視覚論

発表日:平成13年10月10日
担当者:榊原弘一・西宮祐騎・二宮瑠依子

近代性における複数の「視の制度」
序文
ハル・フォスター

  視覚と視覚性はまったく同じものではない。視覚的なものの内には差異が ある。だが、視の制度はそのような差異を排除しようとする。つまりは、 多様な社会的視覚性から一つだけ「本質的な」視覚を選び出してしまう、 もしくはそれらを「自然な」ヒエラルキーのなかに配置してしまう。 よって重要な事は@ヒエラルキーを崩すこと。A自明とされている視覚的事実 の配置を攪乱させること。である。


ジョナサン・クレーリー

近代的な視覚の厚みをとらえ、それが生理学をひとつの基盤にしていることを 分析する。
幾何学的光学から、外的な対象に無関係の視覚をも生じさせる身体モデルへ 転換した。

ジャクリン・ローズ

それが、心的なものとも重なりあっていること、この重なりを変転という 観点から見る。
性的なものと心的なものの「純化」にともない、視覚的なものも純化されて しまう。


ロザリンド・クラウス

転覆という観点からみる。視覚を「純粋な視線の放射、純粋な透明性、 純粋な自己認識」の領域として希薄化するモダニズムに対抗。

ノーマン・ブライソン

視覚自体が逆に間主観性の一部として形成されてきたことも指摘する。 視覚は何かを浸蝕するものとみなし、その要素は権力によって規定された 社会的産物である。視覚に関する慣習そのものが問題である。

マーティン・ジェイ

近代的な視覚を歴史の中に位置付け、どのような支配的慣習と批判的抵抗が あったのかを明確にする。視の制度を参照にして下さい。

  なぜ、今この問題をとりあげるかといったら、常に、近代的な視覚モデルに 対する批判、モダニズムの視覚モデルに対する批判が議論されてきた。 一つに「デカルト的遠近法主義」の主体と客体とを分離したうえで、主体を 超越化、客体を受動化し、それによって形而上学的思考、経験科学、資本主義 的論理をいっきょに規定してきたという事実に対し、批判がある。さらに、 芸術表現を分割することで、視覚芸術では、純粋に視覚的なものが特権化され、 絵画もこの形式的原理にくりかえし従属させられてきた。

  代替的な視覚性を見つけるためには、批判の的に置かれることは重要であり、 一部の傾向を全体化してしまわないように、また複数の差異を固定化された 少数の対立にしてしまわないように努めている。複数の差異を削除せず、 反対にそれらを開いていくことで、代替的な視覚性がたんに同一化されたり、 遠い存在の他者に扱われたりすることを防げるだろうし、異なる視覚性を絶え ず戯れさせ、視覚における差異を絶えず作動させることができるであろう。


近代性における複数の「視の制度」
マーティン・ジェイ

〈要約〉

  近代は視覚が支配的な時代だと言われ、ルネサンス科学革命によって始まる 近代性はまったく視覚中心的と考えられてきた。マーシャル・マクルーハン やオングの議論によれば、望遠鏡や顕微鏡などの発明によってすでに進行して いた視覚的なものの特権化が、印刷術の発明によってさらに強化されたという。 リチャード・ローティとともに哲学における「自然の鏡」というメタファー、 ミシェル・フーコーとともに監視の偏在性の強調、ギー・ドゥボールとともに 「スペクタクルの社会」を嘆くにせよ、視覚を近代における支配的な感覚と みなすことには変わりはないが、正確なところ、その視覚文化はどのように 成り立っているのか、近代における「視の制度」は整合的に統一されているのか、 それとも複数の制度が競合しているのかを問うべきだと作者はいう。

  そこで、作者は近代における主要な視覚文化、「デカルト的遠近法主義」、 「描写術」、「バロック」の三つを選び出して論じる。

  「視覚芸術におけるルネサンスの遠近法」+「哲学におけるデカルトの 主観的合理性」=「デカルト的遠近法主義」とし、これが近代における 視の制度そのものと考えられ、それは以下のような議論に結びつけられること が多い、「科学的世界観によって支えられた「自然な」視覚経験を表現する上 で、デカルト的遠近法主義が最適であったからこそ、それが支配的になった― というもの。したがって、科学的観察と自然世界との一致という前提が 疑わしくなった時、 それと同時にデカルト的遠近法主義による支配も疑問視 されていった。さらに遠近法における眼差しは抽象化され、冷淡であったため、 その幾何学的空間のなかに描かれた対象へと、画家が感情移入することが 少なくなり、自らを没頭させていくような視覚のありかたは、スペクタクル としての絵画とスペクテイターとの隔たりが大きくなるにつれて弱められて いった。また、「非肉体的」・「絶対的」な眼の名のもとに画家や観客の 身体が忘れられるにつれて、視覚におけるエロティックな投影という要素も 失われていった。

  視覚的秩序の脱エロティシズム化に加えて、さらにいたるところで脱物語化 ないし脱テクスト化という事態が生じた。そして宗教的な目的をはじめとする あらゆる「外的な」目的はイメージから排除され、イメージの自律性が高めら れていき、いかなる物語やテクストとも関係のない情報がキャンバスをうめて いくにつれてリアリズムの効果も強まっていった。

  デカルト的遠近法主義が哲学においても批判の的になり、その伝統すべてが 非難の嵐にさらされているなかで、ノーマン・ブライソンの見解が重要視され ていった。それはデカルト的遠近法主義の代替的な視の制度とされる、 スヴェトラーナ・アルパースが「描写術」と呼んだこの視覚文化の中に、 オランダ17世紀の美術を置く事であった。語ることを主な目的とした イタリア・ルネサンスの美術は遠近法に魅せられていたが、遠近法はあくまでも その「物語を伝える芸術」を表現するための手段でしかなかったが、対照的に オランダの美術においては物語やテクストへの言及がおさえられ、目に見える 表面を描写する事が主流であった。ここでは単眼の主体が特権的・構成的な 役割を果たすのではなく、キャンバスという平面に描かれた物の世界、絵を 見る者の位置などに左右されない物の世界が、まず存在している事が強調され たのである。


―『デカルト的遠近法主義』(南方)と『描写術』(北方)との差異―


イタリア・ルネサンス(南方) 17世紀オランダ(北方)
焦点
少数の大きな事物 多数の小さな事物
客体
物体は陰影によって型どられ、読解可能な空間に配置されている が物体から照り返し、物体の表面、色彩、質感が浮かびあがる
フレーム
明確なフレーミングがなされる 明確なフレーミングはなされない
見る者の位置
はっきりと決められている はっきりと決められていない
ヒエラルキー
一次的現象(物体・空間・形態 二次的現象(表面・質感
哲学
デカルト主義 経験主義



このようにオランダ美術は視覚経験の離散的な個別性を味わい、 イタリア・ルネサンス美術がたやすく屈してしまった、見えるものを寓意化 ・類型化する誘惑にはあくまでも抵抗していったのである。また、描写術はデカルト 的遠近法主義に比べて軽視されていたにもかかわらず、後に現れる二つの 「グリッド」と「写真」という視覚モデルをむしろ先取りしていたのである。 また、描写術に代表される17世紀オランダ美術は、現実の風景の断片的スケッチ により、平面性を強調する印象派をも導いていったのである。これまでで重要な のは、支配的なデカルト的遠近法主義の全盛期においてすら、それに取って代わろ うとする代替的な視の制度=描写術が存在していたという事なのである。

  しかし、以上のような議論もまた批判する事はできるのである。上記の議論では 物語と描写とを大きく対立させてきたが、遠近法を用いた美術にも脱物語化の傾向 があるのだから、その対立を堅持する事は難しくなる。また、資本主義の交歓原則 と遠近法の合理化された抽象空間との間に関連があると考えるのなら、オランダ 美術における物質的表面への執着と、市場経済の特徴である商品フェティシズム との間にも関連を見る事ができるだろう。デカルト哲学ベーコン哲学がそれぞれ 別の流儀において、ともに科学的世界観と一致しているように、この二つの 視の制度も、一つの複雑な現象の異なる二つの側面をあらわにしているとも 言える。


ここで、支配的モデル(デカルト的遠近法主義)の内側にひそむ第二の不安の 要因、すなわち第三の視覚モデルが登場する。それは『バロック』である。


『ルネサンス』:明示的、直線的、安定的、固定的、平面図的、閉鎖的(古典様式

バロック』:色彩が強調され、空間は窪み、形態はソフトフォーカスされ、 多様で、開かれている


※そもそも「バロック」という言葉は、一説によると「奇妙な形をしたふぞろい の真珠」を意味するポルトガル語から派生したという。「バロック」は奇妙で 特異なものを意味し、明確で透明な形態を重視する制度からは蔑まれていたので ある。

ほぼ17世紀に限定されるバロックはしばしば抑圧されていたが、近代を貫いて 流れている視覚の可能性とみなす事ができるのではないか。(筆者問題提起)

ビュシ=グリュックスマンによれば、オランダの描写術とバロックとは 対比させる事ができると言う。つまり、描写術は絵画によって地図化される 世界の表面や物質性に忠実であるのに対して、バロックは描かれた現実の 不透明性・判読不可能性に魅惑されるのであるまた重要なのは、 バロック的視覚は表象不可能なものを表象しようとしていた点である。 しかし、この企ては失敗に運命付けられていた。美学の伝統的用語を使って 言うならば、バロックが『美的なもの』ではなく 『崇高なもの』に接近しているのは、バロックが 現前不可能なものを何とかして現前化しようとするからに 他ならない。実際のところ、欲望はエロティックなかたちをとって、 バロック的な視の制度全体を貫いている。デカルト主義における 脱身体化された中立的な眼差しの特権を奪うべく、身体が復活するので ある。しかし、メルロ=ポンティの哲学のような、身体の復活を称賛する20世紀 の視覚論とは異なり、バロックは支配的な視覚秩序の硬直性に異議を唱える 「不安の契機」を生み出す事ができるのである。これに比べると、描写術は既存 の世界に安住しているように思われるのである。



〈結論〉

  現代においてついに前面に躍り出るに至った視の制度を選び出すならば、 それはビュシ=グリュックスマンがバロックとみなす「見ることの狂気」 であろう。美よりも崇高を重んじるポストモダンの言説に顕著に 現れているのも、ビュシ=グリュックスマンがバロック的視覚とみなす 「不可視なものの重ね描き」に他ならない。 修辞を正しく捉え直し、視覚と言語との絡み合い―視覚のなかには言語的 要素が消しがたく貫入し、言語のなかにも視覚的要素が消しがたく貫入している こと―を認識しようとする昨今の傾向からすれば、 バロックという代替案が時宜を得ている事は明白である。

  しかし、視覚の合理化視覚の流動性を損なわせるものとして急いで捨て、無思慮に代替案 を持ち込むならば、いかなる犠牲を払う事になるかを問う必要があると 筆者は語る。また、バロック的視覚について言えば、視覚的狂気を本当に 礼賛してよいものかどうかを問うべきであるとも言う。それがエクスタシー に至る事もあるにせよ、困惑混乱をもたらすに過ぎない場合 もあるのだから。

  したがって、別のヒエラルキーを確立しようとするよりも、 いま選択可能な視の制度の多元性を認識する方が有効である。また、 「真の」視覚という虚構を捨て、これまで形成されてきた視の制度に ひそむ可能性や、まだその全貌もあらわではない、来るべき視の制度によって 開かれる様々な可能性を享受する事もできるのではないかと筆者は語る。


 
〈考察〉

  現代に生きる私たちが持つ「視の制度」、つまり視覚は中世、近世のそれとは 明らかに変化(Change)というよりも、進化・発達(Development)していると 言える。それは、デカルト的遠近法主義や描写術などに見られる視覚とも異なり、 より複雑で、より人間的な知的作用である思考というフィルターが直接的に私たちの 視覚という感覚に組み込まれていったことである。

  つまり、この論文において重要であるのは、「美から崇高なるものへ」の移行が 何より意味深く、そして何より人間味を帯びていたことであろう。 ポストモダンになりバロックという概念を通してそれは確立され、芸術の分野に 哲学的なる思考を組み込む事に成功した。むしろそうせざるを得なかったのか、 しかし、芸術は哲学とともに存在していかなければならないようにもみえるのである。 見えないものを、見えるものを描くことで表象するバロック的な視の制度は、 その性格上、あまりにも人間的な複雑なもどかしさとも言える親近感を私は感じてやまない。



〈用語解説〉

ヒエラルキー     ピラミッド型の階層組織

パラノイア(偏執病) 体系を立った妄想を抱く精神病。40歳以上の男性に多い。

カメラ・オブスクーラ 小孔またはレンズのついた暗箱。写真発明以前、画家などが写生にもちいた。

オプティカル効果   映像の光学的な処理、合成で現実を超える視覚効果を与える手法

ミシェル・フーコー (1926〜84) 

フーコーは、現象学と実存主義を拒絶し、 あらゆる種類の言説はその使用者が他者に力を行使しようとする企てであると 考えた。
(実存主義:人間の本質ではなく個的実存を哲学の中心におく哲学的立場の総称。 ドイツでは実存哲学と呼ばれ、科学的な方法によらず、人間を主体的にとらえ ようとし、人間の自由と責任とを強調し、悟性的認識には不信を持ち、実存は 孤独・不安・絶望につきまとわれていると考えるのがその一般的特色。 その源はキルケゴール、後期シェリング、さらにパスカルにまでさかのぼるが、 20世紀、特に大2次大戦後、世界的に広がった。その代表者はドイツのヤスパース ・ハイデッガー、フランスのサルトル・マルセル・レヴィナスら。 サルトル・カミュ・ムージルらは実存を文学・芸術によってとらえようとする。)

ルネ・デカルト (1596〜1650)

フランスの哲学者。近世哲学の祖、 解析幾何学の創始者。「明晰判明」を真理の基準とする。あらゆる知識の絶対確実 な基礎を求めて一切を方法的に疑ったのち、疑いえぬ確実な真理として 「考える自己」を見出しそこから神の存在を基礎づけ、外界の存在を証明し、 「思惟する精神」と「延長ある物体」とを相互に独立な実体とする二元論の哲学体 系を樹立。著「方法序説」(1637)「第一哲学についての省察」(1641) 「哲学原理」「情念論」など。
"われ思う、ゆえにわれ在り" "子どもの頃、私は何と多くの偽りを真実だと 信じていたことか"

アウグスティヌス (354〜430) 

初期キリスト教会最大の思想家。 初めてマニ教を奉じ、やがて新プラトン哲学(特にプロティヌス)に転じたが、 ついにミラノで洗礼を受け、生地北アフリカに帰りヒッポの司教に就任、 同地で没。その神学の核心は、人間は神の絶対的恩恵によってのみ救われる、 教会はその救いの唯一の伝達機関である、歴史は神の国と地の国との戦いである、 の3点。哲学では、内的経験の自己確証性、真理証明説、悪に実在性はなく 善の欠如にすぎないという説、人間の記憶・知性・愛のうちに三位一体の痕跡 をみる説などが特色。著「告白」「三位一体論」「神の国」など。

鳥瞰的 (鳥が見おろすように)高い所から広範囲に見おろすこと。 転じて、全体を大きく眺め渡すこと

メルロ・ポンティ (1908〜1961) 

フランスの哲学者。 彼は20世紀哲学に、人間の肉体の重要性を認識させる役割を果たした。 私達は物体であり、一人一人が空間または時間に別個に独自の位置を占めている ――これは人間のアイデンティティの基本であると彼は断言する。 ハイデッガーやサルトルの現象学ないし実存哲学を基礎に、ゲシュタルト心理学 を批判しつつ、新たな知覚や身体性の現象学研究を切り拓いた。著「知覚の現象学 」(1945)「意味と無意味」「みえるものとみえないもの」「行動の構造」 (1942)「ヒューマニズムとテロル」(1947)「弁証法の冒険」など。
認識論  認識の起源・本質・妥当範囲を論究する哲学の一部門。 認識の起源については経験論・理性論、その対象については実在論・観念論 などがある。知識論。

ゴットフリート・ヴェルヘルム・ライプニッツ (1646〜1716)

ドイツの数学者・哲学者・神学者。微積分学の形成者。モナド論ないし予定調和 の説によって、哲学上・神学上の対立的見解の調停を試みた。今日の記号論理学 の萌芽も示す。近代的アカデミー(学士院)の普及に尽力。主著「形而上学叙説」 「単子論」(1714)「弁神論」(1710)「人間悟性新論」。 

フリードリヒ・ニーチェ (1844〜1900) 

ドイツの哲学者。 キリスト教倫理思想を弱者の奴隷道徳とし、強者の主人道徳を説き、この道徳の人 を「超人」と称し、これを生の根源にある権力意志の権化と見た。また伝統的形 而上学を幻の背後世界を語るものとして否定し、神の死を告げた。その影響は 実存主義やポスト構造主義にも及ぶ。著「悲劇の誕生」 「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」など。