空間の生産 〔B班〕

Part.1
発表日:平成14年5月8日
発表者:田中裕美・西宮佑騎・小川望・小山景子

〈要約〉
◆空間の概念の探求、その始まり  [1章]

  空間の概念は哲学、科学の世界で練り上げられてきた。
 
 アリストテレス:空間は知覚可能な事柄を分類する1つのカテゴリー
   デカルト:空間は絶対的なもの
   スピノザ、ライプニッツ、ニュートン主義者
   空間は神の属性、または存在する物の全体性に内在した秩序
   カント:空間は、超越的な、本質的に把握不可能な構造に結び付けられる
        カテゴリー→秩序→構造 ??
  しかし空間は概念化されず。

◆空間を支配する数学者たち  [2章・P37〜]

  数学者は科学的に空間の『無限性』を発明。しかし空間は概念化されず。なぜなら数学的の空間と現実の空間には隔たりがあるから。

◆心的空間   [3章・P38〜]

  認識論:空間の規定とは『心的な事物』そして『心的な場』。心的空間の概念が一般化

But!
人間の理念(概念)空間の理念がかけている
科学的言説の中では科学的規定と空間領域はあらかじめ認定された結びつきにより構造的に結びついている。
But!
 『空間』の規定と主題の規定、考える『私』と考えられる客体を対比しているだけでこの関連は概念化されていない。

  哲学と認識論における空間が物神化され、心的な領域が社会的、身体的な領域を包み込む。一定の理論的実践は心的空間を生み出し、心的空間は社会から切り離された『理論的実践』の場になる。

〈結局〉
  心的空間と現実空間の間にあらかじめ前提された半ば論理的な同一性は、心的なもの、身体的なもの、社会的なもの、という3つの項に溝をあける。

◆空間の断片化と裁断  [4章・P42〜]

  空間の認識論的・哲学的考察=空間の科学のための認識を与えられず。
  ↓ 
  空間の裁断と断片化−空間の科学

  空間を単純化し識別することのできる科学的技法であると考えられた。
  はっきりと専門化されたあらゆる種類の空間が語られる。

@ 空間のなかにあるものの記述であって、空間の認識(空間とは何か)ではない。
→心的空間のレベルへ
  心的空間は社会空間の属性と「特性」の大部分を占めるようになる。
  ↓       
社会空間を記号学のコード(規則)で解読できるか?→×8章
A 空間の細分化への強い支配的傾向
B 空間的実践は全面的管理を一瞬たりとも手放すことはない。
=社会全体は国家権力に従属したまま

「空間の科学」の三つの提言
→事実であることを立証しなければならない。

But!
@それらが事実ならば、それは空間の真理が存在するから
  真なる空間が築き上げることができるからではない。
A支配的傾向 (知が権力の名において遂行する傾向、中央権力に従属させられた断片化・分離・細分化への傾向)の逆転を必要とする。
  ↓ つまり、
空間の裁断・断片化とは違う方法、発想の転換が望まれる。

◆資本主義と空間  [5章・P45〜]

  資本主義のもう一つの側面=階級のヘゲモニー
  ※ヘゲモニー…「説得と同意を通じた柔軟で流動的な権力形態、文化支配形態                     またはその主導権、指導的な立場」
  ヘゲモニーは、文化や知をふくめて社会全体に行使される。

  空間はその受動的な場にすぎないのか?→×

@空間の知と行動は、現存の生産様式において能動的な側面をもっている。
A空間は、隠された論理、つまり知や技術の利用によって、「システム」を構築するのに役立ち、空間の手段を通じてヘゲモニーを行使する。

◆統一理論  [6章・P47〜]

  統一理論の目標は、別々に理解された諸種の「場」(→物理的空間・心的空間・社会的空間)の間の理論的な統一を発見しうちたてること。

EX1.物質的自然の認識
もっとも広い一般性のレベルと最大の科学的抽象における諸概念と、それに照応する物理的現実との間の結びつきは存在する。
エネルギー(物質)・空間(自然)・時間(物理的現実)は互いに融合することも区分することもできない=確実な統一、孤立してとらえられた空間は空虚な抽象これらの「実体」を把握するのは難しい。しかしその明証性は一目瞭然である。

EX2.物理的空間(ここでは宇宙)でのエネルギーの展開
宇宙の原初的統一性 ―神学的
フレッド・ホイル
エネルギーはその大小に関わらず、あらゆる方向に展開する。
宇宙の単一の中心はなく、エネルギー・空間・時間は、場の無限性の多様性のなかで凝集する。
しかし、その多様性は宇宙の統一理論に基づく。

Q.ではこれらの物理的理論を人間空間の理論に応用できるか?

→限界がある。そして社会的エネルギーを物理エネルギーに、いわゆる「人間的」諸力を物理的な力学場に合致させなければならない理由はどこにもない。
このような還元論は、はっきりと拒絶されるべきである。
But!
人間社会は、宇宙or世界を抜きにして考えることは出来ない。
そしてそれは国家の中の国家についても同様である。

◆心的空間と現実の空間  [7章・P50〜]

  物理的空間、心的空間、社会空間といった諸種の空間を互いに隔てておく分離をどう名づけるか?
  Ex歪みやずれ、切断や破綻など。
  ↓
※重要なのは、心的カテゴリー(論理的・数学的カテゴリー)を扱う「観念的」空間を社会的実践の空間である「現実の」空間から隔てている距離。

Q1.この状況を解明しそれをのりこえる為の理論的な探求にとって、何が出発点となるのか?

×哲学  哲学はこの状況に利害関係をもって積極的に関与する為
  ↓
文学  
文学作品においては、空間の探求がいたるところで、またあらゆる装いでなされていて、空間は囲いこまれ、記述、投影、夢想、推測される。

Q2.では、いかなる作品が「作品」分析としてとりわけ優れたものであるとみなすことができるのか? 

→社会的な「現実空間」をとりあつかうという意味において実際には、
◇ "建築作品≧文学作品"
 「建築を定義する為には、空間がすでに分析され、説明されてなければいけない」


  もう一つの可能性として、作品と同じくらい一般的な科学的概念にもとづくこと。
 
ex 情報、コミュニケーション、メッセージ、コード、記号の集合といった概念
  ↓

But!
×これらの概念をとりあげることは、空間の分析を専門領域のなかに閉じこめてしまう危険性を持っている。
さらに、専門化された空間分析は、諸種の分離を説明する助けになるどころか、この分離を深めてしまう。

  分離を説明する仕事は普遍的な概念に委ねられ、従っていかなる特殊な専門領域に属するのでもなく、やはり哲学。

Q3.そのような一般的な概念は本当に存在するのか。ヘーゲルが具体的普遍と名づけたものは今もなお意味を持つのか?

  →作者はYes。

  • 生産および生産的活動の概念がそのような具体的普遍性をもっている。
  • これらの概念は哲学者によって練り上げられたが、それは哲学を超えていき、かつては政治経済学といった専門科学によって独り占めされたが、政治経済学によってその手を逃れていった。生産および生産的活動の概念はマルクスのいくつかの著作においても広い意味を取りもどすことによって、経済学者がそれに付与していた幻想的な厳密さをいくぶんなりとも脱ぎ捨てた。

    ↓そこで登場
  「空間を生産する」ということ

  この考えによれば多大な力で空間を満たすものに先立って空虚な空間が存在する。

Q4.それはいかなる空間か。空間に関して「生産する」というのは何を意味するのであろうか?

  ここの章での作者―「既に練り上げられ定式化された諸概念から、幻想や悪名高き詭弁の事例に陥ることなしに新しい内容へと移行しなければならない。従って求められているこれらの概念および概念相互の諸関係について完全な説明を行うこと――」
  さらにその説明は、一方で論理的・数学的空間の極度に形式的な抽象をともなっていて、他方では社会空間の感覚的・実践的な領域をともなっている。

 (合)特殊性(この場合は社会空間の記述や断面)
 (反)一般性(論理学と数学)
 (正)個別性(自然なものとみなされ、単なる物理的・感覚的な現実を備えた「場」)

◆記号学的アプローチ  [8章・P53〜]

  社会空間を記述している日常的言説の言葉は一定の秩序にしたがって互いに絡み合い、まずそれらの目録を作成し、ついでそれらの言葉に意味を与えているのがいかなる範列、統辞法かを確かめなければいけない。

   
↓そこには

 二つの可能性

言葉が未知のコードで、思惟を用いてこのコードを再建し説明するという可能性   :思考力によって素材(言葉それ自身)と物質的装置(言葉に加えられた操作)に基づき空間のコード構築

   ↓
  いずれの場合にしても「空間のシステム」を構築
  空間のシステムが「物」にかかわるのは間接的にのみで、システムが関与するのはその「物」に関する言説だけ。

ここでの作者のねらい
 
空間についての一つの言説を生産することではなく、諸種の空間とそれらの空間が生成する様態とを一つの理論にまとめあげていくことによって、空間そのものの現実的な生産を説き明かすこと。

   ↓
Q1.論理的・認識論的・発生論的に言って、言語活動は社会空間に先行、随伴、あるいは社会空間につき従うのか?

Q2.言語活動は社会空間の前提条件か、それとも社会空間を定式化したものか?

 ⇒言語活動の優先性のテーゼは、はっきり確立されていない。大地に印をつけ、痕跡を残し、共同の身振りや労働を組織する、といった諸種の活動の方がはっきりと規則づけられ分節化された言語活動よりも優先権を持つ。   
   ↓
  ここに今だ隠されている諸種の関係が存在する。
 ⇒分節言語に固有な「論理性」はその出発点から空間領域として機能し、それが事物の知覚(実践的・感覚的なもの)によって混沌とした状態にある質的なものに秩序をもたらす。

Q3.ある一つの空間は、どの程度まで読まれるか。それは解読されるか?
 
×メッセージ、コード、情報といった概念によって空間の発生を跡づけること
  But!
  すでに生産されている空間を解読し読みとることはでき、空間には意味作用の過程がはらまれていて、おそらく歴史のそれぞれの画期において特殊なコードが樹立され、そのコードは様々な効果を発揮したであろう。
  従って、しかじかの社会の成員である当事「主体」は、自身の空間を手に入れると同時に、その空間のなかで行動しその空間をふくみこむ「主体」の質を手に入れる。

  • コードの概念を弁証法化
  • コードが位置しているのは、実践的関係のなかであり、「主体」とその空間との、「主体」とその環境との間の相互作用のなかで明らかにしようとするのは、コード形成とコード解読が生成し消滅する過程、つまり形式と結びついた社会的(空間的)実践を際立たせること。

次ページに続く)