機能性に注目する運動がMoMA を中心に活発となる。 それによって、より大衆性を意識したLow
Cost 大量生産の可能性と 新しい素材が注目され、さらなる開発が進む。
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