〈要約〉
1) モダニズムとポストモダニズム
モダニズム:「機能主義」的外観、技術的合理主義。
ポストモダニズム:ヴァナキュラーな伝統、地域の歴史、特定の欲求、 ニーズ 好み、文脈性、装飾性、折衷主義。
2) レオン・クライアーの問題提起
モダニズム的な都市計画が主に単一機能的なゾーニングを通して機能している。
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都市計画家の中心的関心は: ○物流 ○人々の地域間の循環
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「反エコロジカル」な都市様式を生み出す。
解決策:独立的、自立的な都市地域を構成すべき。
↓
「象徴的な豊かさ」を回復
3) J・ジェイコブスの反モダニズム的見解
〈各層の住宅計画案の問題点〉
低所得所 → 社会的虚無状態を作り出す温床。
中所得所 → 弾力性、生命も押さえつけ、停滞した組織化の様相。
高所得所 → 贅沢な方法をましにはしているが、下手である。
◎モダニズムの都市計画家たちは渾沌や複雑性を恐れたために、 多様性やそれらを無秩序で醜悪でどうしょもなく不合理だとした。
焦点 → 社会的相互作用の過程
4) ポストモダンの建築の技術的変化(ジェンクス)
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コミュニケーションが強力な差異化を生み出す
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新技術(コンピューター・モデリング)の登場 → 強力な多くの拘束を建築家や都市計画家たちから解放
ポストモダン建築 = 反アヴァンギャルド的
5)「嗜好の文化」の認識
T:計画のメカニズム
から 市場のメカニズム へ
→ 急速なジェントリフィケーション(短期的)
U:作品の差異化 → 象徴資本の生産と消費を再強調
・嗜好の強制的な民主化 象徴資本を手にする
・平等主義 ⇔ 社会的卓越化
・資本主義社会 矛盾
抑圧された要求が表出する風潮を生み出した
嗜好は固定的なカテゴリーからかけ離れている
製作者の間での争い
V:象徴的豊かさ(クライアー)+ 象徴資本(ブルデュー)
ジェントリフィケーション
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コミュニティの建設
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都市景観の再生
⇒ 都市現象
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歴史の取り戻し
6)「都市の村人と嗜好文化との異種混交」の必要性
建築は高度に差異化された言説に分類される
7)分裂病
建築は二重のコード化を具体的にしなければならない(ジェンクス)
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通俗的で伝統的なコード化
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ひっきりなしにかわる社会にねづいたモダンのコード化
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ポストモダニズム
=
歴史的連続性と集合的記憶をもった 既に存在するビジョンを駆使して、永遠なるものにたいしてより広範な 基盤がある
8)生活様式
歴史的な言及という問題をまじめに取り扱った(ロッシ)
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過去のスタイルに言及しているあらゆる方法をいっしょくたにした
例:1972の文化遺産産業
9)折衷主義
モダニズム的な建築やデザイン
→世界の様々な都市・建築に関しての情報やイメージの引用をする
=折衷主義
ポストモダンの大きな位置を占める様式
差異化された嗜好・文化のごたまぜ。混ぜ合わせ。
10)スペクタクルの展開
スペクタクルは社会統制に関する処方である。
アメリカにおける都市のスペクタクル
→都市をイメージすることは資本と人々を引きつけるための手段となる。
資本と人々を引きつけることは都市のニーズであり、 このニーズにはポストモダニズムで応えることができる。 ムーアのイタリア広場はこの例となる。
〈考察〉
バルトが論じていた、「都市が一つの言説であり、 この言説が真の意味で一つの言語である」や文脈性のある 「言語としての建築」とは、ある一定の「意味」を持つ都市や建築のこと
であり、それはヴァナキュラーの伝説、慣習的な形態をといったものから 生まれてくる。
その重要性というのは、モダニズム時代に単一機能的なゾーニングであった 都市において、各々は、巨大都市地域集団内において、 独立的な都市地域を形成する際に必要なことである。
事実、計画のメカニズムから市場のメカニズムへと嗜好の文化が 移行したために、画一的な都市を作ってしまった。
しかし、金持ちの消費のおかげで、都市デザインにおける作品の差異化が 重要となり、ブルデューの言う「象徴資本」の生産と消費を強調することに
つながった。さらに、クライアーの言う象徴的な豊かさを並べると、 多くの都市現象が分かり、加えて問題となっている社会的卓越化に関する
コードやシンボルとして理解するのに役立つ。 ポストモダニズムの建築は反アヴァンギャルド的でありつつ分裂症的、 つまり歴史的連続性と集合的記憶の両方の意味を兼ね備えているといえる。
モダニズムの建築は、機能主義を主な理念として装飾を否定したため、 装飾上の一切の無駄を省くという点で無装飾主義だといえる。
徹底的に装飾を排除するということを極めようとしているのである。 一方、ポストモダニズムの建築はモダニズム時代に滅びた装飾が復活していく。
つまり、モダニズムもポストモダニズムの建築物の表面がよりモダニズム的、 あるいはよりポストモダニズム的になるよう、表面の表現を洗練させることを
追求していった。このことは方向性の違いはあるにせよ、 どちらの時代も結局は装飾性を追求していると言えることになる。 建築を言語としたとき、ポストモダニズムの建築は視覚的偏重となる傾向がある。
建築家が建築を人(大衆)にわかりやすく説明しようとするほど、 視覚的にはっきりしめしてしまう。
モダニズム→ポストモダニズムへの移行では機能主義追求の結果による、 機械をモデルとする建築観(住宅は住むための機械であるという考え)
から歴史的連続性を伴った造形への転換が見られる。
〈疑問〉
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「象徴的な豊かさ」とはなんだろう?
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商品としての建築は「意味」、つまり言語をもつのか?
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モダニズムとポストモダニズムの関係は?
→ ポストモダニズムはモダニズムと正反対の関係にあるのか? それともポストモダニズムはモダニズムの一種であり、 モダニズムの延長上にポストモダニズムがあるのか
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これからの都市、建築について
→ 環境問題が山積みになっている今、環境を征服していくように思えるモダニズム、 ポストモダニズムではなく、環境と共存できる方向にもっと目を向けるべきではないだろうか。
資源と環境の危機に都市・建築はどう対応していくのだろうか
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