〈要約〉
1.具象美術と抽象美術
世の中には、人の心に触れようとする、実に多種多様の美術というものが存在している。そしてどのような美術も程度の差こそあれ、「具象性」と「抽象性」というものを必ず兼ね備えている。このことについて、2つの例を挙げて説明する。まず、ロックウェルに関しては、一般に写実的と言われるようにかなり具象的で、主題の明確な作品と考えられる。その一方で、人々の共通した認識を元にして、抽象的な概念の理想像(=プロトタイプ)というものも表している。次に、カンディンスキーに関しては、抽象美術の典型と言われ、
物理的主題の発見は困難である。しかしながら、題名により、作品を構成する様々なモノ、及び中心的テーマというものは鑑賞者の心に現れてくる。
2.標準的表象
ある概念の「標準的表象」とは、その概念を最もよく表している中心的なイメージである。この中心的なイメージというものは経験を通して形成される。人間は、日常的経験における対象や感情というものを分類し、同種類の持つ重要な特徴の一般化されたモデル(=中心的、理想的イメージ=プロトタイプ)を再構築し、記憶する。これらのモデルは他者間において類似性を多分に含む場合が多いが、記憶というものが個人的であるように、この再構築という作業は個人の心的な部分によって生されるため、ユニークな部分を持っている。それ故に、この再構築を可視的に表現した美術作品が、作者の心と鑑賞者の心をつなぐ掛け橋となるのである。また、人々の心の真理と美に調和しようとする点において、科学にも同様のことがあると言える。
3.記憶と絵の理解
記憶
受動的記憶モデル・・・印象を貯蔵して反応を生み出す記憶装置。 (19世紀)
≒コンピュータ
ダイナミックモデル・・知覚された印象は、他の印象と連合(連結)され、有意味な
記憶ユニットをして組織化されるもの。
<脳の短所と長所>
- 短所―コンピュータにくらべ電気化学的信号の伝達が非常にのろい。
- 長所―情報を処理するためのたくさんのニューロンを持っている。
―ニューロンとシナプス―(別紙参照)
<どのように記憶が視覚的形態を認知し、反応するのか>
@ 脳が情報を大規模な並列分散方式で処理をし、数え切れないほどのニューロンが同時に関わるから。
A カテゴリー、プロトタイプ、スキーマの点から情報を組織化するから。
プロトタイプ
プロトタイプはたくさんの刺激の抽象物であり、この抽象物を基準にしてそれに似たパターンが判断される。多くの事象や感覚を貯蔵する事は不可能だが、頻繁に経験する特徴を備えた印象を貯蔵する事は可能であり、かつ経済的である利点もある。
記憶の中で特徴を組み合わせて形成されるプロトタイプの記憶形式は、情報を長期記憶に貯蔵する支配的な方法である。
〜重要な点〜
- 美術作品の時代分類や個々の芸術家の様式の分類を理解するのに役立つ。
- 絵画に対する印象もプロトタイプの形成と同手順かもしれない。
絵とことば
<タイトルの役割>
- 絵の意味を考える際の重要な手がかり。
- 記憶する内容だけではなく、長期記憶が出来るか、否かにも影響する。
⇒見るものに先入観を与える。
「絵がことばの理解を助け、ことばが絵の理解を助ける。」〜相互作用〜
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言語
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美術
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レベル1 表層
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伝達手段(文字や音声)
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物理的に構成するもの(線、・・
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レベル2 深層
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メッセージの意味をもつ「構造」
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特徴の意味的解釈意味を持つ対象
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レベル3
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レベル3での理解は、特徴の知覚やそれらが意味するものをはるかに越える。さらに、認知だけにはとどまらず、感情がともなう。それはことばでは「いいあらわすことのできないものである」。だが、その理解を得られたときに混乱はなく、むしろ絵と「一体化」し、絵を心の普遍的な特性と混ぜ合わせることができ、絵の中に自らの根源的な心を見る事できるのである。説明不可能なこの現象こそ、深い感情と思考を喚起するレベルでの認知である。
4.コネクショニズム―心と美術
神経ネットワーク
レベル3の理解で絵が私たちに「触れる」のは、絵を心が感じ取るからである。絵だけでなく、音楽、文学、科学といったあらゆる対象が普遍的な心のなかの感受性に届くまでの経路とは、どのようなものだろうか。それは、美術や音楽、文学、科学といった異なる分野を連合する過程でもあるはずだ。
PDP(並列分散処理)モデルにおいて知識は単一の細胞に貯蓄されているのではなく多数の細胞に分散していると考えられ、外部から情報を入力してまず二つの要素(細胞)の関係に気づくと、命題に基づいてユニットを形成・活性化し、それが全体にどう結びついているかを意識することで全体像を推論(出力)していく。推論していく際には見る者の経験によって形成される「隠れユニット」が介在するため、ユニットの活性化や知識と推論の結びつきの程度が異なる。
モンドリアン
モンドリアンの基本色によるブロック構成は、絵画というよりも絵画を通して彼独自の普遍的原理(世界観)を創造しようとした作品である。この絵の中では幾何学構造と色彩という基本要素が支配するくるいのない完全な世界が表現されていて、そのバランスは社会や人類や倫理を支配する原理の理想を、言葉ではなく視覚的に表現しているのかもしれない。つまり、表現されているのは要素間の関係の法則であって、構成物としての絵画である。木の絵についても同様のことが言えて、「言語」を構造として捕らえるなら、木という語彙(素材)を用いてその抽象的な描き方によって独自の文法(原理)を表現しているといえる。モンドリアンの作品が「脳の美術」と呼ばれるのは、彼の絵を見たときにたいていの人にはそれが何かを理解すること、または描かれたものから何かを想起することが困難で、見る者にその「何か」を探させる作用をもたらすからである。
科学も芸術も、とらえがたいこの世界の真理をエレガント(美的)な法則で解き明かそうとする試みということには変わりない。ただ違うのは、科学が扱うのは実在物の「外的」世界で、芸術が扱うのは目に見えない「心的」世界ということだけだ。そうして表現しようとしたもの(媒体)は、それ自身が自立して私たちこころそのものになる。
〈考察〉
この文章から描かれたイメージというものは、単なる写実ではなく、目・手・筆・顔料・キャンバスなどを媒体とした心のあらわれと言える。そして、心のあらわれというものを心で感じ取ろうとするのは、自然な営みである。それゆえに、何かに強制されたり公式的な方法によって美を理解しようとするのは不可能である。
絵を記憶するときには、知覚された印象を他の印象と連合させることで、有意味な記憶ユニットとして組織化して記憶している。その際に、長期的貯蔵に有効なものとして、ことばによる理解の助けと、頻繁にみた特徴を組み合わせて形成される印象が必要である。絵を理解するときには、そもそも脳の中にあったいくつかのカテゴリーから、似たパターンを取り出すことにより、その絵の概観を掴むことが出来る。それは、組織化して記憶していたユニットをつなぎ合わせることで、深い理解が得られる。というように記憶と理解は相互作用として働いている。それは、絵とことばの関係にも同様である。理解をことばでは言い表せないレベル3の存在は、私(心)と絵が触れ合う作用を引き起こす。私(心)と絵の間に普遍的な関係性を持たせることにより、絵の中に自らの根源的な心をみるようにと働く。私が絵を理解しそうで、絵が私を理解しそうな時、深い感情と思考を喚起するレベルでの認知である。
〈疑問〉
@ 具象美術と抽象美術の決定的な差異というものは存在しないように感じられる。それでは人は何を基準に具象美術と抽象美術を区別しているのだろうか。
A 科学も芸術も認識論を美的に表現するものであるが、芸術は作者によってそれぞれ描く世界が異なる一方、科学者たちは大半の理論において大きな主流のようなものが存在していて、方向性が定まっている。そこが科学と芸術の違いであり、科学が芸術に比べて事実だとみなされる理由では無いだろうか。
B 芸術も言語化された世界でしか認識できないのだろうか。それに対し、科学の世界は言語化されているといえるのだろうか。認識を法則化するということはいつも「言語」を意味するのだろうか。
〈用語解説〉
キュビズム:20世紀はじめにフランスに起こった美術の運動。印象主義に反対し、主体の感じを強く主観的に表現する。
シュルレアリズム:写実的な表現を否定し、作者の主観による自由な表象を超現実的に描こうとする芸術的方針。
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